永田先生インタビュー

永田先生にはホームページにも推薦文を書いていただいています。
 生前父は「永田先生は僕の尊敬できるたった一人の先生だ。」と、言っておりましたが、書斎から50通ほどの先生からのお手紙が出てきした。
 永田先生と対談して欲しい、というお声は沢山の方から頂いておりました。私がお話を聞かせていただくにはあまりにも敷居が高くて躊躇しておりましたが、快く引き受けてくださり、横浜のご自宅へ伺いました。
 対談の前に先生のプロフィールをご紹介させていただきます。

 フロンティア軌道理論を発表し世界の化学界に衝撃を与え、1981年にノーベル化学賞を受賞した福井謙一博士の助手として研究し、フロンティア軌道理論を発ガンそのほかに適用する研究を進めた。
 1962年新設の国立がんセンター研究所で、生物物理部長として発ガンのメカニズムを研究。発ガン物質が生体内でフリーラジカル・活性酸素を生成することを発見し、発ガンにおけるフリーラジカル説を提唱した。
 主な著書に「量子生物学入門」「ガン発生の機構」「人のガンは なぜ生じるか」「新しい量子生物学」「独創を阻むもの」「活性酸素の話」などがある。
 私が父から「読んでごらん!」と、渡された本が『独創を阻むもの』でした。
 そこには『21世紀の世界で、尊敬される国としてわが国が生きていくためには、日本人の独創性を高め、そこから生み出される知的成果を人類共通の財産として世界に提唱していく知的生産の発信国となっていく以外にない。-後略―』と、書かれています。
 父は自分と同じ考え方をする先生に惹かれ、尊敬していたのだと、改めて思っています。

笹木
今日はお宅にまで押しかけてきて申し訳ありません。
父とのエピソードなどお聞かせいただければと思っていますので、よろしくお願いいたします。
最初にお聞きしたいのは、父との出会いですが、父からは先生の本を読んでお電話をしたと聞いていましたが・・・
永田
1985年にお電話を頂いたんです。
笹木
電話番号はどこで調べたのでしょうか?
永田
聞いてはいませんが、多分出版社に問い合わせたんだと思いますよ。
私の『量子生物学入門』を読んで、質問があるので伺いたい、という突然の電話でした。
「ここは横浜と言っても大船寄りで、交通の便が悪いですから私が伺います。」と言ったんですけれど、「いや、私が行きます。」とここまでいらしたんです。練馬からは3時間近くかかったと思いますよ。
笹木
そうだったんですか。電話だけかと思っていました。訪ねてきたとは知りませんでした。どうしてもお目にかかってお聞きしたかったんですね。
永田
ここにいらしたのが初めての出会いなんです。先生はその時85歳でしたがお元気で、頭脳がさえていてビックリしました。
笹木
一人で伺ったんですか?
