前田先生インタビュー

笹木
今日はどうもありがとうございます。早速ですが、先生は本がきっかけですか?
父は先生が栄養についての講演をするので、何か質問のお電話をいただいたようなことを言っていましたが・・・・
前田
本だと思いますが、何の本だったかなぁ?
色々先生の本を読んで感心していたということなんです。
僕はあちこち講演をしていましたが、その間、段々に三石理論の信奉者になりました。
でも、恐れ多くて先生に直接お電話なんてしにくかったです。
直接お目にかかったのは、暮れのパーティーですよ。
笹木
父の亡くなった後のパーティーでは、最後の様子をお話しいただきましたし、その後、講演もしていただきました。
前田
そうでしたね。先生の理論通り、ガンは全くありませんでしたからね。ガンが予防できることを実践されていたわけですよ。ガンは予防できないはずだけれど、予防になっていましたね。
笹木
病室で処置をしている間廊下で待っていた時に、先生が父の本を小脇に抱えて「先生とゆっくり話ができますね。」と、笑顔で歩いてこられたんです。
「先生。もう意識が無いんです!」と言ったら、顔色を変えて病室に飛び込んで行かれた姿が目に焼き付いています。
「病院には行きたくない。」の一点張りだったのに、「前田先生の所なら行ってもいいよ。」と、言い出したんです。自分でもこれは普通ではないと思ったのかもしれませんね。
直接お願いしたくて、図々しくご自宅にお電話したんです。
先生はお留守で奥様が「病室の用意をさせておくので、すぐにいらしてください。」と言って下さったので、主人が車を用意している間に吐血したんです。それで、慌てて救急車を呼んで乗った途端に、安心したのか意識が朦朧としてきました。
病室に運ばれて「プロテインを飲まなかったら死んじゃうよ。」と言ったのが最後の言葉でした。
「ご家族の為だけでなく、世の中の人々全ての損失です。助かるように努力はしますが、三日早く来て下されば・・・」と、先生が仰ったんです。無理にでも連れて行けばと残念です。
前田
そうでしたね。あの時は、完全に手遅れで、やはり三石先生も人間でした。本当にもったいなかったですよ。
はっきり覚えているのは、気管切開が必要で、大事を取って手術室でまず気管内挿管をしてから、ゆっくり丁寧に切開したので出血もありませんでした。
でもやっぱり意識は戻らなかったですね。
最終的には脳の中で変化が起きたんでしょうが、長い間かなり重症の糖尿病でしたからね。
笹木
救急車で病院に着いた時には、血糖値がかなり上がっていました。
前田
そうですか。ストレスで上がったんでしょうね。
先生の場合は糖尿病と言っても、鉛中毒ですから、Ⅰ型糖尿病ですね。いわゆる糖尿病はⅡ型なんですけれど、外部からの毒物で発症する場合はⅠ型です。お母さまは同じ鉛中毒でも脳に来たと書いてございましたね。
先生はご自分で言われていた健康管理がちゃんとできていて、身体がウソをついてなかったですね。
何かにつけ先生の理論を紹介させて頂いているけれど、何と言っても“カスケード理論”は素晴らしいです。あれはいろいろな本に引用されていますね。
僕の先輩も本の中で引用していますが、彼はまたメガビタミン主義なんですよ。
笹木
あの頃、ビタミンのことを系統だてて話す人は他にはいませんでしたね。
前田
そうです。当時、ビタミンなんて言葉は別世界の話でしたからね。
笹木
父がビタミンEだ、Cだと言い出した頃、そういうサプリメントはなかったと思います。
前田
外科医になった50年位前に、先輩に「ビタミンCは良いらしいよ。」と、アスコルビン酸を教えてもらい飲み始めました。
笹木
缶には構造式が書いてありましたよね。
前田
見たところ原末はアスピリンと同じように白く光った粉末でしたね。僕の父は明治の人で薬なんて信用できないと言って、風邪を引くとティースプーンでアスピリンをすくって飲んでましたよ(笑)なぜかアスピリンだけは信用してましたね(笑)
今、薬は殆ど錠剤ですが、昔は薬包紙に包んだ粉末でした。そのほうが良いんじゃないのかなぁ?いわゆるさじ加減ですよ。
笹木
身体の大きさで調整できますものね。父も風邪気味になるとアスピリンとメグビーミックス(ビタミンCとB群)とメグビーSを飲んでいました。
前田
三石先生で一番記憶にあるのはビタミンの話とトランス型脂肪酸の話で、これは大変参考になりました。今でこそ本も出ていますが、あの頃は誰も言いませんでしたからね。
アメリカではわりと早くトランス型脂肪酸が禁止になって、特にニューヨーク市の平均寿命が、最近ごく短期間で10年位延びて、アメリカの中で最大の健康都市になっています。
笹木
父の入院中、病院のレストランに行ったら、マーガリンだったんです。それで先生が部屋に来られた時にそれを話したら「そうですか?それはいかん!」って言って、翌朝からバターでした。対応の速さにびっくりしたことを覚えています。
ところで、日本の医療は世界的に見てどうですか?
前田
消化器系は世界一ですね。特に内視鏡下の手術は世界をリードしています。しかし、肥満の人が極端に多いアメリカの人口は日本の2倍で、心臓病羅漢率は日本の数倍あるので、心臓手術の件数は全く違います。従って、循環器系の治療は大変進歩しています。
以前アメリカで、ある術式を何十例もやってみて、これはダメだという頃に、日本ではそれをやり始めたという話を聞きました。あとを追っていますからね。
薬も外国ではすでに何年も使って安全性がわかっても、お役所がなかなか許可しないのは、100%安全な薬がないからですかね?
内視鏡に関して日本はその製造でも、医学的応用でも全ての面で世界をリードしています。
以前僕達がやっていたのは内視鏡による診断でしたが、今は内視鏡による治療の時代になりました。この数十年の進歩には目を見張るものがあります。
内視鏡検査は痛い、苦しいものと思われていましたが、今は違います。
私の病院の内視鏡検査が全く苦しくないのは、ニューヨークにいる新谷弘美先生が考案された前投薬の組み合わせを使用しているからです。そのため、今は全く無痛で検査が受けられるようになりました。

