渡辺様インタビュー

笹木
予報では雨と言っていましたけれど、まだ降っていなくて良かったです。
渡辺
私なんかお話しするようなことは何もないんですけれど・・・。
笹木
渡辺さんと対談して欲しいと何人もの方に言われました。
何年か前に体験を話されたテープを文章にしたものがここにあるんですけれど、大病をなさったんですね。
渡辺
これは四国の介護施設で話をした時のものですね。
笹木
随分前からお飲みいただいていると思うんですが、メグビーを知ったのはYさんのご紹介ですか?
渡辺
そうです。Yさんとは両方の母親も父親も松山で同じ学校だったので、親同士はとても仲良くしてましたね。それに、遠い親戚なんですよ。
私も松山で育ちましたが、結婚して東京に住むようになって10年後に両親を呼び寄せたんです。
その頃にはYさん一家も東京に住んでいたので、両親はよく行き来していましたね。
笹木
それはお幸せでしたね。歳をとって引っ越すとお友達が居ないのが一番寂しいことですものね。
渡辺
そうなんですよ。
その頃は、疲れてもどこかが悪いなんて思ったこともなかったんです。
まさか肝臓が悪いなんて思いもしなかったんですけれど・・・。
笹木
自覚症状はなかったんですか?
渡辺
献血に行ったら、血液の比重が軽いからと断られたんですよ。
一度は検査を受けなければと気にはなりながら、父の看病でそのままになっていたんですね。
駅までは自転車で行くんですけれど、どうしてこんなにペダルが重くなったのかしら?と、主人に話したら、「空気が足りないんだろう。」と、入れてくれても、ぜんぜん変わらないわけですよ(笑)父が亡くなった年の暮れに、娘がお産で里帰りしてきてそれなりに疲れてはいたんですけれどね。
年が明けて、突然吐血して救急車で運ばれましてね。
献血を断られて5年後のことです。52歳でした。
笹木
渡辺さんもですけど、ご主人もビックリなさったでしょうね。
渡辺
アルコールは飲むかと聞かれましたけれど、お酒は飲めないんですよ。
検査したら、ガンでも、ウイルスでもなくて、原因はわからないけれど肝硬変だったんですね。
1ヶ月の間に2回も手術をして、入院も3ヶ月になりましたね。
何故吐血したかというと、知らない間に肝硬変になっていて、肝臓に入る血液が逆流して、胃や食道の周りに血液が溜まり、行き場がなくなって静脈瘤がたくさん出来て、そのうちの一つが破裂して血液が口から出たんですね。
緊急手術になりましたが、大変な手術で明日の陽の目は見られないだろうと覚悟して手術室に入りました。
笹木
それは、大変な手術だったんですね。
渡辺
医者からはタンパク質をしっかり摂るように言われましたけれど、今まで栄養のことを考えたこともなかったんです。肉や魚や卵もほとんど食べずに、好きな野菜ばかり食べてましたから・・・。
退院した日にYさんが、母に会いに来ていたんですよ。
それで、肝臓が悪いならタンパクが必要だと言って、栄養の話をしてくれて、先生の本を3冊貸してくれたんです。
笹木
何の本だったのかしら?
渡辺
『高タンパク健康法』『ビタミンE健康法』『ビタミンC健康法』の3冊だったと思います。本を読めばよく解るからと言われて、まず主人が読んだんです。
そうしたら、早速飲んだ方がいいと、すぐに注文してくれたんですよ。
それから、ちょうど30年飲んでます。今が82歳ですから。
笹木
長い間、飲んでいただいてありがとうございます。
渡辺
「今までのような普通の生活はもう出来ませんよ。寝たり起きたりの生活になると思います。」と言われて退院したんですよ。
退院後は3ヶ月から6ヶ月に一度検査に行くんですけれど、行くたびに元気になっていくので、先生は首をかしげていましたよ。(笑)
元気になったのはメグビーのお陰です。
栄養に無関心だったから、病気になったと思ったので、メグビーの勉強会には必ず出席していました。たくさんの出会いがありましたね。
辛い時も皆さんに支えていただいたし、もしメグビーを知らなかったら編み物をしているだけの生活だったと思うんですよ。子供の頃から編み物が好きだったんですね。
私の後半の人生は全くそれまでとは変わりましたね。今ではメグビーが生きがいです!
笹木
そんな風に思っていただけて、とても嬉しいです。
渡辺
勉強会に参加していたからOさんとも知り合えて、運動を教えていただけているんですから・・・。
笹木
九段下の運動教室ではパーソナルトレーニングも受けていらっしゃいますよね?
渡辺
そうですね。パーソナルが月に2回。皆さんと一緒に運動するのが2回。長谷川さん(2013年2月に対談)とOさん主催の勉強会が1回。メグビーの専科が1回。月に6回は飯田橋に来ていますよ。(笑)
今日もこれからパーソナルトレーニングです。
笹木
月に4回九段下で運動をして、ご自分でも習ったストレッチを毎日していらっしゃるんでしょ?
渡辺
そうですね。私は栄養と運動と休養が大切だと思っているんです。
肝硬変になると長くても20年だそうで、30年も生きているのは珍しいことだそうですよ。これもメグビーのお陰です。
笹木
メグビープロはどのくらい飲んでいらっしゃるんですか?
