大武様インタビュー

笹木
お忙しいのに、おいで頂いて申し訳ありません。どの位時間がかかりましたか?
大武
車で2時間ちょっとですかね。毎日こんなもんです。
9時から5時までは新宿の事務所に毎日来ていますから、どうってことはないです。(笑)
笹木
幾つも会社を経営していらっしゃるからお忙しいでしょうね。
父を知ったきっかけは本ですか?
大武
いや、新聞ですね。
笹木
“どうぞ、お先に”(1994・1・7~12・23 産経新聞で49回連載)ですね?
大武
最後に連絡先が出たので早速お電話して会いに行ったんですよ。その日からメグビーを飲まない日はないですね。その後も3回ほどご自宅に行ったと思いますね。
笹木
父に興味をもたれたのは、体調が悪いとか何か問題があったからですか?
大武
両親ともガンで60代で亡くなったので、当然私もガンになるだろうと思って、何か自分でできることがあるかなぁ。と思ったわけです。
お宅に伺って高タンパク、メガビタミンの話を聞きましたよ。
先生と話しながら両親は低タンパクだったんだと思いましたね。タンパク質とかビタミンとかは積極的に取らないとダメですよね。健康でいるためには欠かせませんね。
私は毎日お手伝いさんがミキサーでプロテインを作って、粒も数えて用意してくれるので、キチンと飲んでますよ。(笑)
笹木
牛乳ですか?
大武
牛乳ですね。バナナも入れているんじゃないかな??
笹木
まかせっきりなんですね?(笑)
大武
そうです。毎朝強制されるんですよ。(笑)飲まないと、ちゃんと飲めって叱られるんですよ。(笑)それと野菜サラダだけで昼は抜きです。
笹木
お昼を召し上がらないのは、たくさん飲むから腹持ちがいいということですか?
大武
そうじゃなくて、食べればエネルギーを使うから活性酸素を出す可能性があるということですね。慣れたらお腹はすきませんよ。私は労働者ではありませんからね。
昼を食べるのは時間の無駄ですしね。その代わり夜に肉や魚をたべますから。
腹八分目といいますけど、私は六分目くらいで、パンやご飯はほとんど食べませんが、甘いものは食べますよ。好きなんです。
笹木
見た目もぜんぜん変わられていないですよね。とても86歳にはみえませんよ。
以前、ご自宅をジムのようにしてあるとお聞きしてましたけれど、今でもやっていらっしゃるんですか?
大武
事務所の3階に要支援の方たちのトレーニングの場所を作ったんですよ。
スウェーデンの機械を何種類か置いて、理学療法士たちが週3回指導しているもので、私もそこでやるようにしているんです。皆さん座っていると元気そうでも立つとヨロヨロしたりしてね。
お年寄りでも筋肉を傷めないで運動出来るという機械なんですね。
つまり、介護にならないために筋肉を鍛える運動ですね。歩けなくならないように筋肉を鍛えるのが目的ですね。理学療法士とか接骨とか資格のある社員がいるんですよ。
送り迎えもするんですが、独居老人が多いですね。家族がいる場合でも、家にいると運動をしないから定期的に運動させたいという方ですね。
かみさんもその日は運動してますよ。私の仕事が終るまで何人かで編み物をして、被災地に靴下を送ってますよ。
笹木
これからは私たちのような団塊の世代の人たちが利用するようになるから、非常に必要とされている仕事ですよね。
主人と招待していただいたイタリアレストランもまだやっていらっしゃるんですか?
大武
青山のね?やってますよ。話が来れば何にでも手をだすから仕事が増えるんですよ(笑)
大損もしましたし、詐欺にあった事もありますしね。
マリーナは貧乏マリーナですけれどね。自分の船を管理させる為にやったわけですけれどね。うちに係留している方は千葉とか埼玉とかが多いですよ。
一番新しい方は下井草って言ってましたね。近くの人はいないですねぇ。
車で来て船に乗って釣りをして帰っていきますよ。
今年あたりから少し景気はよくなってきたようですね。
笹木
確かに都会に住んでいるから海が恋しいわけですものね。
大武さんは、海は見えるし朝陽は見えるし、素敵なところにお住まいですね。
大武
そうですね(笑)是非、遊びに来てくださいよ。近くに海鮮のレストランもありますしね。
笹木
父の告別式のときに「主人は先生の仰った通りに飲んでいるんですよ。」って奥さまが言って下さったけれど、長い間飲んでいてほかの方よりも体調がいいと思われますか?
