鈴木様、久保谷様インタビュー

鈴木さんは研究生として三石理論を学び、しばらく家庭に入られた後、メグビーリキッドを使ったリンパドレナージュの施術やセルフケア教室の講師として三石理論の普及に努められています。
 久保谷さんは鈴木さんと同期の研究生として三石理論を学びながら、ご相談担当としてメグビーに勤務していました。一緒に仕事をした仲間として懐かしくお話しさせて頂きました。

笹木
今日は寒い中をどうもありがとうございました。
“とらばーゆ”(求人誌)で募集した研究生なので、当時のお話を伺うのが楽しみです。
鈴木
「健康アドバイザーをしませんか?」という求人でしたね。
久保谷
最初に三石先生の講義を受けたんです。
鈴木
講義を受けたのは(1983年)30人位で、飲みたいものが手に入らないので、会社を作ったと話されました。メグビーはできたばかりでしたね。(メグビー設立:1982年2月)
メグビーの研究生として勉強したい人か健康アドバイザーの仕事を希望する人だけが残って感想を言ったんです。私は「もっと早くこのような学問に出合いたかった。」と言ったんです。その時に「ジュースを売らずに一緒に勉強しませんか。」と言われました。
久保谷
三石先生にお会いして先生もメグビーも信頼しましたね。
鈴木
先生が82歳だと聞いてエッ!と思いましたけれど、お元気で年齢を感じませんでしたよ。100歳までご講演をしてくださると思っていました。
笹木
突然だったので、兄が告別式で「本人が一番びっくりしていると思います。」と、言いましたものね。
久保谷
そうでしたね。私は何度か売り場に立った後で、先生の勉強会に出席しました。研究生は6人で、私はメグビーのご相談担当になったんです。
子供が欲しくて先生にご相談して、ヒトフードとメグビーE、メグビーA、メグビーボーンを飲んだお陰で子供に恵まれ、3人の息子たちは妊娠中にメグビー製品を朝晩飲んでいたので、病気もせず虫歯にもならないです。(笑)
お兄様、お元気ですか?よくご飯に連れて行って頂きました。お肉がお好きでね。
笹木
当時の父と今の兄は同じ年齢ですけれど、見た目はずっと若いです。だって父は禿げていたけれど、兄は禿げてないです。
父はレシチンを飲むようになって、産毛が生えて喜んでいましたから。(笑)
鈴木
髪の毛があるとないとでは印象は違いますよね。
母には母の日からヒトフードとメグビーE、メグビーA、メグビーD(現:メグビーミネラル)を飲ませました。
母は網膜色素変性症だったので、メグビーDとメグビーEがとても良かったですね。そのうえ白内障ですぐ手術だって言われていたのに、10年のばせましたよ。でも、視力が回復するには半年くらいかかったかなぁ?
眼の為に飲ませたのに2,3か月で坐骨神経痛や肋間神経痛も治り、耳鼻咽喉科にもかからなくなって、立ち仕事も出来るようになったんですよ。
久保谷
私は製品を飲みだして、風邪はひかないし、健康レベルがすごく高くなったと実感しましたね。
「妊娠しました。」って言われた次の日に出血して入院したんです。つわりが酷くて何も食べられずメグビー製品だけが頼りでしたね。そのせいか長男は骨太で背も178cm(笑)
三男は私が飲んでいるのを見ているので高校の受験の時にもセンター試験の時にもメグビー製品を持って行きましたよ。産まれてすぐに敗血症になって高熱が出て「覚悟してください。」と言われたんです。母乳から細菌が入ったんですね。
一ケ月は20cc位しか飲めなかったけれど、何とか退院できて、「赤ちゃんに体力があったんですね。」と言われたのは、私がメグビーを飲んでいたお蔭だと思いましたね。
三男は今でも“メグビー命”です。一人住まいなので、飲んでいれば私も安心ですものね。
私は仕事が忙しいので、風邪をひいて寝てみたいと思うこともありますけれど(笑)
笹木
休日のないお仕事だから休めなくて大変ですね。
鈴木
定期的な勉強会のほかに、横浜で宿泊研修もしましたよね。その時に先生にペンダントを買って頂いてね。私は薄いグリーンだったんです。
久保谷
私は白でした。今でも持ってるわ。
鈴木
私も!グリーンが好きなのを、どうして先生は解ったのかなと、すごくうれしかったですね。その時カキフライ食べたのを覚えてる?
