本永英治様インタビュー

本永先生ご夫妻の中に今もなお、父が生き続けていることがとても嬉しく、父がお二人をとても大切な友人だと言っていたことが、昨日の事のように思い出されました。
門までご夫妻で迎えに出てくださって「この家は先生が原稿を書く部屋も用意していたのに、(亡くなってしまって)一度も来て頂けなかったのがとても残念です。」と、開口一番に言って下さいました。

笹木
今日は診察でお忙しい中、お時間を取って頂きありがとうございます。一番父と近い方だったので、“対談”は本永先生のお話を聞かなければ完結しないんです(笑)
父にも聞いたことがなかったのですが、父と交流を持ったきっかけを教えて頂けますか?
本永
1985年12月6日の沖縄タイムズに三石先生の「無知という弱点」と言う論壇が載りました。文章の流れが論理的で読みやすいのでどんな人だろうと思ったことと、健康食品が蔓延していて患者さんが選択に戸惑っているので、どうにかならないかとずっと考えていた時期だったので、三石先生に興味を持ったのです。
それには、妊娠中に玄米食をしていたら、鉄欠乏症の貧血の赤ちゃんが産まれた女性のことを例にとって、「玄米に含まれているフィチン酸が原因なのに、そういう知識もなく健康ブームに躍らせられていいのだろうか。」と書いてありました。
自宅の住所が載っていたので1986年4月に感想を書いてお手紙を出したら、1週間くらいで先生から返事と「健康食総点検」(現代評論社 1978年発行)が送られてきたんです。
お目にかかったのは、那覇の講演会を聴きに行ったのが最初です。
新聞に住所が書いてなければ、先生と出会えなかったですね。
その後全集(全28巻)を読んでは、感想を書いて出しました。最初に読んだのは「科学との出会いを求めて」、次は「大学の原点」でした。
お返事には健康に関する疑問が書いてあり、文通をしていてとても共通な所があると何度も思いました。
「文明の解体」と「人間への挑戦」の2冊が発展したものが「21世紀への遺書」で、この本の中に先生の考え方が良く書かれていますよ。
笹木
「21世紀への遺書」は父が亡くなってまだ遺骨が自宅にある時に、刷り上がりました。父の言いたかったことはこういうことだったんだと、涙が止まりませんでした。
先生とは考え方が同じだったからずっとお付き合いが続いていたということですね。
本永
そうだと思いますね。先生の「偶然と必然」の読書会のテープはMDに保存して聞いているんですよ。念のために全部2枚づつ保存しています。
テープもMDも私の最高の財産です。
笹木さんと一緒に聞きたくて準備してあるんです。(笑)
先生の話し方や声が、とても懐かしいです。
モノーの「偶然と必然」は、何度読んでも難しいので、先生の訳したものをこんな風にスライドにまとめてあるんですよ。機会があればどこかで話せればいいなと思っています。先生の本のなかで僕が読み込んでいるのは「偶然と必然]、「21世紀への遺書」と「心とはなにか」の3冊です。それぞれ10回位読んでいるかもしれませんね。(笑)
この3冊はとても勉強になるし参考になります。
奥様
主人は何かやる時の基本はいつも三石先生なんです。
本永
半年間解剖の勉強をしていた1986年頃、「今度は西表に行くことになりました。」と話したら「それは良かったですね。」と言ったんです。
先輩の医者達は「大変だね。」とか「可哀そうに。」って言いましたよ。僻地で勉強もできないし、設備もないし可哀そうということなんです。
三石先生だけが「良かったね。絶対にプラスになるから頑張って!」と喜んでくれました。
ネパールに行った友達とは「僻地医療を経験したら幅広くなるし、視野が広がるね。」と話しましたが、医者仲間でこんなことを言ってくれる人はまずいないですよ。
頑張ろうと思っているのに、トップクラスの先生達からマイナスなことばかり言われて、落ち込んでいた時に三石先生だけは全然違っていて、僕にとって最高の言葉でした。
先生の一言で、西表に行くのがとても楽しみになったんです。