大武
そうですね。昔の人は低タンパクですよ。タンパク質が必要だなんて誰も思っていませんでしたからね。86にもなると病気で亡くなって、友達はほとんどいませんよ。
あんまり歳をとった感じは自分ではしてないんですけどね。(笑)
笹木
戦争の時には中学生くらいですか?
大武
いやもっと大きかったですよ。いつ死ぬかわからないので、髪の毛と爪を親に送りましたよ。あの頃は感覚的に死ぬと言うことが怖くなかったですよ。
怖くなったのは戦争が終ってからです。(笑)
満州はもともと日本が作ったわけですから、高官の息子たちが留学してきたんですね。私の高校にも10人位来ていましたね。柔道をやったりいろんなことをして遊びましたね。ところが負けたので引き上げた人たちはみんな殺されました。
日本に残っていればよかったのに、可哀想ですけど、そういう時代でしたよ。
笹木
一番感受性の強い年齢の時に大変な経験をなさったんですね。
耳も遠くないし、どこも悪いところがないんですね?
大武
いやぁ、ありますよ。(笑)実は去年、心臓の手術したんですよ。
大動脈弁という心臓の弁の具合が悪くて血流が戻ってきちゃうんですね。つまり、血が3分の1位逆流しちゃうんです。
なんでこんなにくたびれるのかなぁ??と思っても判らなくて、見つけるまでに時間がかかりましたね。最後に榊原記念病院で大動脈弁閉鎖不全症と診断されたんです。
それで、牛の弁と取り替える手術をしたんですよ。
笹木
そんなことが出来るんですか?拒否反応もないんですか?
大武
若い人は機械弁にすることもあるそうですが、私のは生体弁といって牛ですね。
機械弁は一生ワーファリンを飲むそうですが、生体弁の場合は1年くらいでやめられるんです。馴染んでくるのか、違和感は全然ないですよ。自覚はないんですが心臓の出口に4㎝くらいの静脈瘤も見つかったので、それは人工血管に取り替えたんですよ。
今は90歳でも100歳でも手術をするそうですよ。
笹木
同時に生体弁の手術と人工血管の手術をしたんですか?
大武
そうです。これは医者の腕ですね。有名な手術の上手い先生がやってくれましてね。
もとに戻ったかなぁと思えるのは最近になってですよ。やっぱり1年かかりましたね。
笹木
奥様も手術なさったし、大変でしたねぇ。
大武
別に大変じゃないですよ。私が手術するわけではありませんからね(笑)
笹木
疲れやすいだけで、ほかに苦しくはなかったんですか?
大武
いやぁ。手の指が硬直して動かなくなったんですよ。原因がわからないものだから、マッサージをしたりいろんなことをしましたよ。
シンガポールにいい医者がいるって聞いて行ったけど、判らないわけですよ。
でも心臓の手術をしたら治りましたね。結局、血流が悪かったんですね。
笹木
言われなければぜんぜん判らないですよね。お元気ですもの。
大武
でも娘が二人だけの旅行はダメだって言うので、もうどこにも行かれませんねぇ。(笑)
かみさんも良く三石先生にご相談してましたね。あの頃は真面目に飲んでいましたけれど最近はさぼり気味かな(笑)
笹木
大武さんご自身はずっと牛乳とバナナで飲んでいらっしゃるんですね?ほかの飲み方をしようと思ったことはないんですか?
大武
ないですね。一気に飲むだけですからね。味わって飲むものではないでしょ(笑)
粒のものは水で飲むんですよ。
笹木
昔のヘルスケアー(月に一度の勉強会)にはずっと参加してくださってましたよね?
大武
そうでしたね。でも女性ばかりで、きまり悪くて辞めてしまいましたね。
女の人の方が熱心ですよね?
笹木
いや、今の半田先生の専科は男性が多いですよ。皆さん熱心で9回で1コースなんですけれど、今回皆勤賞をお渡しした方が、13人もいらしたんですよ。
静岡とか遠い方は神戸からも毎月熱心にいらしてます。
ところで今本業は何をなさっているんですか?
大武
本業ねぇ。(笑)毎日新宿に来て雑用ですよ。
笹木
じゃ今は幾つくらい会社があるんですか?