久保谷
覚えてるわ!「亜鉛を摂った方がいいから、この時期はカキですよ!」って(笑)
食後は先生のお部屋で勉強会でしたね。
鈴木
翌日は三溪園に行ったけど先生は歩くのが速くてね。私達おしゃべりしながら歩いているとおいて行かれちゃうんですよね。
久保谷
そうそう!ものすごく速くてね。(笑)
笹木
若い時のあだ名は飛行機ですから。(笑)
鈴木
先生の教えて下さることが楽しくてしかたなかったです。なぜ学校ではこういうことを教えてくれなかったのかと思いました。
久保谷
それから学士会の読書会にも行きましたよね。私たちは書記でした。
鈴木
先生のお宅の勉強会に参加する頃の研究生は私とMさんだけで、結婚や出産で、段々に減っていきましたね。
笹木
講義の練習もしていましたよね?
鈴木
15分で話す訓練です。勉強会は参加するだけではなく学習をして、受け売りや継ぎはぎではなく自分の言葉で話せるようにならなければ、本当の勉強ではないと教えて頂きました。
他には先生のご本をテーマに、毎月原稿用紙30枚に自分の言葉で書く勉強や先生の講演会のテープ起こしよね。1本に8時間はかかりました。そんなにかからなかったでしょ?
久保谷
いやいや、時間かかりましたよ。夜中も必死でやりましたけど、出席していない昔の講演は何回聞いても聞き取れなくて大変でした。
鈴木
それから先生の本の校正よね。面白くて夢中で読むから、校正にならないんです。例えばアミノ酸の酸が抜けていても、“アミノ酸”だと思い込んで読んでしまうんですよ。
笹木
当時ご相談はたくさんありましたか?
久保谷
電話のご相談は半田先生。私は手紙が多かったですね。
笹木
講演会では「みなさんDNAという言葉を聞いたことがありますか?」と最初に言うくらいまだ一般的ではありませんでしたね。
半田先生の公開講座では前座もしましたよね?
鈴木
それは私とMさんでした。
その頃の研究生の勉強会も公開講座も社長のご自宅でしたね。
笹木
そうでした。あの古い家でやりましたね。(笑)
鈴木
分子栄養学が理解されるには30年はかかるって先生は言われたけれど、活性酸素のことはもっと早く市民権を得ましたね。
今でもタンパク質は足りていると思っている人の方が多いですよね。
笹木
プロテインはジムやスポーツコーナーで売っているので、筋肉をつけるものという理解ですよね。何に入れて飲んでいますか?
久保谷
最初は牛乳に入れてたわね。それからバナナジュース、今はオレンジジュースだけど、それが一番飲みやすいですね。
笹木
私はオレンジジュース100cc、水100ccの中にプロテイン、ミックス、レシチン、Pを入れたジュースで粒のビタミンを飲むわね。
鈴木
私はココアにプロテインだけを入れてるわ。メグビードリンクの袋の中にSもレシチンもCも入れて口の中に入れちゃいます(笑)美味しいですよ(笑)
粒はプロテイン入りココアで飲むんです。
久保谷
息子が小さなころ、「なぜ飲まなくちゃいけないの?」って聞かれて、「タンパク質は細胞を作っていてビタミンCがその細胞と細胞をくっつける役目をしてくれるから、ばい菌とかウイルスを跳ね返すんだよ。」って話して聞かせましたね。
笹木
子供が自主的に飲んでくれるようになればいいですけれど、難しいですよね。
鈴木
自主的に飲んでくれることで、次世代に繋がるわけですからね。こんなに合理的なものはないですから子や孫達に、先生の理論を伝えなければもったいないですよ!!