「絶対にプラスになる。」と言う言葉は奥が深くて、医者よりも凄いと思いましたね。
先生のプラス思考、前向きな考え方は人生もプラスに変えられると思いますよ。
西表では見るもの聞くものすべてが新鮮で楽しかったですね。
先生は奥さんと遊びに来てくださいました。
一緒に泳いだ時、僕は一生懸命に泳いでいるのに、85歳の先生は楽しそうに横になって泳いでいたので、年齢を覚えているんです。(笑)
笹木
“のし” (古代泳法)ですよね?私も父から教わりました。(笑)
本永
私が仕事をしている時には先生は原稿を書いていましたけれど、たまたま3日目に観光客が溺れて心肺停止だったんです。人工呼吸をしていたら先生が来て「ミトコンドリアがもう駄目ですね。」って言ったので、びっくりしましたよ。「なんだ?面白いことを言う人だな。」と思いましたね。視点が全く違うんです。細胞レベルなんですよ。
三石先生は私に「そうですね。命の根源のエネルギーが経たれました。」って言いました。
西表には2回、1週間位づつ滞在し先生は原稿、奥さんは藍(長女)の世話をずっとしてくれました。どの部屋も散らかすので、僕らは怒ってばかりいたのに、奥さんは「藍ちゃんは、お遊び上手だね。」って、遊びながら一緒に片づけをするんです。
そうか、こういうやり方があるんだと思いましたよ。(笑)
西表にはタンパクやビタミンで治りそうな患者さんが何人かいたので飲んでもらいましたし、先生に講演会もお願いしました。私は西表に3年間、次は石垣に5年間いました。三石先生は石垣にも遊びに来られましたよ。
笹木
白い短パンで赤い沖縄のシャツを着て講演をしている写真が残っています。
本永
石垣に行ってからのお正月は、先生が亡くなるまで毎年軽井沢で先生と過ごすようになりました。その頃は子供も3人になっていましたね。
スキーは学生時代に1度しか経験がないのに先生とリフトで上まで行ったまでは良かったんですが降りてくる時に集団の中に突っ込んでしまって、よく骨を折らなかったと思いました。(笑)
石垣の次は神奈川の東海大に3年間いました。
その時の成果がこの本(「人口知能時代の医療と医学教育」-遠隔地医療を担う人材を育てる医学教育―)です。偉い先生方が書かれている本に私も書かせて頂きましたが、「人間の頭の特徴は…」という所の参考にしたのは三石先生の「21世紀への遺書」の中の“頭脳と情報”です。先生のお蔭で“知”のことが書けました。
サルコペニアの原因のひとつと考えられている活性酸素の説明も三石先生の本をたくさん読んでいるから、普通の人よりも頭に入りやすいんです。閾値が低くなっているからスーッと入ってくるんです。同じ年頃の医者は全く理解できないし、若い人でもなかなか難しいようです。
笹木
医大では分子生物学の勉強はしないそうですね。
本永
今年から琉球大学医学部では「Cell(細胞)」と言う本を基礎の時に読むようになったらしいです。分子生物学の知識がないと、深く掘り下げて考えられない医者をどんどん作り出すだけですよ。
1、2年で解剖や分子生物学の基礎をしっかり学んでから、臨床に進むべきだと思います。解剖や分子生物学の基礎がないと、人間を無視してしまうんです。
技術ばかり勉強すると“カテーテルが上手くなった”“内視鏡が上手くなった”で、終わりです。深く考えずにひとつの特徴だけを診て、この治療は役にたつとか、たたないといった集団疫学的方法での治療がEBMという今の医学です。根拠のある治療方針と言われていますが、個体差を無視しています。それが、今の日本やアメリカの医療のもとになっています。
個人や見えない世界が切り捨てられてしまいます。
見えない世界というのは分子生物学的なことで、細胞で何が起こっているかが切り捨てられ、目に見えている現象だけの治療です。
遺伝子や個体差を無視して解剖学的な筋肉の付き方や血管の走行も一人ひとり違うことは考えていないですね。かといってEBMをバカにしているわけではないし8割9割はうまくいくと思いますが、個体差を考えずに統計学的に治療しても、それでは上手くいかない難しい患者もいるということです。