大武
そう、7つくらいですかね。
いろんな仕事をしましたよ。最初はサラリーマンですよ。印刷屋ですね。それで何とか独立しようと思ってね。でも、チャンスってあるんですよね。
日大の地下に工場がありましてね。戦後事業に成功して大金持ちになった
業種がいくつかあったんですけれど、その中に印刷業もあったんですね。
主に東電の集金表、国税局の税金徴収票なんかですね。その頃大日本印刷も凸版印刷も焼けてしまって、中小企業に仕事が回ってきたんですね。
何の仕事をしてきたかって言われても忘れるくらいいろいろやってきましたよ。
事業って言うのは10やって2つか3つ成功すれば、成功ですよ。
笹木
いろいろな事業に手を出すと言うことは勇気がいりますよね。
大武
そんなことないですね。もともと何もないわけですから、戦後は裸ですからね。
私の父は教育者でしたけれど、お金なんかほとんどなかったですよ。だからアルバイトして大学も出たんですよ。
私は東北大学でしたが、アルバイトは保険の外交をしたんですよ。学生だったせいか、ほとんどの人が入ってくれましたね。3ヶ月もやったら3年分の学費が稼げましたよ。
笹木
そんなにみんな契約してくれるんですか?その頃は保険っていう物が今みたいになかったんですね。
大武
そういうわけで戦争が終ってから大学に入りなおしたわけで、その前は特攻訓練ばかりでしたからね。北杜夫って作家がいますけれど、彼は同期ですよ。
笹木
奥様の事故の時には一緒に乗ってなかったんですか?
大武
乗ってたのは娘なんです。追突されてブレーキを強く踏んだんですよ。それで、右の大腿部を突っ込んじゃったんですね。 切断するか手術かっていう大怪我で、骨が骨盤の中に食い込んでしまったんですね。 それで、骨の部分をパイプに取り替えたんですけれど、長い間に段々骨盤の方にパイプが食い込んでくるわけですよ。それで、再手術をしたところなんです。 最初から20年か25年で再手術だって言われてましたからね。
笹木
でも医学って凄いですね。そんな状態でも手術が出来るんですから。
大武
人工の骨がアメリカでは売買されているんですよ。粉みたいになっているんですね。網みたいなものでそれを固めるんですけれど、骨って言うのは拒否反応はないですね。 接続部分は人工の骨だと思いますね。日本ではまだ人工の骨の売買はしていないので、アメリカから取り寄せて昭和医大で手術をしたんです。 これも医者の腕ですよね。いい医者を見つけないとダメですよ。
笹木
何年か前に奥様がお電話で、人工骨が古くなってきて痛いから手術をしなければならないと言ってらしたけれど、痛みがなくなってよかったですね。
大武
もう20年以上も経っているので、前に入れたパイプが骨盤の方まで食い込んでしまってたんですね。
だから骨盤まで削って人工骨にしたんですよ。私の心臓の手術は4時間か5時間でしたけれど、かみさんの手術は10時間位かかりましたね。
それでも出血はしなかったんですよ。「メグビーのお陰だ。メグビーのお陰だ。」って言ってますよ。
笹木
それは、ありがとうございます。
大武
本当にそう思っていますよ。手術のときに出血もないし、私もですけれど回復も早かったですよ。
でも動いてはいけないので石膏で固めたような状態で3ヶ月動けなかったので、筋肉は衰えますよね。それで今は苦しんでいますよ。
でもねぇ。若くして亡くなる方のことを考えれば幸せですよ。
これからは100歳くらいは余裕で生きられるんじゃないですか。正しい知識を持って健康に注意すればですけれどね。(笑)
三石先生も100歳までお元気だと思っていましたけれどね。風邪はいけませんね。
来年からはスキーはやめて水泳だけにするって言ってたのに、最後のスキーで風邪を引いてしまったんですから、残念でしたよね。
笹木
皆さんがご自分の健康を意識して自主管理をして、元気に長生きして欲しいですよね。
寝たきりで管に繋がれて生きていることは嫌ですけれど、自分のことが自分で出来て考えることが出来るならば長生きすることも意味がありますよね。
大武
そうですよ。寝たきりは嫌ですからね。
手がしびれていても、まさか心臓だとは思いませんでしたからね。しかも、ドックにも行っていたのに判らなかったんですから・・・
笹木
自覚症状もなく、ドックでもわからないということなんですね?
大武
そう。ドックじゃ判らないですね。心臓は心臓専門に行かなきゃダメですね。
三石先生の言うように、医者の言うことをまともに聞くことはないですよ。心臓を除いては昔から同じ医者にみてもらってますけれどね。数値が高いとか低いとか言ってますよ。(笑)言われても気にもしませんよ。(笑)
笹木
お忙しいのに来て頂いてありがとうございました。
大武
いやぁ。私は忙しくはないんですけれどね。運転手がお年寄りを迎えに行く時間なんですよ。取り留めのない話で申し訳なかったけれど、先生の言われたとおりに今でも飲んでいますということで、適当にまとめてください。(笑)

大武 英夫 様:1927年生まれ 86歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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