薄井坦子先生インタビュー

御茶の水女子大で教育学。東大で看護学を学ばれ、東京女子医大、千葉大看護学部、宮崎県立看護大学で看護学教育に貢献されました。「薬ではなく食事が健康を守る」とのお考えを、熱心にお話ししてくださいました。

笹木
お久しぶりです。
お忙しいのに、今日はありがとうございました。
暖かい宮崎からだと、東京は寒くてびっくりなさったのではありませんか?
薄井
寒いと聞いていたので、暖かくして来ましたら暑いくらいです。(笑)
笹木
先生が父のことを知ったのは、千葉大の看護学部にいらした時ですよね?
薄井
そうですね。
たくさんお話しすることはないのですが、先生との出会いはとても衝撃的でした。
毎日新聞に先生の講演会の記事が載っていて、「癌は食事によって防げる」という演題だったんです。
93歳の物理学者が“食”の話をされるということに、とても興味をもちました。
看護という仕事もおおもとは、やっぱり“食”なんです。
細胞の作り替えの主役なので、“食”を通して生活調整をすることだと思っていましたから、聴きに行ったんです。
面白かったですね!
講演が終わって、「質問のある方は?」と言われて、真っ先に質問しました。
私が一番感動したのは、“個体差”という概念でした。
最後に、「タンパク質が必要なことはよくわかりましたが、粉を飲むってわびしいですね。」って、言ったんです。(笑)
「私は物理学者だから、そうは思いませんね。それをわびしくないようにするのが、あなたの役目ですよ。」と言われて、ギャフンとなりました。(笑)
笹木
父らしい突っ込みですね。(笑)
薄井
叱られたから、何くそと思って頑張って今まで続けてきて本当に良かったと、先生に感謝しているんです。
それに、私が一番熱心だと思っているくらいです。(笑)
“食”に興味を持ったきっかけは、香川綾先生なんです。
食事に気をつけたことで白髪が黒髪になったこと、メガネで調整できないほどの強度の近視でよく見えなかったのに、見えるようになったこと、4時間も論文を読んでも疲れなくなったということなどを、講演で話されたんです。
95歳の頃の話です。
「近眼が良くなることがあるんですか?」という質問に、黙って演壇を降りて一番前の学生のノートをスラスラ読まれたので、びっくりしました。
看護の学生たちもひどい食事をしていましたから、どうにかしたいと思っていた時だったので香川先生の“食”に、はまって行ったんです。
笹木
それが“食”の教育に関心を持った最初なんですね?
薄井
はい。三石先生の講演を聴いたのは、その後です。
当時は千葉大の基礎看護学で教えていましたから、学生がいつでも読めるように三石先生の本は講座の図書室に全て置くようにしました。
看護師の仕事は患者さんの持てる力を引き出すことだと思うんです。
ナイチンゲールの教えは「Art and Scienceをみんなで」、ということなんです。
Artは看護技術として大学で教わりましたが、三石先生にはScienceの根本をしっかり教えていただいたと思っています。
Scienceは意味を考える力がないとダメなんです。
「患者さんの状態について自分が考えたことの根拠を、どのように患者さんにわかりやすく伝えたらいいのか。」
「患者さんそれぞれにあった説明ができるか。」というようなコミュニケーション能力がないと、相手の持てる力を引き出すことはできないからです。
看護というのは患者の持てる力で回復してもらうように、ご自分の力で生きてもらうようにするのが仕事ですからね。
私は教育学部の学生の時に結核になって1年3か月入院を余儀無くされました。様々な患者さんとともに暮らした療養生活の中では、病むことも回復することも、日々の過ごし方が大きく影響することを痛感し、「人間はどのようにつくられているのだろう。解剖学から学びたい。」という思いが大きくなって、看護学と出会うことになったんです。
卒業後就職した日本医師会の武見会長から看護とは何かと問われ、私のレポートを見て「医師の仕事と同じだなぁ。看護師も専門職にしなければならないね。」と言われました。その後ある会合で「患者に直接関わる医師と看護師が専門職にならなければ、国民の健康は守れない。」という発言が出た時には、とても嬉しかったですね。
そして、実践を通してつかまなければと思い、東京女子医大の榊原院長から「手術に成功しても患者は死ぬ。看護のレベルを上げて欲しい。」との要請を受けた湯槙先生のお手伝いをすることになりました。
笹木
看護師の仕事は大変ですけれど、患者にとっては一番身近で、なんでも聞ける存在だと思うんです。
薄井
私は「知識と技術とやさしさとを、どんな時にも同時に注げばいい。」と思いながら「なぜ入院しているのか、どのような治療を受けているのか、患者が絶対にしてはならないこと、積極的にしなければならないことは何か、などをメモして持ち歩き、患者さんに接するようにしたんです。教える立場になって、ようやく健康でなければナースの資格はない。」と、思うようになりました。
それで、女子医大では、何回か食事コンテストをしたり、実験をさせたりして香川先生のお考えをベースにやっていました。千葉大に看護学部(1975年)ができて教鞭をとることになり、1年生の健康状態や食事記録をとらせました。
生理痛だけではなくて、すでにホルモン治療をしている学生もいましたが、食事に気をつけることで、秋には問題を抱えている学生がゼロになりました。
