今泉様インタビュー

笹木
今日はお出でいただき、ありがとうございました。
今泉さんはとても熱心に講演会や勉強会に参加して下さっていましたよね?
多分事務所が飯田橋に移る前は毎回参加して下さっていたと思うんですけれど・・・
今泉
そうですね。1990年6月の講演会が三石先生の講義を聞いた最初です。
笹木
メグビーはSさんのご紹介でしたよね?
今泉
そうです。娘が二人ともSさんの子どもさんと小学校が同学年だったんです。
親同士は気が合って若いときはハイキングやカラオケ、少し前まで卓球を一緒にしてました。その頃からのお仲間が5人いてピンポンズなんて名前を付けて、今でも月に2回は会うんですよ。
笹木
ずっと前に『歩くメグビーの広告塔』という題で“にゅーすあらかると”に原稿をお寄せいただいたことがありましたね。お嬢さんのネーミングだとか・・・
父が喜んでいたので、とても記憶に残っているんですよ。
今泉
そんなことがありましたねぇ。何を書いたのかも忘れてしまいました(笑)
1988年に膝が痛くなって、歩くことはもちろん這うこともできなくなったんですよ。
病院から出た薬はとても良く効いてすぐに楽になるんですが、暫くすると突然痛みが出るんですよ。
右ひざが治ると暫くして今度は左ひざが痛くなるという繰り返しでした。
病院で松葉杖を貸してくれるんですけれど、急に痛くなったときに手元にないと動けないので、平成元年には松葉杖を買ったんです。
でも買った年にメグビーと出合って、使わないままになってますよ。(笑)
きっかけは、Sさんが「私の飲んでいるものを試してみる?」と、三石先生のお宅に連れて行って下さったんです。
笹木
では、父の家でプロテインを飲んだのが最初なんですね?
今泉
2~3回は自分で作って飲んでみましたけれど、先生のお宅のは牛乳とバナナが入っていてとても美味しかったですよ。
カルピスも入っていたかしら。美味しい!っていうのが第一印象でしたね。
私の状態をお話したら、先生は結果が出るまでには時間がかかるけれど、メグビープロ、ミックス、A、E、Sの5種類を飲むように言われました。
半田先生の公開講座や三石先生の講演会も欠かさず聞きに行きまし、宿泊研修も伊豆大が最初で森林大学、三三大学も毎回参加し、講義を聞くと他の製品も必要だと思って、勝手に増やしていきました。
先生は基本のものをすすめてくださったのだと思うんです。
今では13種類飲んでいます。量は少ないと思いますが、満遍なく取るようになって25年間休まず飲んでいます。
ただ80歳になって少し量を少なくしています。それから、メグビーBはミックスと一緒に飲んだら勿体無いので、朝ではなくて昼か夜に飲みますね。水溶性だから一度に飲むよりいいのかと思って・・・
笹木
プロテインは最初に飲んだように牛乳とバナナですか?
今泉
私はミキサーではなくてマドラーで混ぜるので、バナナは入れませんけれど冷たい牛乳でしか飲んだことはないですね。
とても美味しいと思って毎日飲んでいます。
冷たい牛乳300ccの中に全部入れて飲むんですよ。SもFも入れてしまうんですよ。
笹木
エッ!全部ですか?溶けませんよね?
今泉
大丈夫。(笑)ザラザラ残っても飲めますよ。(笑)
笹木
確かにプロテインドリンクでSやFを飲み込むんだから、口に入れば同じことなのかしら(笑)
今泉
私は市販の薬を置いておくことはしないので、ちょっと熱っぽいかな?とか、風邪かな?と思ったらすぐにメグビーSを飲むんですよ。
そんないい加減な飲み方ですけれど、ずっと元気ですよ。
歩けなかったのに、こんなに元気でいられるんですから・・・
笹木
歩けなくなったのはお幾つのときですか?
今泉
50代半ばです。病院に行くにも一人では行かれないので、娘や主人が付いて来てくれたんですけど、誰も都合がつかなくて一人でタクシーで行ったことがあるんですよ。
「一人なんですか?誰も付いてこないんですか?」って、びっくりされる位ヨロヨロとやっと歩いていたんです。
笹木
そんなにひどい状態だったなんて、今の今泉さんからは想像できませんね。
今泉
苦しんでいる時にSさんに三石先生を紹介していただいて、ありがたかったですよ。
助けて頂いた三石先生に足を向けて寝られないと思うんですけれど、方向的にどうしてもだめなんですよ(笑)
笹木
本当によかったですねぇ。
今泉
今だって正座はしませんけれどね。
笹木
でも、ご主人様が亡くなられて伺った時にはお玄関で正座してらしたじゃありませんか?
