林様インタビュー

 猛暑の東京から、頬に当たる風の気持ちの良い那須高原の林スズエさんのご自宅をお訪ねしました。林スズエさんは林式運動法を考案され1987年から父が亡くなる数日前まで、マッサージをしてくださっていました。

笹木
大変ご無沙汰しています。
父の身体のことは林さんにしか分からないので、お聞きしたいと思っています。
父とはメグビーの出来る前からのお付き合いだと思いますが、父との出会いはいつですか?
紺野治療院に勤めていた時だわね。社長が息子さんを連れてきたのが最初よ。
笹木
えっ!!私たちがきっかけなの?
そうなの。当時私が勤めてた紺野治療院に、社長が赤ちゃんをおぶって先生に連れられて来たのが最初。
笹木
それはビックリしたわ。
長男が小児喘息だったので父はとても心配してくれて、黒田研究所の光線治療器を買ってくれたり、どこで調べたのかリンパマッサージを受けさせてみようと、渋谷の紺野治療院には父に連れられて行ったんです。
父が受付で「まだ小さくて強いマッサージはかわいそうなので、女の先生にお願いします。」と言ったら林さんが担当になってくださったのよね。
それが父との最初の出会いだったんですね?
紺野先生はリンパマッサージを考案した先生で、筋肉が硬くなると身体に変調が来るということを自分の身体を通して知って発表した当時話題の先生だったのよ。
私はそこに10年勤めて、それから自分で治療院を開いたのよ。
笹木
私も次男をおぶって通ったので、肩が痛くて一緒にマッサージを受けましたよね。
最初はパウダーをつけて施術したら真っ赤になって「皮膚が薄いのねぇ」って言われたの。でも、次に行った時には、やり方が変わっていて治療着の上からさするようになったような気がするんですけど・・・
紺野先生の方法や野口体操や指圧の資格を取ったのは浪越先生の所だったので、それぞれのいいところを取り入れて試行錯誤して今の運動法にたどりついたわけなの。
パウダーはあなたが真っ赤になったので、皮膚の薄い人にはダメなんだと分かったからすぐに止めて、それからは使ってないわね。
笹木
私たち親子がきっかけだったとは、今まで知らなかったわ。
父の所にも随分長い間往診して下さってましたよね?
そう、メグビーが始まる前からですもの本当に長い間、通ったわねぇ。
毎週行くようになる前に先生から電話があってね。
酪農大(北海道)に講演に行くのに、腰が痛くて動けないので来て欲しいって電話でね。私は胃潰瘍で20日以上入院していて退院してまだ2~3日経つか経たないうちでね。「先生どうしても講演に行きたいんですか?」と、お聞きしたら「行きたいです!」と、おっしゃってねぇ。
200人も集まるので、キャンセルは出来ないからタクシーで来いって。(笑)
帰りはご主人(前社長)が送ってくださったけれどね。
2回治療したらピンシャンしてね(笑)誰も気が付かないほど元気に講演なさったみたいよ。
笹木
それは申し訳ありませんでした。
で、林さんの胃潰瘍の方は大丈夫だったんですか?
主人は死ぬかと思ったって言ってたわ。だって血の塊をはいて主人と弟に抱えられて入院したのよ。三石先生にお聞きしたらピロリ菌がいたんでしょう。ということで、退院後にピロリ菌退治の薬を飲んで完治したのよ。
笹木
今では常識になっていますけれど、まだピロリ菌なんて世間では言ってませんでしたよね?それで、林さんが飲んだ後に父と主人が続けて飲んだわけですね?
私は半信半疑でしたけれど、いつも痛がっていた主人がそれからは一度も痛いと言わなくなりました。
毎週往診に行くようになったのは1987年からなの。先生と奥様とお二人を治療するから一日中、先生のお宅にいたのよ。それで、患者さんには用事があったら先生のお宅に電話するようにって言うほど何年も水曜日は朝から夕方まで先生のお宅でしたね。
笹木
林さんのマッサージは2~3時間はやりますものね。
そうよ。 1時間くらいで身体全体をほぐすなんて無理!!チョコチョコって揉んでも、その時にはスッキリするけれど、すぐに元通りになるでしょ?
笹木
父は肩こりなんてしたことがないと言うのが口癖でしたよね?
でも先生の背中を触ってビックリしたのよ。鉄の塊みたいなんですもの。
ものすごく硬くて、手が入らなかったんですもの。
そのうちに、「もうこりは取れましたね?」と言うようになって(笑)
この治療法を本に書けって言われたのよ。「こんな治療は感覚的なことでどうやって言葉で表すんですか?先生が書いてくださいよ。」って言ったら「確かに難しいですね。僕にも書けませんね。」って。(笑)
