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3 個体差の栄養学

古典栄養学は、カロリー計算や栄養のバランスの主張となりました。そこには、ビタミンは潤滑油のような役割をもつ栄養物質であって、微量でたりるという考え方があります。これは極言すれば、私たちが生きていくための条件をもとめる科学にすぎないといえるでしょう。病気も寿命も体質も、そこでは問題にされません。

私どもの関心事は、生存の条件ではなく、能力の問題であり、老化の問題であり、病気の問題であるといってよいでしょう。それはつきつめてゆけば、体質の問題、個人差個体差の問題だと思います。ところが、古典栄養学は、ここまで切りこむ手段をもっていません。これに対して、分子栄養学は、人類共通の栄養条件をもとめるばかりでなく、一人一人の栄養条件をもとめる科学といってよいものです。それは、個体差に注目しつつ、人類全体を射程内にいれた栄養学なのです。

分子栄養学の分子は、遺伝子をさすものでした。周知のとおり、数十億といわれる人類のなかで、同一の遺伝子のセットをもつ人は、一卵性双生児以外にないのです。遺伝子に注目する栄養学は、一人一人を区別して、栄養面からみた個体差を問題にせざるをえません。そしてそこにこそ、分子栄養学の存在理由があるのです。

私たちのまわりを見わたすと、寝たきり老人もいます。朝から晩まで活動している人もいます。非行少年もいます。そうかと思うと、コンピューターを発明する人も、スペースシャトルの計算をする人もいます。ガンの研究をする人もいます。人それぞれに、能力に差があり、体力に差があり、健康レベルに差があります。そしてそれは、結局は個体差の問題になります。

このようなさまざまな面に個体差があっても、人間は人間です。その意味で、すべての人は古典栄養学の対象になります。しかし、このように巨大な個体差に目をつぶることは、現実的といえません。

私たちのあいだに、いくら大きな個体差はあっても、人間は人間です。その遺伝子は、人類の遺伝子なのです。私たちの生命活動は、遺伝子の完全な指揮下にあります。だから私たちは、鳥のまねもできず、魚のまねもできないのです。人間のやることはすべて、人類の遺伝子の指揮下にあります。能力の個体差が存在することは、遺伝子の指揮が干渉的なものではなく、寛大であることを証明するものです。遺伝子の指揮下において、ベートーベンは交響曲を創作し、アインシュタインは相対性理論を発見したのです。

こんな例をあげるまでもなく、人間の個体差は莫大なものです。それは結局は遺伝子のちがいと無関係ではありません。その個体差をその人の弱点にしないためにの栄養条件をもとめることが、分子栄養学の目的なのです。


*この文章は三石巌が会報誌「メグビーインフォメーションVol.5」(1983年5月号)に初めて分子栄養学を勉強される方へ向けて書いたものです。