奥田様インタビュー

笹木
こんにちは。
最近は徳島と東京を行ったり来たりで、とてもお忙しそうですね。
奥田
そうですね、月の半分は徳島です。
後でお話しますけれど、今度宿泊研修もするんですよ!
笹木
凄いですね!
奥田さんは長い間メグビーを飲んで下さっていますが、最初は本を読まれたんですか?
奥田
Fさんの紹介です。Fさんもメグビーを飲んでいたわけではないけれど、三石先生の講演会に一緒に行きませんか?と誘われたんです。それが1995年ですかね。
脳の話でした。(補足:1995年7月「頭がよくなる話」於アルカディア市谷)
笹木
三石巌なんて今までご存じなかったわけでしょ?どうして行こうと思われたんですか?
奥田
素晴らしい講演会だからと、古いお付き合いのFさんが言ったからです。
今までも健康の話だと思って聞きに行くと、商品を売るための講演会で、何度もがっかりさせられてるんですよ。
運動をしていたので、活性酸素に興味があったんです。ある会社では質問したら「勉強なんかしなくて良いんですよ。ちゃんと勉強している人が作っているんだから、あなたは売るだけでいいんですから。」とか。「商品についての質問は受けるけれど講演の内容についての質問は受けません。」とか。質問には答えないで「ホームページを見てください。」と言うんですね。説明している人が良く判ってないわけです。そんな会社ばっかりで、どの講演を聞きに行ってもがっかりしてました。
でも三石先生の講演を聞いたら、今までとはまるで違う世界でした。
それでもすぐにはメグビーを買わなかったですね。先生の本を何冊も読んで「本物だ、この勉強は自分に必要だ。」と思ったんです。
笹木
父のご相談日にはいつも来ていらっしゃいましたよね?
奥田
先生に会いたくて毎月行ってましたよ(笑)くだらない質問でもニコニコ笑いながら答えてくださいましたよ。変な奴だなぁというような顔もせずやさしい笑顔で接していただきましたね。帰ってもう一度本を読むと書いてあることばかりで。それなのに、本に書いてあるとか、嫌な顔ひとつしないで丁寧に解りやすく説明してくださって・・・
本当に失礼なことをしたと思いますが、先生の魅力ですよね。それが無かったら続けていなかったかもしれないですね。
どんなに商品がよくても、どんなに理論が良くても、そこには“人”がいるので、その人間性によってその商品を使うか使わないかは決まると思うんです。
笹木
父の魅力でメグビーは広がったと思っています。
奥田
本当に思い出しますねぇ。先生の優しい笑顔と感情をあらわにせず、どんな質問にもやさしく答えるあの姿勢を思い出しますよね。
笹木
穏やかな人でしたからねぇ。
奥田
三石先生の講演会に行かなかったら、今でもメグビーとのご縁は無かったと思いますし、今のような運動指導は出来なかったと思いますよ。先生との出会いで私の人生が変わったんですね。
笹木
分子栄養学やバランスボールの指導をすることはなかったかもしれませんね。
奥田
前からしたかったので、運動指導はしていたと思うんですよ。ただ高齢者に対する運動指導は考えてなかったし、栄養を取り入れての運動ということも考えていませんでした。
練馬に事務所があった頃、半田先生の公開講座がありましたよね。それが最初の勉強会です。
笹木
あの頃、公開講座は毎月ありましたね。事務所から一番近い銀行の会議室が借りられない時には図書館とか教会など転々として、会場の確保に苦労しました。
今では勉強会も事務所内で出来るので、会場の心配をしなくて良いので助かっています。
奥田
池袋の芸術劇場で“アカデメイヤ”という講座がありましたよね。僕も参加しましたが、三石先生が亡くなられた後の半田先生はとても厳しかったですね。三石理論を正しく伝えたいという気持ちが強すぎて、叱咤激励したのだと思いますが、厳しく指導する半田先生をみてメグビーという会社は本物なんだと思いました。
他はおだてて、売れ、売れと言う会社ばっかりですよ。
先生は本当に厳しかったですよ。でも、受け取り方だと思うんです。
それまでに話を聞いた怪しげな会社には無いことですよ。売れればいいんですから・・・
何度も裏切られていた時に三石先生との出会いがあって、感銘しこの勉強をしようと思ったんです。
1997年にある会の新年会で三石先生に講演をお願いしていたんですね。1月に確認のお電話を差し上げたら社長が出て、「父は亡くなりました。」と言われたんですね。 その少し前にその件でお話していましたから、ショックでしたよ。本当にあっと言う間に亡くなられたという感じでしかないんですよ。
