渡部先生インタビュー

笹木
お忙しいのにお時間を取って頂きどうもありがとうございました。
渡部
いやぁ、大先生には大変お世話になりました。特に家内は肝臓が悪いので、先生の本を読んでメグビーSをたくさん飲ませたんです。それだけではないかもしれませんが、肝硬変になるかもしれないと脅されていたのに、良くなったんです。今は何ともないですね。
活性酸素は先生が日本では最初じゃないですか?活性酸素を除去するというのは非常に説得力がありますよ。
笹木
「医学常識はウソだらけ」が出た時に、推薦文を書いていただいたのが、最初ですよね?ずっとお飲み頂いてありがとうございます。
渡部
その前ですね。メグビーを知っていたのでPHP研究所の勉強会にお招きしてお話を伺ったことがあるんです。それで私に書くように言われたんだと思いますね。
先生を知ったのは、産経新聞のコラム“どうぞお先に”です。これは凄いと思って、他の本も読みました。
初めて読んだのは、経済界の「1901年生まれ、僕は現役」とPHP研究所の「医者いらず、老いしらず」です。
クレスト社の社長とは親しかったものですから、先生の話をしたんですよ。それで、原稿を依頼したんだと思いますよ。
笹木
クレスト社の社員全員がメグビーの製品を飲んで下さいましたから、父の考え方を理解して下さったのだと思います。
渡部
私は知識人のお年寄りに興味があって、雑誌社を通じていろいろな方と対談をさせて頂いているんです。先生も高齢でしたからぜひお話ししたいと思ったんです。医者でも自分が80歳まで元気でいられるか自信がないんですよ。(笑)だから、高齢の人は高齢の人の話を聞いて参考にしなくてはダメです。
笹木
先生は95歳まで生きれば、静かに死ねると書いてらっしゃいますよね?
渡部
沢山のお年寄りにお話を伺ってみて90歳では、まだ生きたいんです。(笑)95過ぎるともう充分生きたっていう気になるようですよ。一般論ですが、これ以上生きなくてもいいという気持ちと、死ぬことが怖くなくなるようです。
高齢になるとバイブルもお経もいらないという境地になることを確かめましたよ。(笑)
笹木
先生は上智ですから、カトリックですよね?幼児洗礼を受けていらっしゃるんですか?
渡部
家内は親の代からですが、私は大学の2年の時です。
中川先生(元国際基督教大学学長)というとてもお元気な100歳近いプロテスタントのリーダーの一人ですが、お話を伺った時に「この歳になると死んで神のそばに行くとかキリストのそばに行くとか、そんなことを考える必要は無いですね。虚空に消えるだけでいいじゃないですか。」って仰ったんですよ。キリスト教の大リーダーですよ!
若い人は病気で死ぬから苦しむんです。究極の医学は95歳まで生かせることですよ。
いわゆるボケ老人ではなくて、ボケていない人は95歳まで生きないと気の毒です。それまで生きれば安らかに死ねると思いますよ。ボケたら死ぬのは怖くないんでしょうか?
先生は老齢までお元気で、一番参考になる方のおひとりですよ。スキーに行って亡くなられましたよね?
笹木
軽井沢まで主人と送って行きましたが、友人ご家族と合流するので1泊で帰ってきたんですが、スキーウェアーを脱がせて欲しいと横になったんです。初めての事で驚きましたが、95歳で自分でスキー靴を履いて、板をつけるだけでも凄いことだから、脱がせることぐらいなんでもないじゃないかと主人に言われ、そういうものなのかなぁ(笑)と思いましたけれど、だるいとか自覚があったのかもしれませんね。
渡部
具体的な死因は、肺炎ですか?
笹木
誤嚥性の肺炎です。
食欲が無くプロテインも飲まなくなったので、アイスクリームやヨーグルトに入れて食べさせたんですけれど、「おじいちゃんがプロテインを飲まないなんて考えられないから、すぐに病院に行かなきゃダメだよ。」と息子が言っていると話したら、前田先生の所なら、とやっと納得したんです。孫の言うことには弱かったですね。
入院のお願いをして伝えに行った時には、吐血していて慌てて救急車を呼びました。赤坂までの道のりがものすごく遠く思えて、救急車がとても遅いと感じました。
着いた時には意識が朦朧としていました。1週間の入院でしたが、三日早く来てくれたら助けることができたのに、と言われました。肺が真っ白でした。亡くなった後、調べさせてほしいと言われましたが、どこにもガンもなく、悪いところはなかったそうです。
前田先生には「身体でメグビーを証明しましたね。」と言って頂きました。
渡部
証明しましたね!
クレスト社が本を出したいと言った理由は、僕の話を聞いて社長の打田氏が健康法の本はたくさんあるけれど唯物論者の健康本でないとダメだ、三石先生は精神論がほとんど入ってこないのが良いと言うんです。健康本は精神論が入ってこないものが本物だと社長は言っていました。
笹木
それで父に依頼があったんですね?