医療では上手くいかない人がかなりいますが、三石先生と出会って、分子レベルや個体差を考えて解決する方法があると思うようになりました。
同じ患者はいないですよ。無限にあるんです。例えば肝硬変でも症状はみんな違うのに、同じように公式を作って、枠にはめても当然治らないです。体質も遺伝的なことも薬に対する反応も違います。微妙に一人ひとり違うんですよ。
大まかな治療方針でうまくいかない時には、個体差を考えて間違いがなかったか考えて、その人に合った治療をすることが臨床です。マクロですよね。そこに分子の視野が入ってきます。先生の個体差の考え方が僕の基本です。
電子カルテばかり打ち込んでコミュニケーションをとらない医者が多いけれど、患者さんの情報を引き出すには話すことです。例えばお腹が痛いと訴える患者さんに「胃潰瘍ですよ。」と言うと、「実は親が胃ガンで亡くなったので、自分もそうではないかと心配していたんです。」と話してくれることで信頼関係が生まれてきます。これが一番大事ですね。それと、身体を触って五感を使って丁寧に繰り返し診ることなんです。
笹木
そういう丁寧な先生の方が少ないですよね。
本永
ここまでやってうまくいかなければ、もう一度原点に戻って、最初から問診し身体所見をとり直します。どこかに間違いがあるわけですから。
過去に病気や怪我をしていないか、遺伝的に問題がないか、心理的な影響があって症状が出ている場合もあるわけです。
よく話を聞くことで大きな検査をしなくてもわかることもありますよ。複雑な検査をたくさんすれば治るわけではないですからね。
問診は時間がかかりますけれど、これが信頼できる医療の姿だと思っています。
「タンパク質が足りないんじゃないの?」「ビタミンが摂れていないんじゃないの?」というように話していくと、薬をたくさん出すよりも喜ばれますよ。9割方はそれで改善されていきますね。
高齢者だと15種類くらい薬が出る人もいますが、薬をたくさん出すだけでは、だめですよ。
信頼関係をもって治療をしていくことと、分子生物学の視点が役に立ちます。
ミトコンドリアの異常や細胞膜の異常で起こる病気なんかも、他の医者よりも多分早く見つけられると思います。
三石先生の頃には解っていなかったけれど、今では膜タンパクのレセプターのチャネルタンパクがあって遺伝子でコントロールされていることが解ってきました。遺伝子の異常が病気の原因になるんです。
いくつかの病気が絡んでいる場合もあるので、総合診療ができる病院の方が安心と言うことはありますね。臓器別の専門では、たらい回しにすることがありますから。
笹木
それで困っている方も多いと思いますよ。
本永
私の病院では田舎だから総合診療医が多いですよ。専門医と半々ですからバランスが取れていますね。
救急車で運ばれてくる高齢者は薬も多いし臓器もあちこちやられているし、耳が遠いとか声が小さいとか、コミニュケーションが取れないことが多いので診断が難しいです。
何処が痛いのかが解らないから、あらゆる検査をすることになる場合もあるんです。
地域社会や家族との兼ね合いとか、個人の抱える多臓器の異常もすべて包括的にみていかねばなりません。
笹木
それで総合診療医、あるいは家庭医が必要なんですね?
本永
総合診療医は各分野の勉強が必要になります。私は還暦で総合内科専門医の資格を取りましたよ。勉強は大変でしたが頭が整理されたお蔭で、すごく伸びた感じがします。
三石先生の勉強をしているから、どんなことも違和感がないし、難しいことに対して挑戦でき、何事に対しても閾値が低く、好奇心が強いですね。
奥様
いくつになっても勉強は出来るということですよね。
主人は何時でも“三石先生”なんです。(笑)
患者さんを診る時にも、個体差を考慮して診断しているんです。三石先生と知り合わなかったら、違っていたでしょうね。
他の医者との違いは先生との出会いがあったことが大きいと思います。
笹木
先生の考え方、患者さんへの接し方、日々の生活のどれをとっても、父が存在しているんですね!