その会で「三石先生は亡くなりましたけれど、恩師の代わりにまいりました。」と半田先生が挨拶なさったんです。この時に半田先生の講演を聞かれた方のうち4名が今でもメグビーを摂っていますよ。
笹木
そうですか。続けてくださって有り難いです。
奥田
半田先生は正しく三石理論を人に伝えたいので、どうしても厳しくなってしまうということをおっしゃつたことがあるんですよ。半田先生のことを思うにつけても三石先生の偉大さを思うわけです。素晴らしい理論は人によって受け継がれるものなんだなぁ、という実感がありますねぇ。それは他の会社には無いことですね。
勉強会に出ても何も判らないのに「皆さんご承知でしょうが・・・」と、半田先生がいつも言われるわけです。だから、不勉強を自覚することが出来て欠席はしないぞと(笑)
人との出会いは運命を変えるんです。
笹木
そうだったんですか。
父の死は突然だったので、半田先生もものすごい重圧があったんだと思いますね。
奥田
勉強を始めて何年か経った時、仕事先の本郷で白衣を来たドクターが本屋に入ったんです、どんな本を読むのかなぁ?とそばに行って、何気なく医学書を手にとってみたんですね。
今までだったらわからないような医学書を、です。でも知っている言葉が沢山あって読めたんです!詳しい意味はわからないけれど、拒絶反応が起きずに読めたんです。勉強を続けることの凄さに気づいた一瞬でしたね。抵抗無く読めたのは講義で聞いた単語が沢山あったからです。その時の感激は忘れられませんよ!
情報価値構造論の中で言う閾値が下がったということです。
今でも半田先生はいつも「三石先生は・・・」と言うじゃありませんか。常に恩師の名前が出るというのはとても信頼できるし、本当に尊敬できます。
先生の遺言でもあるわけですが、学習する人を一人でも増やしていくことが私たちの役割なのかなぁ、と。
半田先生のようには出来ませんが、微力でも続けていくことだと思いますね。
他の会社に無いものは何なのか。というと、この伝統ですよね。
笹木
確かに学習の大切さですね。
奥田
祖母は学習することは大切だと常に言っていた人なんです。「欣作。聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥なんだよ。」と。このことが大きく影響していると思います。
笹木
今、東京と徳島で何ヶ所もお教室を持っていますよね?
奥田
そうですね。中学の頃から剣道、弓道、空手と武道を続けてきて、運動指導をしたいと思っていたんですが、(埼玉県の)森林公園での“源流プロジェクト”というのに参加して始めてバランスボールを紹介され、運動と栄養と両面から健康自主管理をしましょう。という呼びかけがあったのは、2001年の4月でした。
その時にボールを使った運動が中高年には良いのではないかと思ったんです。
2泊3日でしたが全額メグビーが負担して勉強させていただいたんですよ。
笹木
それがメグビーでの運動の始まりですね。「バランスボールを使った運動で、寝たきりをなくそう!」ということで、指導できる人を育てるという企画でしたから。
奥田
武道は軸を非常に大事にするんです。それにはこのバランスボールも軸の意識を作れるのでいいのではないかと思ったんです。
軸がぶれている人は自分では判らないんです。ぶれていることに慣れてしまうんですね。でも、それを戻してくれるのがバランスボールなんです。
笹木
ずっと奥田さんの運動を続けているHさんは年齢(94歳)のわりにとてもお元気です」よね。(第一回の対談に登場
先日も那須にご一緒しましたが、凄く健脚ですよね。テレビはいつもバランスボールに座って見るそうですよ。
「三石先生の年までは元気でいるようにって息子に言われていたけれど来年1月には95歳だから、もう責任は果たせたわ。」って、笑ってましたよ。
奥田
100歳まで元気でいてくださいってお願いしているんですよ。でないと、私の運動がウソになりますからって。(笑)。
笹木
あんなふうに元気でいられるっていうことは凄いことだと思いますね。背中も曲がっていないし、頭もしっかりしているしね!
奥田
身体が健康でなければ、頭は元気でいられないと思うんです。
笹木
Hさんが参加している(千代田区)九段のお教室は随分続いていますよね。
奥田
バランスボールを使った運動と分子栄養学の基礎を学ぶ教室です。他にもパーソナル・トレーニングもしています。教室が2回とパーソナルが2回ですから、多い方は月に4回やっています。猫背だった方が真っ直ぐになって、背が2センチ伸びたんですよ!
