阿部様インタビュー

笹木
お忙しいところを事務所にまで押しかけてきて申し訳ありません。今日はよろしくお願いいたします。
お父様のご病気がきっかけで来られるようになった、と父に聞いていましたが、いつごろからですか?
阿部
30年以上前になります。三石先生も70代でした。
父が56歳の時に胃ガンが見つかって全摘手術をして、術は成功したのですが、すぐに喉頭ガンを併発しているのが見つかり放射線治療をしてこれも軽快しました。
しかし、ガンでしたから、私なりに転移と再発を防ぐには何かないかと、たくさんの本を読みました。
その時に先生の講談社新書の「高タンパク健康法」「ビタミンC健康法」「ビタミンE健康法」を読みました。
ビタミンCやEやAがよいということがわかっても、製品をどこで入手したらよいのかわかりませんし、“メガビタミン”と書いてあるので相当の量を飲むことはわかりますが、どのくらい摂取したらよいのかわかりません。
それで、たまたま奥付を見たら電話番号があったので、電話をしたのが最初です。
笹木
父の本には住所も電話番号も書いてありましたけれど、そんな本はないですよね?
阿部
はい。あまり見たことはありませんでした。電話をしましたら、先生が直接電話に出られました。
父のことを話して、「先生の本を読みましたが、細かいことがわからないのでお電話しました」と言ったら「こちらに来られませんか?」とおっしゃったんです。
「エッ。伺ってもいいんですか?」と言うと、先生は「どうぞ来てください」と。(笑)
笹木
それが30年以上前のことなんですね?
阿部
そうです。2時間程お話いただいて「あなた、よく勉強されていますね」と言われたので、「先生の本をかなり読みました」と答えました。(笑)
メグビーができる前のことなので、市販しているいろいろなメーカーのビタミンも教えていただきました。
ビタミンEはエーザイ、ビタミンCはロッシュだったと思います。その後、月に一度くらいのペースで先生のご自宅に伺っていました。
笹木
お父様の近況報告にいらしていたということですか?
阿部
そうですね。父の経過報告をお話するうちに、ビタミンにどうしてそういう効果があるのかというお話になりました。
ですから、栄養学について先生の個人授業を受けていたようなものです。毎回2時間くらいでしたが、先生の話を聞くのはとても楽しかったです。
その時、先生のご自宅の応接間で、笹木さんとまだ小さかった息子さん達にもお目にかかりました。
笹木
本当に長いお付き合いということですね。私は阿部さんがとっても印象に残っているんです。
紺のBMWが停まっているときは阿部さんがいらしているんですよ。
私は免許を取ったばかりで、紺のBMWに乗りたいって思っていたものですから(笑)
お父様はメグビーを摂られて調子はよくなられたんですか?
阿部
はい。健康レベルは上がったと思います。
父はガン治療の影響で栄養の吸収がうまくいかなかったので、入院中は主治医が栄養について考えてくれました。
ビタミンBやCは静注したほうが早いからと点滴で補給していましたし、プロテインのアルミパックも処方してくれました。
栄養学に理解を示してくれた革新的な先生で、よいと思うことは何でもやってみましょうという姿勢でした。
劇的に効果があったのは放射線治療の後のメグビーSですね。
放射線治療の直後に大量のメグビーSを飲んだところ、ほとんど放射線の副作用が出なかったんです。
これは京都の友人が食道ガンの手術後、肺ガンを併発して放射線治療をしたときも同じでした。
メグビーSが放射線治療の阻害要因にならないかと心配して、三石先生に伺ったところ「放射線治療の効果は短時間でメグビーSが効くまでは時間がかかるから大丈夫」とおっしゃいました。
笹木
京都のご友人の方は憶えています。
芸術家の方で、ご一緒に父のところにいらっしゃいましたよね。
阿部
はい。彼はとてもよく勉強をしていて、三石先生にもいろいろ質問していました。
それまでにない新しい免疫療法を京都府大で試していましたよ。
その時、私が三石先生に教わった免疫のメカニズムを図解して友人に渡したことがありました。
彼はその後、テレビに出演した時、その図を使って自分の免疫療法の説明をしていました。
笹木
そんなこともあったのですね。
お父様は胃を全摘していたということは、お食事はどうなさっていましたか?
一度にたくさん摂ることは難しいですよね。
阿部
はい。食事の量は少しでしたから、メグビーのお陰で助かりました。
父はメグビーを真面目に飲んでくれて、ガンと20年近く闘いながら75歳まで生きました。
長生きしたほうだと思います。ガンの手術や治療による消耗は大きかったと思いますが、亡くなったのはガンではありませんでした。
私も父が始めたことからですから、30年以上メグビーを飲みつづけています。
三石先生に「今から飲んでいればずっと元気だよ」と言われて、現在に至っているわけです。(笑)
内臓の病気はしたことがないですし、先生と一緒で今でもスキーをしますし、サッカーもやっています。
笹木
サッカーはハードなスポーツですもの。凄いですね!
阿部
試合の後にはいつもメグビーSを2本飲みます。疲労の回復がぜんぜん違います。
それから、筋肉系のけがをした時は、もっと大量に飲みます。
炎症には驚異的に効果がありますね。
数年前、歯の手術をした時も、術後は「かなり腫れる」とお医者さんに言われましたが、メグビーSを大量に摂ったお陰でほとんど腫れませんでした。
笹木
阿部さんは今どのくらいメグビーを飲んでいらっしゃいますか?