渡辺
体重が少ないので20gです。妹は熱いコーヒーに入れると美味しいと言うんですけれど、私は冷たいジュースです。最近はりんごジュースにスポーツドリンクを加えると甘くないのでね。ミックスを入れると飲みにくくなるので粉のまま飲んでいます。
肝臓には葉酸が必要なのでメグビーCも飲んでます。そのほかにはメグビーA、E、B、Q、S・・・。
骨密度がギリギリだったので、ボーンを飲んでいたんですけれど、高カルシウム血症になって2年前にやめたんです。肝臓が悪いと調節が出来なくて、カルシウムの数値が高くなってしまうんですよ。
笹木
今の体調はいかがですか?
渡辺
肝臓に水が溜まるんですよ。腹水ですね。ですから利尿剤は毎日飲んでます。
利尿剤の副作用の一つはカリウムが不足することなので、カリウム剤は飲んでいます。
利尿剤の量を減らすと腹水が溜まってお腹がパンパンになるし、カリウムが減ると足が猛烈につるんです。
それも普通のつり方ではなくて、2時間くらい苦しむんです。
腹水が凄く増えてきた時には水分の制限をするように言われていたんですよ。
2年前のあの猛暑に、先生の言うように水分を控えていたら水分不足で脱水症状になってしまって、カルシウム値が異常に高くなり入院になってしまいました。 カルシウム値が正常になるまでということで、結局10日間も入院しました。
笹木
水分の制限はどの位なんですか?
渡辺
食事の時にお茶1杯の他には500cc以内と言われて、口がカラカラに渇いても守っていたんですよ。
笹木
暑い夏に500ccはきついですね!
コレステロールが高いとお聞きしてたんですが・・・。
渡辺
家族性ですね。母もそうでしたし、娘も孫もみんな高いんです。
メバロチン(コレステロール低下薬)は、コレステロールだけでなくQ10も作れなくなるでしょ。エネルギーを作るのに必要なQ10が作れないのは困るけれど、メグビーQを飲めばいいと思ってます。アメリカの新薬も試しましたが、これは効きませんでした。
長い間の経験でメグビーも薬もその日の体調によって増やしたり減らしたりしているんですよ。(笑)
だから何をどれくらい飲んでいるの?と、聞かれてもお答えできないんですよ(笑) だって、個体差もあるわけだし、参考にはならないと思いますよ。
笹木
それは自主管理ができているということですね!
渡辺
先生の御本にもあるように、健康自主管理が大切だと思います。
息子は会社の検診で肝臓がんが見つかったんです。まだ、42歳でした。B型肝炎から肝臓がんに移行したんですね。大きいものは5cm位、そのほか5㎜くらいのが2個。手術で全部取るしかないと言われたんです。他の病院ではもう打つ手がないからと、ビタミンを薦められましたね。
それで、三石先生にご相談したんですが、先生にも手術はしないほうが良いと言われましたが、もう日程が決まっていたので結局手術はすることにしたんです。
三石先生に薦められた製品はいろいろあって、月に15万円ほどになりました。
その中で特に多かったのがメグビーSは15本。Aは10粒でした。メグビーと痛み止めを毎日飲んで亡くなる40日位、いや30数日前までかしら?仕事も出来たんです。
笹木
凄い気力ですね!
渡辺
息子が心配で会いに行きたくても、(同居の)母が寝たきりなので、行くわけにも行かず、母には私しかいないけれど、息子には嫁が居るんだから、と自分に言い聞かせたんです。その頃が一番辛かったですね。
痛みが段々ひどくなってきて、嫁は背中をさすることしか出来ないと言って夜も寝られないんですね。そんな時に、ホスピスを紹介されて入院して1週間で亡くなりました。
笹木
お辛かったですねぇ。息子さんはお幾つだったんですか?
渡辺
45歳で亡くなりました。丸3年の闘病でした。
父も亡くなりましたが、母は長生きで97歳になる1ヶ月前に老衰で亡くなったんですよ。
笹木
それはご長寿ですね!お母様は苦しまずに?
渡辺
そうですね。本当に眠るように亡くなりました。 そのあとは主人なんですよ。血圧は高かったので自分では脳梗塞で逝くと思っていたようで、「もし、何かあってもすぐに救急車は呼ぶな。」って、いつも言っていたんです。(笑)
しばらく経ってからなら、「残念ですが手遅れです。」って、そのまま静かに逝けるからと・・・。
息子の苦しむ姿を見ていたから、コロッと死にたいといつも言ってましたね。(笑)
そうしたら、何の病気もしないまま心筋梗塞であっという間に、亡くなったんですよ。
私は、勉強会はずっと休まず参加していて、その日は目黒の勉強会だったんです。
勉強会の後はいつも皆さんでお食事をするんですよ。
その日も主人の夕食は作って出たんですが、帰ったら、おはしを持ったまま亡くなってました。テレビもついていて、本当にあっという間で苦しまなかったんだと思います。
皆さんには「さんざん看病をしてきた人生だから、あなたの為を思ってご主人は看病をさせたくなかったのよ。」と、慰められました。
笹木
ご自分もご病気を抱えながら、看病をするのはとても大変でしたね。
でもお母様は、ご長寿だからその遺伝子を貰っているんですもの。どうぞ、お母様以上に長生きしてくださいね。
皆さんが渡辺さんとの対談を希望していたのがわかりました。
大きなご病気を冷静に捉え自主管理して、そして、たくさんの死を乗り越えて、今は生きがいを見つけて明るく生きていることを病気で悩んでいる方に知って欲しいと言うことだったんですね!渡辺さんはいつも笑顔ですもの・・・。 今日は貴重な体験談を、どうもありがとうございました。

渡辺 里子 様:1931年生まれ 82歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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