垣田敏彦様インタビュー

垣田君は父とマンツーマンで毎晩勉強した元社員です。あとにも先にも社員に父が勉強を教えることはありませんでしたし、あんなに楽しそうに自分の考えを話していた姿は見たことがありませんでした。ご家庭の事情でメグビーを辞めることになりましたが、今でも仕事の上で勉強したことが役に立っていることを知り、父も喜んでいることだろうと思います。

笹木
お久しぶりですね!最初にお目にかかったのは、宿泊研修でしたよね。
垣田
そうです!丸沼の夏の研修会ですよ。
笹木
ペンションを借り切って、夜も遅くまでお喋りして、賑やかでしたね。あの頃は、まだ高校生でしたよね?帰ってすぐにあなたから手紙が届いたのよ。(笑)
垣田
エッ!そんなことがありましたか?
笹木
とても長い手紙で、メグビーで働きたいと書いてあったの。
垣田
そうでしたね!何を書いたかは覚えてないけれど、書きましたね。(笑)
笹木
どうしてもメグビーで働きたい、勉強したいという手紙に感動して大切に取ってあったからどこかにあると思うのよ。
垣田
研修会に行って、メグビーで働きたいと思ったんです。17歳の時です。
笹木
あの頃の研修会は、男性の参加が多かったですよね。垣田君の他にも勉強したいという若い男性が何人も参加して活気がありましたね。勉強の合間にストレッチを教えてもらったり、夜は本永先生がギターを弾いてくださいましたね。
ところで、メグビーで働きたいと思ったきっかけは?
垣田
父が治療院をしていたこともあって、医療に頼らずに食品で健康になるってすごい事なんだと、高校生なりに思ったんですね。
そういうことを勉強できることは、非常に素晴らしいと思いましたよ。
笹木
それに魅力を感じたということですね。
垣田君はバスケット部で、部員が怪我をしたり、調子が悪くなったりしたらマッサージをしたりしてましたよね?
垣田
そうです。そうです。よく覚えてますね(笑)
10年位前までは卒業した高校のコーチをやってましたが、仕事が忙しくなって辞めました。
笹木
入社してからは夕食後、毎日父とマンツーマンで勉強していましたよね?
「可哀そうだから、せめて一日おきにしたら。」って、父に言ったのよ。そしたら、「嫌がってる様子はないよ。」と、父は嬉しそうに笑ってましたよ。
分子栄養学を学びたくて広島から上京してきてくれたことが、とても嬉しかったと思いますよ。毎晩2時間位勉強してましたよね。
垣田
時間は長かったけど嫌ではなかったですよ。だって、毎日ご飯食べさせてもらえましたから(笑)手料理も美味しかったけれど、特にウナギが美味しかったです。(笑)
笹木
垣田君はご相談も受けてましたか?
垣田
相談は全部三石先生でしたから、僕は倉庫で荷造りですよ。送り状を出したり、何しろ手計算の時代でしたから、月末は忙しかったですね。まだパソコンを導入したばかりで業者が教えに来てましたね。経理はソロバンでしたよ。
笹木
懐かしいわね。いつもソロバンの音がしていたもの。
そんなことより、父の思い出を聞かなければ(笑)
垣田
講演会で、ビデオを撮るのが僕の役目でしたから、ゆっくり講演は聞かせてもらえました。
誰もメガビタミンなんて言わない時代でしたから、最先端の話を聞かせてもらっているんだと思っていましたね。それが今30年以上たって、現役の医者が三石先生の理論を認めているわけだから、すごいですよ。
今サプリのブログランキング1位で「サプリソムリエ」として有名な宮下さんが、ブログで三石先生の理論、分子栄養学は凄いって書いてますよ。
その方は自分でサプリを作っているので、商売敵ですけど三石先生の理論を認めている人が一人でも多く居ることが僕は嬉しいですね。
笹木
メグビーは患者さんに勧めにくいですか?
垣田
そうですね。健食を売られるのを嫌う人もいるのであまりセールスはしていませんが、栄養がいかに大切かを伝えるようにしています。何かいいものがあるか聞かれた時に話すようにしています。なかなか協力できなくてごめんなさい。
あの頃は、半田先生が毎月公開講座をやっていたし、研究生の鈴木さんも勉強会をしてましたよ。
笹木
鈴木さんは子育てが終わって戻ってきて、今はセルフケアルームというのを東京と大阪でしています。
垣田