渡部
そうです。僕はたくさん偉い老人にお会いしましたが、三石先生は人間の身体を唯物的に見て、長生きする方法を発見されたわけです。
僕は発声法をやっているせいか2時間講演しても大丈夫です。大きな声でアイウエオを全部の筋肉を使って5回言うんです。
僕らの年になると、上品にしているわけじゃなくて声が低くなって出なくなるんです。(笑)
笹木
毎日の発声法で、そういうことはないんですね?
渡部
そうです。50過ぎから真向法もやっていますが、180度近く股を開いてへそから顎までつきますよ。最初はできませんでした。
笹木
健康に気を使っていらっしゃるんですね。
渡部
何もしないで健康なのは家内です。しいて言えばメグビーを飲んでいるだけです。(笑)
音大のピアノの講師でしたが、子供たちに勧められて30年ぶりに弾くようになって指を使うせいか、だんだん若返ってきましたね。
長男はチェロで次男はヴァイオリン、娘がピアノで、私も50年もクラシックを聴いていたら退屈しなくなりましたよ。東北の田舎育ちで、親は浪花節と流行歌でしたから、これは進歩です。(笑)
笹木
父は原稿を書いていて気分転換に夜でもエレクトーンを弾いて、ご近所迷惑だと母に叱られてました。(笑)パイプオルガンに構造を変えてあるので、とても音が響くんです。
渡部
私は物凄い偏食で肉も魚も野菜も食べられなくて、ご飯と納豆と祖母の作った胡麻味噌くらいしか食べませんでした。
初めてすき焼きを食べたのは大学の寮で、こんな美味いものがあったのかと思いましたね。(笑)クリスマスで、進駐軍かどこからか、神父さんがかき集めてきたんです。
母の生れた村では、肉は一切食べないです。子供の頃、鶴岡市に肉屋は1件だけでしたね。
笹木
お肉を食べない地域があるのを初めて知りました。
渡部
普通ですよ、鶴岡市という大きな町でさえそうですから、村に行けば絶対食べません。鶏やウサギは食べますよ。それで、ウサギを1羽2羽と数えるんです。僕のうちは鶏もウサギも食べませんが、鶏卵は子供に良いからと食べさせてくれました。
ドイツに留学したら毎日肉ばかりで、25歳からの3年間でしたが、帰る頃、急に洋服が短くなったんです。僕の経験では食べ物によって28歳でも背は伸びるんです!(笑)
東京ではお米もなくて寮長が「今日は、我慢してくれ!」と、サツマイモと福神漬けを配った日もあるような食生活ですから、毎日肉を食えば背も伸びますよね。(笑)
当時は配給を辞退すると外食券がもらえるんです。コッペパンに薄くマーガリンを塗ってくれるんですが、ドイツではバターを厚く塗った上にハムが載っていて、全然違うわけですよ。
留学すると食べ物が合わなかったり寂しくて、ノイローゼの心配をされますが、僕は助手で行ったので、給料は1万円。飛行機代は片道20数万円でしたから、自分では帰れませんよ。でも、僕はノイローゼどころか嬉しくて、嬉しくて(笑)
笹木
さっき着物を持って行ったと仰ってましたが、テレビでもよくお着物ですよね。
渡部
肩が張るので軽いものが良いんです。原稿を書くときも着物が多いですね。
笹木
先生はたくさん本をお書きになっていますけれど、何冊ぐらいになりますか?
渡部
対談、単行本や文庫になったものを入れると六百数十冊で、総売り上げ数は4000万部だそうです。僕は知りませんよ。僕のことを調べている人が言っているだけですから(笑)
家にいる時は書いているか、食べているか、寝ているかですよ(笑)英語の月刊雑誌なんかは連載50年です。大学や中高の職員室で読まれるので、書くのは日本語です。こんなに英語が盛んになっても、教育雑誌は1冊だけです。
笹木
なぜ日本人は英語が話せないのでしょう?