久保谷
私はメグビーSが手元にないとちょっと不安ね。
鈴木
そうね。孫が喘息気味なのでメグビーSは毎日食べて欲しいわね。娘は体調の悪い時だけヒトフードを飲んで良くなればやめちゃう(笑)
久保谷
今はプロテインを扱う会社が多くなったけど、内容がメグビーと同じだって思われるのが困るのよね。
笹木
当時は5社もなかったと思いますよ。
鈴木
ヒトフードとメグビーS、メグビーAは最低限必要ですからね。
母は骨粗鬆症どころか半月板もないのよ。60歳の時に一度だけ膝の水を抜いたけれど、今は痛くないんですって。骨がギザギザしていて、腫れや痛みがあるのが当然だと言われても、痛みも腫れもないんです。長い間ヒトフードとメグビーA、ボーンを飲んでいるので骨液が出て骨膜が保護されているとしか考えられないですよね。
それと、網膜色素変性症の人はビタミンEの利用効率が低い遺伝子を持っている為に、眼以外にも運動機能が悪いのでEは不可欠ですね。
生理痛で前からビタミンEは摂っていたので、メグビーEは吸収率が違うのがすぐに実感できましたよ。母は毎日飲まないと口唇ヘルペスや口内炎が出たのに、一緒に暮らしてからは飲まない日がないので、出なくなりましたね。
久保谷
先生に出会って健康に対する意識が変わりました。理論を教えて頂いてなかったら、こんなに長い間飲んでなかったと思います。
先生に「貴重な時間に勉強してもらっているから手当は出しますよ。」と言われて、勉強させて頂いているのに良いのだろうかと考えてしまいました。
鈴木
母は20歳の時に遺伝的に視野狭窄になっていく病気だと診断されたんです。だんだん見えにくくなって、私が16の時にストレスで急に見えなくなりましたね。父がいなかったので高校は奨学金を受けて、栄養士になりたかったので企業の奨学生になりました。
寮に住み込み4時半に起きて朝食の支度、学校から帰って夕食を作るんです。毎年10人が奨学生として勉強させてもらえるんです。その後国立オリンピック記念青少年センターに派遣されました。その頃は虚弱体質で、肉や魚、卵は嫌いで食べませんから、完全な栄養失調ですよね。(笑)
久保谷
先生と出会えてよかったわね!!
鈴木
先生と出会わなかったらどうなっていたんでしょうね(笑)健康な子が産まれるか怖かったですね。だから、プロテインは鼻をつまんで一生懸命飲みましたよ。子育てが終わって、飲む量を減らしたらアレルギーが出てね。(笑)
点滴で呼吸困難になり、医者に「アレルギーの人は薬でもアレルギーを起こすからね。」と言われて、怖くなったんです。同じ病院でも医師によって違う点滴をされるわけですからね。
私はアレルギーが出る時ってムズムズしてくるんです。すぐにメグビーSを3本飲んで、少し落ち着いてきたらヒトフードを飲んで横になっても治まらないと、もう一度2本か3本飲むんです。30分位で治まることや、ケチるとダメなことも解って(笑)
それから病院には行きませんね。花粉症もメグビーSで対応しています。
孫も離乳食の時、湿疹が出たので慌ててメグビーSをお茶でといて1本飲ませたら30分くらいで引いてきましたね。持ち歩いていると、炎症対策になるので安心ですよね。
笹木
それが父の言う健康自主管理ですよね。
鈴木
先生は亡くなる前にとんでもない実験をしましたよね。ビタミンAの過剰症のことが言われていたので、試しに10日ほど辞めていた時に、風邪を引いたと書いてありました。3日目には喉が変でビタミンAの不足だと思ったが、そのまま様子を見たんです。しかもその状態でスキーに行ったのがいけなかったんですよ。あんな実験して欲しくなかったです。
久保谷
そんなことがあったの?飲まない実験なんてしちゃダメよね。
笹木
誤嚥性肺炎だから絶飲食で、朦朧としながら「プロテインを飲まないと、死んじゃうよ。」と。それが聞き取れた最後の言葉でしたね。
病室に担当医が来られて「僕もメグビーを飲んでいますよ。先生、頑張ってくださいね。」と言って下さったら、聞こえたのか頷いていましたね。
今日は長い時間ありがとうございました。
研究生が一番活躍した時代のお二人にお話を伺えてとても良かったです。

鈴木 やす子 様:1958年生まれ 56歳(インタビュー時)
久保谷 恵美 様:1955年生まれ 59歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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