當間光子様インタビュー

當間さんと初めてお話ししたのは日本平での宿泊研修だったと思いますから、もう30年以上も前になります。
その頃から沖縄の拠点として長年ご尽力いただき感謝しております。
今回お目にかかってメグビー設立前のことや体験談、そして父との思い出話に花が咲きました。

笹木
ご無沙汰しています。お電話ばかりで、お目にかかるのはずいぶん久しぶりですね。お元気そうで何よりです。
早速ですが、當間さんが父を知ったのは、どなたかのご紹介ですか?
當間
三石先生の講演会が沖縄であって、私のお友達が聞きに行っていて、先生の話をして下さったんです。先生がまだ70代の頃ですね。
「とっても不思議な方の話を聞いてきたのよ。」
「この暑い沖縄で涼しげな顔をして、黒板の前を行ったり来たりして講演をしたのよ。とてもお元気で考えられないような方よ。」と話してくれたんです。(笑)
笹木
父は講演中、いつも歩きながら話していましたよね。(笑)
皆さんの反応を見ながら話の内容を変えていくと言っていました。原稿などは用意しませんでしたからね。
當間
そうでしたね。最後まで原稿を見るとか、座るとかは、なさいませんでしたね。
講演会場に、腎臓の機能が半分以下になっているのに、患者さんを診察している元気な先生が聞きにいらしていた、とそのお友達が教えてくれたんです。
私は信じられなかったけれど有名な病院だったので、連絡先を調べて電話をしたんですよ。そうしたら、会って下さってメグビーの製品と「自然治癒の健康相談」(太平出版社 1978年発行)を見せてくださいました。
私は子供が弱かったので少しでも健康にしてやりたくてマッサージの資格も取りましたし、家庭医学の本もよく読みました。子供が健康になるためにはどんなことでも知りたいと思っていたので、健康の事にはとても関心がありました。
「自然治癒の健康相談」は医者の立場と三石先生の立場と両方が書いてありますよね。私が今までお医者様に聞きたいと思っていたことがたくさん書いてあったので、その本をお借りして読みました。
その頃母が白内障だったのでI社のビタミンEを飲んでいたので、先生にご相談したのが最初です。
笹木
その講演会で父が沖縄に滞在していた時に、相談されたのが最初ですか?
當間
いいえ、お会いしてないです。電話です。
ですから、先生と直接お話したのは母がきっかけということになりますね。
しばらくして、姉は集団検診でヘモグロビン値が低いということで、病院から薬が出たんですが、副作用が酷くて起き上がれなくなりましてね。
姉がどうしてもその薬は飲めないと言うので、「どういう風にこのお薬は効くんですか?」と病院の先生に聞いてもお答えにならなかったんです。
それで心配になって、三石先生にご相談して、プロテインを主にしてメグビーを頂いていたら、4か月後には元気になったんですよ!
毎月ヘモグロビン値を測りに行くので、先生にメグビーの話をしたら、そんな食べ物はインチキだと言われたそうですよ。(笑)
私はガングリオンのようなものが出来たり、足のスジをちがえたり、手の指を骨折したり、ずいぶんいろいろありましたけれど、いつもメグビーに助けられています。
手の指を骨折した時は指が反対を向いてしまったので、病院では引っ張って元通りの位置に戻して、テーピングしてくれました。
マッサージのやり方はわかっていましたから、時間さえあれば肌が出ている所をメグビーリキッドでマッサージしていました。鎮痛剤も飲みましたけれど、メグビーはずいぶんたくさん飲みましたね。
ほかの方よりも回復が早かったので、「何をしたか知らないけれど僕の力ではない、あなたが自分で治したんですよ。」と市立病院の先生に言われましたよ。
ですから、メグビーには本当に、助けられています。
タンパクを主にした栄養と言うのは凄いと思いますよ。やっぱりプロテインがないとダメですよ。歳をとればとるほど、メグビーを飲んでいる方とそうでない方との差が歴然としてくるようです。
酷い火傷がリキッドで良くなったとか、自閉症の子供さんが3歳からメグビーを飲み始めて症状が良くなったんですよ。石垣のミンサー織りは難しいので普通は教えてもらえないのに、指導を受けることができたと聞いています。
お友達は乳がんの手術後の放射線治療後、「普通は炎症で赤くなるのに、あなたは赤くならないね。」と先生に言われたそうですよ。
その方はお見舞いに差し上げたメグビーSしか飲まなかったけれど、プロテインも飲んだらもっと違っただろうなと思っています。
笹木
お金がかかることですので、ご家族のご理解と、ご自分でも納得できなければ難しいことだと思います。
當間
先生は「科学との出会いを求めて」(現代書林 1982年発行)を書かれるときに、「主婦は家族の為に毎日のお食事を通して、物事を科学的に考える接点にふさわしいポストであり、市民運動につなげる拠点として皆さんの役に立ってほしい。」と言うようなことを話されたんです。それで、何とか今日までお勤めさせて頂いているつもりです。
私、先生のお誕生パーティーの時にビンゴで先生の色紙が当たったんです!
「漫然として年をとるべからず学習者として年をとるべし」という、あの色紙です。
笹木
毎年ビンゴをしたり、父がエレクトーンを弾いたり…
ずいぶん昔の話になりましたね。(笑)
當間
本当にね。長い方は曾孫さんがメグビーを飲んでいる方もいらっしゃいますよ。(笑)
笹木
それはありがたいです。
今日はありがとうございました。お車ですよね?気を付けてお帰り下さいね。

當間 光子 様:1936年生まれ 80歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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