仕事が忙しくて先生に頂いた本も中々読めなかったけれど、今は毎日先生の本を片っ端から読みなおしてるの。本当にすごい先生だなと思ってねぇ。
笹木
このあいだ五月書房の社長さんが、先生のように読みやすい本を書ける人は今はいませんって。
そりゃそうよ!難しいことを誰にでも分かりやすく先生みたいに、書ける人はいないわよ。三石先生って人は本当に偉大な人よね。
それに、先生の胸の厚さは半端じゃなかったわね。
朝行くと必ず運動をしていてね。外に行かない代わりに毎日運動して鍛えていたんだもの。頭もすごいけど、先生みたいな努力家もいないわよ。
笹木
そうだったわね。毎日毎日古くなった運動器具のきしむ音が聞こえてましたよね(笑)
先生は散歩をするのは時間の無駄だけれど、家にいても運動は出来るし、90歳になっても筋肉は鍛えられる。ってね。ある意味、合理主義者よね。
あんなに胸板の厚い人みたことないもの。私の診た男の人の中では一番だったわね。
笹木
林さんはスポーツ選手も診てたでしょ?その中でも?
アイスホッケーの選手たちの太ももは半端じゃないけど、そういう人たちよりもずっと胸板は厚かったわね。先生のあの身体は努力した結果だと思うわ。
笹木
でも胸板が厚いのは生まれつきのものよね?
それもあるかもしれないけれど、鍛え上げたって感じよね。
ブルワーカーは随分前からやってたでしょ?
笹木
そう私の子供の頃からね。それが良かったのかしら?
そのほかはクライマー、ボート漕ぎ、自転車漕ぎなどの運動器具が、部屋中においてありましたよね。(スキーや水泳以外の)運動は好きではなかったけれど、自分なりの運動は毎日してましたね。
毎朝ベッドから起きる時には身体を振る運動を教えたのね。それはずっとやっていたみたい。自分でいいと思ったことはちゃんとやる人だったわね。
(あの身体は)いろいろやった結果じゃないのかなぁ・・・・
笹木
良いと思うことは徹底的にやるって人でしたね。
この歳になって、先生の書いたものを読むとそうなんだな。私もそうしなくちゃいけないんだな。って思うのよ。本当にすごい人だったわねぇ。
笹木
栄養のことだけではなくて生き方とか考え方とかを教えていただいた。って皆さん言ってくださるものね。
私もそれを教えていただいたのよ!
笹木
そういう意味では父は幸せよね。何年経っても皆さんの心の中に生き続けているってことですものね。
それは先生が偉大だったってことよ。
本当にすごい人だったわねぇ!!だから先生の本を毎日何かしら読むようにしているわ。仕事をしていた時には忙しくてなかなか読む時間が無かったから、今は毎日読んでるの。
先生の本はちゃんとした裏づけがあってそれを私たちにわかりやすいように書いて下っているでしょ?
笹木
息子たちが理系に進んだということをあんなに喜んでくれたんだから、それが親孝行だったと思ってるの。
そうよ!本当に喜んでいたもの。
先生の頭脳を受け継いでいるんだから、二人には頑張ってもらわなくちゃ(笑)
ご主人が先生の頭の中を見てみたいってよく言ってたわよね。
笹木
そう。口癖みたいにね(笑)
メグビーを二人の孫が継いでくれたんだから、父は本望だと思うわ。
話はまた戻るけれど、林さんのマッサージは独自の方法だって事ですよね?
そうなの。患者さんの反応を見たり自分の身体で試したりしながら出来上がった林式運動法なのよ。
それはすべての関節を動かすことね。関節の稼動範囲が広くないとだめなのよ。
可動範囲が狭くなることで体調が悪くなるんだから。それと、腱関節と股関節を動かすことね。
この方法をみんなに教えたいというのが私の最後の夢なの。
林式運動法を一人でもやれる人がでて欲しいと思っているの。
出来たら子供たちに教えたいのよ。子供のうちに私の方法を知っていれば、いつでも自分の身体のケアーが出来るようになるでしょ?
栄養のこと運動のことをこれからの人たちに理解してもらうのが私の最後の仕事だと思ってるのよ。
そして、先生に言われたように本にもしたいと思っているの。
笹木
夢を実現させてくださいね!目的があれば元気で頑張らなくちゃ!って、思えますもの。
今日はありがとうございました。久しぶりにお目にかかれて、いろいろ伺えてとっても楽しかったです!!

林 スズエ 様:1926年生まれ 87歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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