その他、研究生は森山さんと久保谷さん(対談:2015年11月号)が電話相談をしていて、荷作りのパートさんもいましたね。
笹木
荷造りもインフォメーションを折って発送するのも、全部社員やパートさんでしたからずいぶん何人もいましたよね。
話しは戻るけれど、父にいろんな質問をして、帰ってからも勉強していて偉いなぁって思いながらお茶碗を洗ってましたよ。(笑)
母も長い時間なのにそばに座って、うなずきながら聞いてましたね。(笑)
次男は垣田君のアパートに泊まりに行きましたよね。まだ小学生だったから、お兄さんのように思っていたんでしょうね。会いたいと言ってましたよ。
垣田
懐かしいなぁ。話していたらいろいろ思い出してきましたよ。
笹木
今の仕事は、整体ということでいいのかしら?
垣田
そうですね。治療院というか、整体をすることにより自分の治癒力を上げていくことで、「自分で治せるカラダ」になるお手伝いをしていく施術をやっています。
ボキッ!てやるような整体ではなくて、軽く触って調整するというやり方ですね。更に、栄養を摂って自然治癒力を高めるお手伝いをすることなんです。
僕がメグビーにいたころに父が倒れて、母は一人で治療院を切り盛りしていましたが、その時は力を入れてやる施術だったんです。
昼間は父の介護をしながらここで治療をして、夜はホテルで出張治療をするという生活を5年間もしてくれたんですね。
それですっかり指を痛めてしまったんです。僕の今の治療方法なら母のようにはならないです。
笹木
それで、メグビーをやめて帰ることになったんですものね。
垣田
帰るまでの5年間、必死にこの治療院を守ってくれた母には、心から感謝しています。やっと、少しずつ恩返しをさせてもらっています。
母は大変だったと思いますよ。うるさいオヤジでしたからねぇ(笑)
実は母が手の手術をして昨日退院してきたんですけれど、回復が早いのはやっぱりメグビーをしっかり摂っているからだと思いますよ。それに、あの辛い5年間耐えられたのも、毎日欠かさずメグビー製品を大量に摂っていたお蔭と確信しています。
笹木
お父さんは楽しい方でしたよね。お母さんはきっとおとなしい方なんだろうな、お会いしたいなぁと思ってました。あなたが辞めてからもずっとお年賀状頂いていたけれど、やっとお目にかかれて、今日はうれしかったわ。
垣田君の年賀状はいつも家族写真だったから、奥様にも初めてお目にかかった気がしないのよね。小学校の先生をしている御嬢さんが今年ご結婚でしょ?おめでとうございます。
垣田
本当に早いですよね。この仕事をして、もう27年ですから。
一緒に治療している先生はもともと患者さんだったんですが、脱サラして僕のやっているスクールに入って、資格を取って働いてくれています。
笹木
頑張っているのね。患者さんが仕事としてやりたいということは、垣田君の治療で体調がよくなったということだから嬉しいですよね。
垣田
そうなんですよ。
笹木
1人だったら風邪も引けませんものね。
垣田
ところが二人同時にインフルエンザに罹ってしまったことがあって、10人位はキャンセルできたんですけれど、連絡できない人もあって大変でしたよ。
多分患者さんから移ったんでしょうけれど、まさか同時にひきます?!(笑)
「大丈夫、インフルエンザじゃありませんから」とか言って、連絡の取れなかった患者さんにはやりましたけど、土・日が入っていて助かりましたよ。
僕の仕事は三石先生に教えて頂いたことをベースに、食事の指導をすることですね。
現代医療の在り方はおかしいと思っているので、薬に頼らないで人間の持っている自然治癒力を上げることが大切だとお話しています。
常に勉強ですよ。新しいことを取り入れていかなければダメですからね。
笹木
これからもがんばってくださいね。本当に懐かしくて、楽しかったです!
お仕事を休ませてしまってごめんなさいね。東京に来ることがあったら、ぜひ、連絡して下さいね。今日はありがとうございました。

垣田 敏彦 様:1966年生まれ 51歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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