本永
一昔前、脳細胞は一度死んだらダメだと言われていましたけれど、再生できることもわかってきました。環境に順応して自分を変えていく、環境に適応していくことができるんです。
笹木
「脳細胞は甦る」の本を書いた時には、父の仮説でしたから・・・
本永
認知症にならなければという条件付きですけれど、人間の生きる力というのは凄いです。
重力の無い宇宙船に乗って帰ってきたら血圧コントロールが出来なくなるんです。
重力という環境になじまない身体に神経細胞の機能がついていけなくて変わってしまっているのです。
それを戻すのに1月位リハビリをして重力の世界に慣れるようにしていくのですが、環境が違うと神経の働きや機能も異なってくるようです。今までは地球に戻ってきてもなかなか血圧が上がらないのは、廃用症候群の問題だと考えられていましたが、脳細胞が無重力の宇宙船飛行を続ける中で無重力の世界に適応し血圧コントロールに関与しなくなってしまった、つまり別の機能に置き換わったということです。このことを可塑性といいます。
人間の神経細胞には環境に応じて機能が変化する可塑性があるということです。
血圧は必ずしも頸動脈のコントロールではなく脳を介してコントロールしていることが解ったんです。
パーキンソンや神経難病は大脳・前庭系で調節されていた血圧コントロールが、大脳―前庭系神経細胞の機能も関わっていることを疑わせます。宇宙飛行士におこる血圧低下の減少からこのような「可塑性」のことが解ってくるのです。免疫系でも無限の抗体が作れることがわかってきています。これは、凄い発見です。これはさっき話した“Cell”という分子生物学の本に書いてあります。
免疫細胞担当の遺伝子に働きかけて抗体賛成のタンパク構造を変化させるんです。
遺伝子病もウイルス病も早く発見して治療する時代になると言われながら、なかなかうまくいきません。例えば糖尿病には、100以上の形質の種類があるそうですから、他の病気の形質も合わせたら大変なことですよ。
大腸ガンだ、胃ガンだ,肺ガンだ、乳ガンだと調べてもそれぞれのガンに対して、無限の形質があるわけですから防ぎようはないです。
笹木
遺伝子検査で解るようになったのは凄い進歩ですが、検査をしても100%その病気になるわけではありませんよね?遺伝的な病気は誰でも幾つか持っているわけですものね。
奥様
母は50年も重症なリュウマチでしたけれど、絶対に寝たきりになりたくないと言ってリハビリをして、朝と晩はメグビーを飲んでました。
骨髄炎の手術をした時も貧血もなく、メグビーのお蔭だと実感しましたよ。
私は旅行に行くときにもメグビーが無いとダメですね。本当に必要としています。
だから無くなっては困るからよろしくお願いしますね。私の為にも(笑)
三石先生と出会って、すぐに母が実践したんです。
父は脊柱管の手術をして飲み始めました。「手術はうまくいったので後はリハビリを頑張ってください。」と退院させられたんです。手術した病院ではリハビリはしませんからね。
でも首は動かないし寝返りもできないので、島に連れてきたんです。これはメグビーしかないと思って、毎日スムージーにして運びましたよ。
若い人と違って、高齢者の手術はうまくいかないですよ。私たちが反対しても、病院は手術をすれば元気になると言うものだから、父はやりたいわけですよ。
本永
僕のみたところ、手術前とあまり変わっていませんでしたね。
素人だったら、自宅ではリハビリもできないし、手術が上手くいっても家族の協力や多くの人間のサポート体制がないと機能回復は難しいです。多くの患者はこんなものだと思って寝たきりのまま終わるのでしょうね。
今の医療環境では術後は退院して、回復期リハビリ病院か療養型の老人病院に行くことになりますが、このようなシステムですべて解決できるかどうかが疑わしいですね。
奥様
私は昔看護師だから、父や母の場合は自分でサポートできましたから困りませんでしたよ。
今は医者も看護師もあまり病室に来ませんね。私達は、患者さんとよくお喋りしていましたよ。
笹木
私の知り合いは、喉が渇いても吸い飲みは持てないし、ベルも押せないので脱水になって点滴をしたと聞きました。
奥様
それは病院の対応のまずさですよね。動けない人には特に気を配らなくてはいけないと思いますよ。最低限の優しさがあって欲しいですね。
本永
今度はバカンスでゆっくり遊びに来てください。宮古島は綺麗な所がたくさんあるし、星もとてもきれいに見えます。
笹木
先生の書かれたエッセイ『「天の根」~島に生きて~』を読ませて頂きましたけれど、先生の地域医療の取り組み方が素晴らしいと思いました。患者さんとこんなに風に心を通わせている先生の姿に、感激して涙を拭きながら読みました。(笑)
先生のようなお医者様がいらして、宮古島のお年寄りは幸せですね。
いつかメグビーにいらした時に、「島言葉を勉強中なんですが、難しくて・・・・」と、仰ったけれど、こんな風に患者さんと向き合うためには、どうしても必要だったんですね。
今度は遊びに来ますので、その時にはお付き合いよろしくお願いいたします。(笑)
今日は楽しい時間を、ありがとうございました。

本永 英治 様:1957年生まれ 59歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

インタビュー一覧に戻る