上部消化管の検査は、口から食道に内視鏡が入れば、あとは真っ直ぐ胃ですから誰でも楽にできます。しかし、大腸は肛門から入って20㎝くらいは直腸と言われ真っ直ぐですが、その先は曲がりくねっていて難しかったのですが、新谷先生が大腸内視鏡を全結腸に通すことに初めて成功したのが1968年です。この功績は凄いものです。
笹木
それは新聞で読んだことがあります。
前田
順天堂大学出身の新谷先生が今から数十年前、母校の外科の教授だった義兄を頼って履歴書を持って日本に帰ってきたんです。
日本でも自分の大腸鏡の技術を広めるためです。

彼は腸の襞(ひだ)を引掛けて腸を短くして内視鏡を通すというんですけれど、どうやるのか僕にはよく理解できませんでした(笑)
「7」の字型に腸を短くするんですよ。3メートル位ある腸を半分位に縮めるわけです。有意識下での内視鏡検査は辛いし、動かれると検査は不可能なんですがconscious sedationと言って、“意識のある鎮静”です。鎮静剤と睡眠剤とのうまい組み合わせを使い、「はい終わりました。」と言われた時には意識が戻っています。

例えば局所麻酔でみぞおちをメスで切っても痛くないけれど、ドンと殴られれば痛みを感じます。深部知覚は緊張を取る薬と眠る薬の相乗作用があると、切られても殴られても痛みは感じなくなります。
ですから胃の検査でも僕の病院では口腔にピュッという局所麻酔はしません。sedationの注射だけですよ。表面と深部と二重に麻酔をする必要がないんです。つまり深部知覚を麻痺させれば表面も痛くないわけです。
笹木
それを新谷先生が考えられたんですね?
前田
そうです。手術場ナース達の雑談がヒントになったそうですよ。
笹木
先生は姿勢が良いし、お元気ですね。
前田
いろいろガタが来ていますよ。私の場合一番の問題は心房細動です。電気で切るとか手術で治しようはありますけれど米寿を過ぎたらお医者さんが真面目に診てくれませんから、もうしょうがないですよ(笑)
基本的に人間の寿命はなるようにしかなりません。哺乳類は生物学的な規制により「種」の各々の寿命が決まっています。人間は120歳以上は生きられないからそれまでいかに他人にやさしく、社会に貢献し自らは何時までも自立する気概を持ち続けたいものです。この歳になっての難行苦行は意味ないと思います。
楽しく健康で長生きするんじゃないとね。従って、ビタミンを飲むのも良し、バカ食いしない、大酒は飲まない、と言っても僕は飲みますけれどね。飲みたいものを我慢するのもしゃくですから(笑)
笹木
休肝日はなしですか?
前田
そうですね。肝臓の検査データは良くはないが、悪くもないですからね。心臓の薬を飲むようになって数値が多少悪くなったからどれかが悪いんですよ。何かの副作用ですね。
僕の場合は心臓の血栓が脳に飛ぶと、心原性の脳梗塞ですね。なったら厄介なのでその予防はしています。心房細動に伴って自分では不愉快だなと思うような身体状況もありますけれどね。データ上では大丈夫です。今の所、ガンはないですね。
白内障の手術はしたので、目は良く見えます。
耳は体温計のピッという音が聞こえませんね。加齢に伴う高音障害ですよ。
人の声は聴きやすい人と聞きにくい人がありますね。笹木さんの声は良く聞こえますけれど、女房の声が聞こえないんですよ。(笑)
笹木
お年の割にと言っては失礼だけれど、ものすごくお元気だし、背筋が真っ直ぐで若々しいですもの。いつまでもお元気でいてほしいです。
今日はありがとうございました。

前田 昭二 先生:1927年生まれ 88歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

インタビュー一覧に戻る