ちゃんとした食事をすれば治るんですよ!
これも三石先生との出会いのお陰で、発展して行きました。
笹木
父の話をお聴きになる前から、“食”に関心があったということですね。
薄井
先生とのお話の中で個体差ということに共鳴し、その後すぐにヒトフードを教材化したんです。
それからは、ずっとメグビーにお世話になっています。
笹木
千葉大の看護学科には、随分送らせていただきました。
薄井
学生にはいつでも研究として飲めるようにしたので、問題をもっていた学生達はヒトフードを食べるようになって、全員トラブルが無くなりましたね。
「食研究グループ」を作って研究をまとめて博士論文にした教員もいました。
もう一人、知人の女性から相談がありましてね。
赤ちゃんが欲しくて人工授精を2回したけれど着床しないというんです。
ものすごく痩せているので、まずは体力作りをするように話し、ヒトフードを勧めたというか、3ヶ月実行してから3回目を受けなさい、と強制したんですよ。(笑)
しばらくして、双子の女の子が生まれたと連絡があった時は嬉しかったですね。
ヒトフードは素晴らしいと、実感した瞬間でした。
親が健康でないのに、人工授精してもダメですよね。
とんでもないと思いましたよ。
薄井
宮崎に看護大学を創るので、開校記念講演は、三石先生にお願いしようということになりましてね。
笹木
父は張り切ってお受けしたのではないですか?(笑)
薄井
開校が1997年の4月で、7月に記念式典をやることになっていたんです。
ところが1月に三石先生が急死されて、残念ながら実現しませんでした。
翌年に恥ずかしながら私が「人間の健康はどう造られるのか」という話をしたんです。
その中で先生のことを話しています。
これは記録に残っているので、差し上げますね。
ヒトフードの良さを実感していたので、宮崎でも学生たちには飲みたい時には自由に飲んでもらえるようにしたんです。
貧血だの生理不順だのと、学生達はいろいろな問題を抱えていましたよ。
看護の仕事をする者が、自分の健康管理ができなくてどうするのかと、そこでも話しました。
宮崎県立看護大学での立場は学長でしたから、全教職員の健康診断の結果がわかりますが、何かしら問題を抱えている人が多いですね。それで、「実験してみませんか?」と声をかけたんです。
一人一人に話を聞いて被験者として、メグビーを飲んでもらいました。
笹木
ということは、先生のところにはデータがあるんですね?
薄井
そうですね。データはたくさんありますが、個人情報ですからまとめることはしませんでした。
歩くのが困難な方も頑張って、定年まで勤められたそうです。
飲めばいい結果が出るのに、どうしてみなさん真面目にヒトフードをやらないんだろうと思っています。(笑)
笹木
先程先生が仰ったように、理解するのが難しいということですよね。
薄井
ミックスは酸っぱくて飲めないと言っていた人が、風邪をひいて喉が痛いと言うので、「これを飲まないからよ。」って言ったんです。
3本飲んだら酷くならずに済んだと、喜ばれましたよ。(笑)
「高齢者が自分の健康管理ができなくて、今までの人生恥ずかしくないの?」って、聞いてしまいました。(笑)
メグビーSは飲みやすいけれど、メグビーEは少し粒が大きいので、歳をとると飲みにくくなるようですね。
笹木
メグビーのE、A、DECなどは大きいと言われることもありますが、小さくすれば飲む数が増えて大変だということになりますから・・・・
お湯で少し柔らかくすると、飲みやすくなりますよ。
薄井
飲みにくいと言っていた方も、慣れたら何でもないと言いますけれどね。(笑)
それから、先生の本にベルジュバンスのことが書いてありますでしょ?
乳ガンの患者さんにお話してとても喜ばれました。
福岡でカネミオイル事件が起きた時、その有害物質は皮膚からしか排泄できないと学者が言ったんですね。
それを聞いたベルジュバンスを開発した山崎伊久江美容師が仲間に指示し、無償で被害にあった方々に施術をされたんです。
皮膚にいろいろな症状が出ていた方達が施術を受けて、どんどん良くなったそうです。
私もそれを読んでからずっとベルジュバンスですよ。
記事を見てきてくださるなんて、と言ってご馳走までしていただきました。(笑)
笹木
そんなことがあったのですね。
薄井
私はメグビーに助けられていますが、初めて講演を聞いた時には驚きましたが、先生の話し方にはとても説得力がありますよね。
私はきちんと根拠のある話をする人が好きなんです。
先生は理論を終生追いかけられた、ということが素晴らしいと思います。
笹木
ありがとうございます。
これから、あちこちで勉強会をなさるんですね?
お忙しい中、本当にありがとうございました。
☆ベルジュバンス
三石巌の書籍にも出てきますが、山崎伊久江さんの考案された酸性パーマです。
父は山崎さんに頼まれて、ベルジュバンスをしている美容師達に講演もしています。
ベルジュバンス液は体内に侵入してペーハー値を下げる作用があるため、マッサージだけを受ける方もいます。
父は腫瘍がある場合はその細胞内のペーハー値を、リゾゾーム酵素にとって最適に近いところまで持ってゆくのではないかと考え、お薦めしていました。

薄井 坦子 先生:1932年生まれ 85歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

インタビュー一覧に戻る