今泉
そうでしたよね。あの時には前社長とお二人で来てくださって・・・
そう。あの頃は出来たんですよ。でも、長い時間だったので見えないように小さな正座いすを使っていたと思います。あの頃の葬儀は自宅でしたからねぇ。
三石先生が1月で、主人がその年の5月に亡くなったんです。
先生が亡くなられた時には入院してまして、「三石先生の告別式に行ってくるからね。」って言って出かけたんです。
私が車椅子になっていたら長女に迷惑をかけていたわけですけど、元気で何処にでも出かけて行きますからね。大阪だって一人で行きますよ。娘のお友達にも「お母さん元気だわねぇ。」って、言われるんです
笹木
お元気だし、お顔の艶がいいですもの。
今泉
それはメグビーのお陰かな(笑)
でも娘にも言ったんですけれど、長生きしすぎるのが心配なんです。(笑)
「大丈夫。メグビーをやめたら死ねますよ。」って、娘が言うんですよ。(笑)
こんなに元気で、何処にでも一人で行かれるって本当に幸せです。
先生の全業績も全部持っていますが、お勉強会なんかに関係のないものは読んでいないんですよ。いつか時間が出来たら読まなくちゃね(笑)
今はね、インフォメーションを読むのがやっとです。たったあれだけのページなのに、理解するまでに時間がかかって、何度も何度も読むんです。
私にはインフォメーションは難しいけれど、読むことが大切だと思ってるんです。
笹木
難しいことに挑戦することがボケないことの秘訣ですものね。
今泉
講演会や専科の講義では雑記帳に書いてきて、家に帰って復習しながら清書していたんですよ。二度勉強できますものね。
けれど、そのノートが2007年に終っていて、9冊になっています。
三石先生には「ノートに取らないで、覚えて帰りなさい。」と言われたけれど、書かなければ忘れてしまうんですもの。(笑)
笹木
それは誰でもそうですよ。内容的に書かなくてはとても覚えられませんよね(笑)
 飯田橋に移転したのが2007年の5月ですから、それまではずっと参加してくださっていたことになりますね。遠くなってしまって申し訳ありません。
今泉
でも先生は凄いですよね。何もご覧にならないで講義をなさるわけですから。
ネットワークとか、命題とか、無駄に年をとるなとか、新しい言葉や生き方を話されましたね。
私は三三大学に一番参加しましたね。森林大学の開催中に奥様が亡くなられて先生は途中で病院に行かれましたよね。
笹木
そうでしたね。でも講義の途中だからと母の顔を見て、すぐに森林公園に戻りました。
今泉
こうやって普通の生活が出来て普通に食べることが出来るのはメグビーのお陰だと思うんです。
 だから、死にたいって言ってもメグビーをやめる決心はなかなか難しいですよ(笑)
笹木
自分で何でも出来てボケなければいいんじゃないですか?
今泉
ボケたくないので漢字ナンクロと数独を毎日しているんですよ。
中級は出来るんですけれど、上級は難しくて出来ないんです。
漢字ナンクロは50問あって、答えを書いて応募するんですよ。2ヶ月に1度出る本なんですけれど、できれば1ヶ月でやろうと思ってます。娘にもお母さんはボケないって言われてます。(笑)
ボールペンやシャーペン位しかあたりませんけれど、ボケ防止になっているからいいかなと思って続けているんですよ。
でも、楽しいし、完成した時は嬉しいですよ。(笑)
笹木
達成感がいいんですね?(笑)
今はお一人だからお買い物もご自分でなさるんでしょ?
今泉
80歳までは自転車でしたけれど、娘に危ないからやめてって言われて、今は歩いて行きますね。歩いて5分くらいかしら。
自転車は45歳の時に練習して乗れるようになったんですよ。80過ぎのおばあさんが自転車で転んで怪我したなんてみっともないですものねぇ。恥ずかしいし・・・(笑)
私が歩けなかったのに元気になったので、兄弟親戚やお友達も随分飲んでいましたけれど、調子がよくなってくると皆さんやめてしまうんですよね。
笹木
毎日のことだし美味しいわけではないし、頭で理解していないとなかなか続かないと思いますよね。
今泉
自分でも、よく365日25年間も飲み続けてきたと思いますよ。
笹木
本当に!そうですね。今日はどうもありがとうございました。

今泉 サト子 様:1932年生まれ 81歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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