そういう方々に支えられています。
パーソナルでは身体を支えることが歳をとってきたらとても大切ですから、筋トレをして下半身の筋肉をつけるようにしてくださいと、お願いしています。
笹木
デイサービスではかなりご高齢の方だと思いますが、お話も理解してもらえるんですか?
奥田
不思議なんですけれど熱心なんですよ。普通は食後寝るそうなんですよ。ところが私の教室の時には一人も寝ていないと職員が驚いているんですよ。それなりに聞いていてくれますね。
身体を支えることが歳をとって来たらとても大切ですから筋トレをして下半身の筋肉を付けるようにお願いしています。
それから、情報の価値ということがとても大切だと思うんです。個体差の栄養学ということは変わらないけれど、複雑系という形で先生の理論を発展させたのは半田先生ですからね。
笹木
奥田さんは肌がつるつるですけれど、商売柄(美容関係)お手入れをしていらっしゃるんですか?
奥田
保湿は大切なので美容液と化粧水は付けますけれど、やっぱりヒトフードでしょ!
肌がきれいだと言われるとプロテインの話なんかをするんですよ(笑)
私はかなりプロテインをとっていますし、特にトレーニングした後は多いですよ。
笹木
何時もどのくらい摂っていらっしゃいます?
奥田
少ない時で40グラムです。皆さん摂る量が足らないですよね。
私は尿酸値が高くて投薬を受けていますし、コレステロールも高いですが医者は何にも言いませんよ。言っても飲まないのは判っていますから。(笑)
笹木
痛風の発作はどんな風になるんですか?
奥田
何回も経験していますが、歩けないです。薬はメグビーを摂る前から飲んでますね。
メグビーを知ってから、栄養でどうにかならないかと工夫してみましたが、どうもうまくいかないですね。
私は皆さんに言うんですよ。40過ぎて賞味期限、保障期限が切れているのに図々しく生きていこうというのなら手入れをしなければだめですよ。って、言うんですよ。
いちいち味がどうのこうのと言っている場合じゃないですよ。
私はお陰さまで健康レベルの高い状態を維持していますけれど、年齢からしてもいつ何か起こってもおかしくないという覚悟はありますよ。だからこそ、真剣に健康自主管理をしなければいけないと思っています。その為には学習しないと無理だと思いますので。
“学習”を純粋に薦めるという会社は日本にはメグビーしかありませんからね。
笹木
それは永田先生も先日の対談の時に言ってくださいました。
奥田
そうですか。永田先生のような方にサポートして頂けると何よりも信用できますよね。
学習のメグビーということをもっともっとアピールしたいですね。
皆さんが結果を出さなければ広がらないんですよ。私の教室が大きくなるには皆さんが変わることだと言うんですよ。あなたを見て「何をしているの?」「年齢の割りに元気だけれど何かやっているの?」と思われた時に、広がっていくわけです。
そういう方は沢山いるのに、私なんか・・・と言って発信しないわけですよ。でも社会参加、歴史参加という意識を持って、皆さんに自分にも役割があるということを自覚して欲しいですね。それが三石先生のお考えだったわけですからね。生き証人が沢山いるんですから・・・
笹木
その為にはこの対談をすることも一つの役目だと思っています。
奥田
そうですね。いくら穏やかな人でも、一瞬は嫌な顔をするじゃないですか、でも先生はそれもありませんでしたね。先生は学習するということで自分の感情を超えたんですね。
笹木
それは見習わなければいけませんね。
奥田
学習が足りないということと、私のフォローも充分ではなかったわけですが、メグビーを飲んでいれば大丈夫だと思っている人がいるわけですよ。その方が大病をした場合、こんなはずじゃなかったと思うわけです。そう思ってやめていく。
それが非常に残念ですね。学習していればわかることなのに、それをしないと何かあった時に、たじろぐんです。メグビーをやめて行った方の中にはそういう方が沢山います。実はその時こそ!なんですけれどね。学習がいかに大事かということなんです。
デイサービスではほとんどがお話です。ボールも大きいのは危ないので、小さなボールを使っています。病気を持っている方がほとんどなので、先生が言われていたように“病気と健康を分けない”ということを話します。健康レベルを上げること、脳の話などしますね。話の材料があるのはありがたいです。
笹木
ボケずに心身ともに自立できる健康状態でいられることはとても幸せなことですからね。これからも頑張って皆さんの指導にあたっていただきたいと思います。
今日はどうもありがとうございました。

奥田 欣作 様:1947年生まれ 66歳(インタビュー時)

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