永田
そうです。少し足が悪いと言ってましたけれど、それはお元気でしたよ!身体はもちろん頭脳の冴えもですね、驚きました。
この部屋でこんな感じでどんな話だったか覚えていませんが僕の本の話、分子栄養学の話、学問の話をたくさんしました。
僕らはポーリングの本で勉強したものですから、ポーリングの話もしたような気がしますね。
この本は(量子生物学)入門といっても一般向けでは無くて、東大の大学院での生物学の講義をまとめた本で、専門書なんです。学生や専門の人でも「量子生物学なんて難しい」と言うような本なので、それを80過ぎの方が読んだことにとても、びっくりしましたね。
それから、頂いた本を読んで先生の偉さがだんだんわかってきましたけれどね。
先生の偉いところは独創性だと思います。
古典的な栄養学はどの食品にどんな栄養があるという学問だったのに、先生は分子生物学を基礎にしたわけですよ。
生体は酵素反応で成り立っている、酵素反応というのはタンパクから出来ている主酵素とビタミン、ミネラルなどの助酵素といいますか、補酵素が結合して初めて起こるわけです。
先生の理論では、主酵素と補酵素の結合に個人差があるということをおっしゃったんですが、当時、学会でもそういうことは言われて無かったですね。
笹木
“個体差”に注目したことが、今のメグビーの基礎になっています。製品の種類が多いのも個体差をカバーする為ですが、始めて飲む方にはどれを飲んだら良いのか多すぎてわからないと言われることがありますね。
永田
酵素反応で結合に個人差があって強さや活性に違いがあるということは聞いたことが無かったので、そういうことがあるのかな、と思いました。
結合を容易にするにはビタミンを沢山摂らなければならない、というのがメガビタミンなんですよね。
そういう点が新しい独創的な考えだと言えるわけです。それ以外でも、先生の独創的な考えというのは沢山あると思いますが、一番は分子栄養学を提唱されたということです。これはパラダイムの転換なんです。
古典栄養学から分子栄養学へのパラダイムの転換をされたということは、先生の大きな業績だと思っています。このことは、今の世の中に大きな影響を及ぼしていますからね。
笹木
“分子栄養学”という言葉は父の造語ですが、今では普通に使われるようになったし、大学の講義にもあるし、父は喜んでいると思います。
永田
それと先生がユニークだなぁと、思ったのは普通、病気と健康は分けて考えますよね。でも先生は健康レベルという一本の線で考えたわけですが、これも独創性なのかな、と思うんです。
これも誰も言わないことですよね。
確かに病気を持っていても元気に働いている人もあるわけだし、健康であってもダメな人もいるわけですから“独創”とは誰もが良く知っていることを誰も考えなかったように考えることなんですね。これを独創というんです。
先生は学習して欲しいとの願いで、メグビーがうまれ、それが30年経っても受け継がれているということは物凄いことだと思っているんです。これからもずっとメグビーには、存続して欲しいと思っているんですよ。
物を売って利益を得る為に会社を創るのが、資本の自己運動ですからね。それとは相反した形で会社を設立した、これは先生の素晴らしいところですよ。
笹木
確かに“学習のメグビー”ということが前提でしたから・・・
永田
毎月のインフォーメーションも、370号というわけですから、30年間書かれているわけで、これは凄いことですよ。
私は今までの対談とは少し違って、先生の独創性と先見性について話そうと思っています。
次に先見性ですが1986年に『文明の解体』が出版されていますけれどもこれは凄いですね。私も何回も読み返しましたよ。
出版された時に、羽仁五郎がマルクスの資本論、レーニンの帝国主義論を読んだときの感動を覚えた、と。今マルクスが生きていたらこういうことを書くだろう。と言ったというんですね。羽仁五郎という人は僕らの学生時代、論客でね、講演を聞いたこともありますけれど、ものすごく厳しい人なんですよ。歴史学者ですが、いろいろなことを厳しく批判して、人を褒めたりお世辞を言ったりするような人ではないんです。
ですから、羽仁五郎がそれだけのことを言ったというのは、この本の素晴らしさだと思いますよ。この本は独創的でもあるし、先見性もありますからね。
笹木
認めてくださったということですね。羽仁五郎さんとは自由学園で教えていた時にご一緒したので、対談が全集(三石巌全業績第1巻 『科学との出会いをもとめて』)に載っています。
永田
自然、人間、科学技術、資本。この4つの自己運動で歴史は作られると、言うのが先生の考え方ですね。嵐が起こるのも地震が起こるのも自然の自己運動なわけですよ。
先生は30年も前に言っていたわけですけれど、“今”それが起こっているわけでしょ。
自然、人間、科学技術、資本それが制御されずに来たことによって大型台風や豪雨、温暖化などが起こったわけですよ。今の気象状況は人間が作り出したものですからね。
福島原発事故だってそうですよ。地震も津波も温暖化に関係してるわけですから。
科学技術や資本の原理ですね。ただ電気が安くできればいいというようなことですよね。
全部この本で説明が出来るわけですよ。非常に先を見通したというか先見性があったわけです。若い人にとても読んでほしい本ですよ。
笹木
確かに父が言っていたような気象状況になってきていて怖い気がします。
永田
もうひとつの先見性は、私の研究していたガンについてですね。先生は1977年に『ガンは予防できる』を書かれていますけれど、その頃、学会でも誰もガン予防のことを言う人はいませんでしたね。
80年代の終わりごろからですから、ガン予防を言い始めたのは。そういう時代になぜ先生は予防のことを言われたのかと、自分の専門分野からみても先見性があると思っています。
笹木
その頃は、早期発見ということが重要視され、一般には予防するという概念はありませんでしたからね。
永田
それともう一つ、公害運動をなさっていた時期がありますよね。昭和40年代ですか、品川電線の鉛公害や池袋から大宮への40メートル道路のことについて運動されていましたが、道路運動の先駆けですよね。私たちは60年代になってからですから、20年も先に道路運動をされていますよね。
笹木
そういう運動をしたのは早い方だったんですね?