阿部
毎朝、メグビープロ30g、ミックス2本、S2本、E4粒、A3粒、カロチン3粒、Q3粒、ボーン6粒、B10粒、ミネラル3粒、F2本そんなところでしょうか。
少し体調の悪い時には、ミックスとSを寝る前に摂るようにしています。
出張の時はメグビープロミニパックを2袋、粒のものは1日ずつ小分けして、必ず飲むようにしています。
笹木
ヒトフードはどんな飲み方をしていらっしゃいますか?
阿部
アップルジュースを水で割って、プロテインとミックスを入れて飲んでいます。
30年以上、私の朝食はメグビーです。
笹木
阿部さんは父のところに来られて栄養のこと以外にも話しをされましたか?
阿部
はい。いろいろな話をしました。
先生はこちらがよく学習しているとよくお話をしてくださいましたので、伺う前には学習をして、それを確認するという形でした。先生はとても丁寧にお話してくださいました。
笹木
どんな話が印象に残っていますか?
阿部
「健康になるためには知識が必要だ」と言われたことは印象的でした。
先生は、いつもなぜなのかということを突きつめて、理論を確立し、実践して検証するということをやられていました。
栄養学でも先生がかなり前に書かれた推論が段々に実証され、時代が先生に追いついてきたという感じです。
活性酸素もコエンザイムもそうでした。
それは、先生の構築した理論構成がしっかりとしていて極めて本質的であったからだと思います。
先生の研究対象は分子生物学であり、栄養学でしたが、すべての根底には本質を見極めようとする姿勢と推論して実践するという先生の手法がいつもあったと思います。
そのことが一番勉強になりました。
それからいつだったか、先生の著書を読んでいるうちに漢字を使わずにひらがなを使っていることが多いので、先生に質問したことがありました。
先生は「わざとそうしています。そのほうがまちがって理解しませんから」とおっしゃいました。このことは編集に関わる仕事をしている者として、今でもこころがけています。
メグビーはいままで何人もの方にご紹介しましたが、試してはみても続けられている方は多くはありません。
やはり、基礎になる理論をしっかりと理解しないと継続するのは難しいのかもしれません。
「プロテインが主酵素でビタミンは助酵素と考えましょう。だからプロテインが欠かせないのです。」と説明してもなかなかわかっていただけません。
先生がおっしゃられていたのはこのことなのかと思いました。
「漫然と歳を取るべからず。学習者として歳を取るべし」という先生の教えは、今でも大切にしています。
笹木
何十年も個人的に密に接してこられた方は阿部さんお一人かもしれませんね。
阿部
そうだとしたら、ずいぶん贅沢な授業を受けてきたということですね。(笑)
笹木
半田さんと同じ時期か、もしかしたら少し早いのかもしれませんね。
阿部
先生に「教え子たちとの勉強会に来ませんか」と誘われたことがありました。
笹木
金曜日に学士会館でやっていた勉強会ですね。 阿部さんは父が顧問をしていたC社、V社、そしてメグビーと、ずっと父と一緒だったのですね。
読者でそんなに古くから父と一緒に行動していた方にお目にかかったのは、初めてかもしれません。
阿部
先生がメグビーを設立する前に、C社が先生の処方どおりに製造しないでコストを下げることをやっていたことがあって、先生は「安全で価値の高いものを安く作るには自分でやるしかない」とおっしゃっていたことを憶えています。
そういうことで、私は三石先生しか知らないんです。
半田先生には先生のお宅で紹介された記憶がありますが、他の方にはどなたとも会っていないんですよ。
笹木
よくお目にかかりましたけれど、いつごろまで父のところにいらしてましたか?
阿部
先生が亡くなる前の年の暮れ(1月17日没)にも伺っています。
その頃は3ヶ月に1度くらいのペースでした。その時に先生がとてもお元気そうなので「先生、ここ数年で一番体調がよろしいんじゃないですか?」と申し上げたら、先生が「そうなんです」とお答えになったことを今でも憶えています。
笹木
父は亡くなる少し前に「絶版になった本を出す時は阿部さんに頼もうかと思っているんだよ。
よく聞いてみたら凄い技術のある印刷会社みたいだよ。」と言っていましたけれど、本を出しましょうか、みたいなお話はなかったんですか?
阿部
先生に教えて頂く時間が無くなるのが勿体無くて、仕事の話はあまりしませんでしたが、絶版の本を元に、再印刷して出版するのは技術的には問題ないと先生にお話したことがあります。
それで先生がそうおっしゃったんだと思います。
当社の印刷編集部門はメーカーの取扱説明書が主力で、技術と品質には自信がありましたが、出版部門は当時、美術出版だけでした。
健康関連の書籍を出版するという話しにはなりませんでした。
笹木
そういう会社だったんですね。 絶版になっていた「健康自主管理システム」の再版を引き受けていただき、助かりました。
阿部
どういたしまして。こちらこそありがとうございます。
先生の業績と関わることができて、とても光栄です。
みなさんの分子栄養学に対する理解が『健康自主管理システム』の再販で深まれば、少しですが先生への恩返しになるかもしれません。
笹木
今日は長い時間どうもありがとうございました。

阿部 秀一 様:1953年生まれ 60歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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