渡部
話せなくてもいいんですよ。(笑)日本が植民地にならなかったからですよ。
漱石も学生の頃はあらゆる教科が英語だったが、今はすべての教科を日本語で教えるようになってこれは良いことだと言っています。だから英語が下手でもいいんです。
自国語で最高学府に行かれるのは先進国だけです。僕がアメリカの大学で教えていた時に、インド人の教綬に大学は何語で教えているのかと聞かれて、日本語だと答えたら、びっくりしていましたよ。インド語で大学には行かれませんからね。
日本人もノーベル賞を何人ももらっていますが学問の基礎はみんな日本語で学んでいます。海外で研究している人も日本で基礎を学んでから行きますからね。
中国にしても漢字で高等数学や物理は無理ですよ。日本は仮名があるから出来るんです。
僕は50年以上英語を教えていますが、教室で会話をうまく教えることはできません。
大学でそんなことをやったら学問は出来ないです。
会話もできる学生はAFS(交換留学)で留学した子供達です。日本の優秀な高校生を1年間留学させるシステムですから、英語ができる人たちですよね。
教え子が英文法を叩き込まれて、向こうの大学院に入学しましたが、正しい文法で英語が書けるアメリカ人の学生が多いので、教授が彼のレポートを貼りだしたそうですよ。
しかも、大学生の英文を直す仕事をしていました。会話は下手でも、文章での劣等感はなかったそうです。
会話がうまくなるにはその国に住むのが一番ですが、話せる範囲は日常会話だけですよ。それ以上のことは向こうの人だって勉強しなければわからないことで、日常会話を超えることはできないです。
自分は超秀才だと思って海外に行ったのに英語が通じないから、日本の教育が悪いと言うわけです。ところがもう少し長くいると日常会話は普通にでき、論文を書くと物凄く立派なものが書けるんです。
これは、僕も教え子たちもそれを経験しましたね。ドイツに行った時もドイツ語ができないので、会話も最初は英語です。論文は英語で書いてから、それをドイツ語に置き換えたので300ページの論文も超スピードです。1年間会話もできないのに立派な論文を書いたと教授が驚いて、天才だと言われましたよ。(笑)英文法を理解していれば、フランス語でも書けます。
話しが変わりますが、家内が重要なことを忘れたので、ボケが始まったかもしれないから、メグビーFを飲むように言ったんです。(笑)飲んだら頭がすっきりしたそうですよ。
笹木
そうでしたか。お役に立てて、嬉しいです。先生はとてもお忙しそうですね。
渡部
書くのが月にふたつ。3か月ごとがひとつ。口述は月にひとつ。毎週出るのはまとめて口述しています。テレビは1時間番組が月に2本。15分番組が3本。子供向けの30分番組が1本。これは童話や幼児教育の話ですね。
笹木
すごいハードですね!
渡部
驚かれるかもしれませんが「朝日新聞と私の40年戦争」というのも出しました。(笑)
笹木
読ませて頂きました。先生は口述が多いのですね。
渡部
イギリスやアメリカは口述が多いので、僕もやってみましたが、最初は3日かかりました。終わったら頭が空っぽになって、大変なもんだなぁと思いましたが、慣れてきて今は半日で1冊です。やっているうちに記憶力がよくなって、テーマが決まれば、メモもしないで話します。
笹木
書くより早いですね。先生は書斎を持つのが夢だったと書かれていますよね。
渡部
高校の恩師を訪ねた時、書斎には天井まで和書が積まれて、厚い英語の辞書や小泉八雲全集とか碁盤もある中に着物で座っておられてね。先生のような老人になりたいという気持ちで人生が始まったんです。
結婚して小さな書斎を持って人生の目標は達したと思えたのは、上智で教えていた30歳位ですね。同僚のアメリカ人に目標を達したと話したら、変な顔をされましたよ。(笑)
彼が帰国してフルブライト(各分野での指導者を育成する世界的なプロジェクト)と関係を持ったんです。あのおかしなことを言う日本人に、アメリカを見せようと思ったのか、四つの州を回る訪問教授にしてくれたんです。
笹木
先生はご自分の専門外の方とも対談をなさるから知識が広がりますよね。
渡部
話題になっている作家とも対談をしますが、1時間話すと書いた本の言わんとすることが解ります。おもしろい本を書いた人の話を聞きたいですね。
先月は103歳の論語学者と対談をしました。その方は今でも講演をしているんですよ。真向法をやっていて姿勢は良かったですね。
笹木
善福寺公園はウォーキングにちょうど良いですね。
渡部
いやぁ、近すぎて歩きません。(笑)歳を取ったら鍛えよう、なんて思ったらだめですよ。
大先生は歩かなかったでしょ?
笹木
そうですね。書斎でボート漕ぎ、ステップ体操、自転車漕ぎ、ブルワーカーと、お風呂でのアイソメトリックスですね。散歩は時間の無駄だと言ってました。(笑)
渡部
目とビタミンCの関係。あれは参考になりました。暫くすると忘れますから、先生の本は何回でも読むんです。痛風のような痛みがあった時、聖路加の人間ドックではタンパク質の摂りすぎだから、納豆もいけないと言うんですよ。でも、先生の本にはビタミンAが必要だと書いてあったので、メグビーAを飲んでいたらすっかり治りましたよ。先生の本にはちゃんと理由を書いてあるから、納得出来るんです。いろいろ治っていますよ。
私が先生の本を初めて読んだのは1992年頃です。本当に長いお付き合いですからね。
笹木
本当に長いですね。色々な本に父のことを書いて下さって、どうもありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

渡部 昇一 先生:1930年生まれ 84歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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