永田
ええ。非常に早いですよ。
先生のご年齢で革新的な考え方で世の中を見ようという人、また、体制批判する人は珍しいです。でも、今の時代に一番大切なことだと思うんですよ。
笹木
地域の中心になって鉛公害や有事の時には滑走路になるという大型道路の反対をしていました。父たちの意見が通って、道路幅を狭くして遊歩道が出来ました。
鉛公害の方は嫌がらせが多くて母は遠くに越したい、とよく言っていました。
(実家のある)小竹町に越してすぐに、その電線工場のそばの公園で長男を遊ばせたら、目が腫れてまぶたが開かなくなってしまったんです。
急いで近所の小児科に連れて行ったら、先生はすぐにその公園で遊ばなかったかと聞きましたから、地域の皆さんは知っていたけれど、区議会議員の経営する工場なので、運動には参加しない方が多かったみたいです。
それで地域の方にもっと実情を知ってもらいたいということで、父が下書きをして主人が書いた壁新聞を父の家の塀に貼っていました。活字のような字を書く人だったので、書くのは主人の係りだったみたいです。
子供たちが安全に遊べるように、公園の砂を全部取り替えるような交渉もしました。長男はしばらくして小児喘息になりましたが、“小竹喘息”という病名でしたから、本当に鉛公害はひどかったと思います。父も“鉛中毒による糖尿病”と診断されましたし・・・・
永田
先生も書いておられますが、ただ反対するのではなくて、理屈に合った、住民が納得できるような状況にするということですよね。
先生は保守的ではなくて革新的で、学習されて新しい知識を取り入れていくことで世の中を見ていましたけれど、あの年齢でそういう人は珍しいですよ。
体制批判が出来るということはものすごく大事なことなんです。
いまそれが一番大事なことなんですよ。で、ダメなのはマスコミですよ、全くチェックする機能が無くなっていますからね。このままいったら、若者にいつ徴兵が来るかわかりませんよ。
何が悪いって、戦争ほど悪いものは無いんですから。僕も兄が戦死していますし、友人はたくさん戦死していますからね。
そういう世代の人間ですから、戦争だけは絶対にしない世の中にしなければならないんです。道路運動も結局そこに繋がるんですよ。
人権とか民主主義とか、きちんとしたいと思っているんです。
私も道路運動を地域の方々としていますが、環境問題だけではないんです。
高度成長期に計画された10車線もある物流の為の大型高速道路ですよ。世の中の状況が変わり、他に大きな道路が出来て今は必要もないのに、昭和30年代に決めたことを、見直しもせず、その通りに実行しようとしていることに対する疑問と、この土地を分譲するときには10車線の大型高速道路計画があるにもかかわらず、生活道路で大船までバスで10分で行かれるようになると偽って宅地分譲したわけです。
ここに来る前には築地に住んでいましたから、静かなところがよくて買ったわけですからね。高速道路になるなら購入しないと言ったら、いや、生活道路です、と言いましたよ。
それで、みんなその時に説明を受けて越してきた人たちですから、町会として反対運動をしているわけです。ただ、環境問題だけではないんです。
笹木
それは詐欺じゃないですか!
永田
そうなんです。だからみんなものすごく怒っていますよ。もう25年になりますけれど、町会みんなで運動しているわけですが、25年も経つとみんな歳をとってきましてね。
若い人たちは関心が無いんですが、地域全体が取り組んでいるので、嫌がらせということはありませんでしたね。
裁判も今8件やっているんです。民主主義として許されないことですので、今後もやっていかなければと思っています。
笹木
8件の裁判は全部、圏央道なんですか?
永田
私たちが反対しているのは、圏央道の一部なんです。
圏央道は300キロありますけれど、その中のこの辺を通る9キロに対する反対運動です。
人口も減ってきているので、そんな大型道路は必要ないわけですよ。トンネルにするから良いだろうと言いますけれど、住宅の真ん中に10車線ですよ!
トンネルの大きさは、どのくらいだと思いますか?
笹木
???
永田
断面積は870平方キロですよ!
比較で言うと地下鉄の2車線が40~50平方キロですから、20倍です。
笹木
ものすごく大きなトンネルですね!
永田
世界一の巨大なトンネルで日本にはそんな大きなトンネルは他には無いんですよ。
笹木
そんなに交通量は多くないですよね?
永田
そうですよ。昭和30年代の計画をそのままやろうとしているわけですから。
輸入に頼っている今の日本の現状では物流の為のそんなに巨大なものは必要としていないんです。そんなものを作って20年後30年後に誰が使うかっていうことですよね。
日本の行政というものはこの程度なんですよ。
いくら反対されても何年かすれば担当が替わるわけですから、その繰り返しですね。
自分たちの為ではなく、これからの子供たちのことを考えて皆さん一生懸命なんですよ。
笹木
本当に孫たちの時代やその子供たちのことを考えると、どんな環境になっていくのかとても不安です。
最後にメグビーをお摂り頂いての感想をお聞かせいただけますか?
永田
メグビーの対談とか読んでいると非常に良く効いたから飲んでいる、という人ばかりですね。
私自身も一昨年心不全で入院した時に感じたことなんですけれど、メグビーを飲んでいたので皆さんと違うんです。
心臓で入院した人たちは皆さん心臓だけでなく、血管の治療をしているんです。でも私の場合、血管は非常にきれいで全く問題がありませんでしたね。それは、メグビープロを長年飲んでいたことの結果だと私は思いましたよ。
体験談にも、皆さん身体で体験して飲み続けているということが書かれていますが、それがメグビーの特徴だと思いますね。
飲んだ人は“にゅーすあらかると”に載っていなくても、そう思っている人は沢山いると思いますね。それが強みだと思いますよ。
笹木
それだけで成り立っている会社ですから(笑)
永田
世の中には飲んだら調子が悪くなった、なんていうのが沢山ありますからね。宣伝で売れているのではなくて体験した方が買うというのがメグビーの強みですね。
笹木
そうですね。ありがたいです。
ところで先生はお幾つになられたんですか?
永田
1922年9月生まれですから91歳です。
笹木
お元気ですねぇ。
永田
三石先生のようにはいきませんよ。95歳でスキーをするなんて(笑)
笹木
もしスキーに行かなかったら100まで元気だったかもしれませんね。
永田
絶対100は超えてますよ。日野原さんのように100歳を過ぎてもお元気だったと思いますよ。元気なことがかえっていけなかったですね。
僕はスキーなんてとてもね。杖をついて無理なことはしないし、外出もできるだけ断るようにしてますから。
笹木
その方が良いです!先生にはいつまでもお元気でいていただかないと困りますから。
今までの対談はお客様が中心でしたので、違う角度からのお話が伺えてとても良かったです。どうもありがとうございました。

永田 親義 先生:1922年生まれ 91歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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