中島由美子様インタビュー

リンパドレナージュにいらした時に、創立当初のお客様のお嬢様だとお聞きしてから、機会があればお母様のことをお聞きしたいと思っていました。
「色々飲めばベストでしょうけれど、その時の悩みや経済状態がありますからご相談にのって頂くことで、無理なく続けることができるんです。」 と、うれしいお言葉を頂きました。

笹木
今日はお時間をいただき、ありがとうございます。
早速ですが、まずお母様の梅津さんのことをお聞きしてもいいですか?
数回しかお目にかかっていないのですが、とても印象に残っているんです。
中島
その頃、健康食品のようなものはまだあまり無くてプルーン位でした。母は被曝していたので、特に健康には関心がありましたし、”健康オタク”だったと思いますよ。(笑)
プルーンの他に、ビタミンEやビタミンCを扱っているサプリメントの会社と出会って、その会社の勉強会で、先生の「ビタミンE健康法」「ビタミンC健康法」を読んだみたいです。もともと読書家で、勉強熱心でした。
広島に住んでいましたが、著者に会って話を聞きたいと言って、私が練馬に住んでいたのですぐに上京して来たんです。1982年位だと思います。
洋裁の先生と一緒に、その製品を持って三石先生のお宅に伺いました。先生はフフフってお笑いになって「もっと良いものを僕は作っていますよ。」と仰ったそうです。(笑)
帰ってくるなり「良いものを紹介していただいたの。エレクトーンも聞かせていただいたのよ。」と、嬉しそうに話してくれました。(笑)
母の人柄というか、困った方がいると「こんな良いものがあるわよ。」と、ご紹介するので、お仲間が増えていったようです。
笹木
被爆したとお聞きしても、言われなければわかりませんでした。
中島
8月6日の朝、母は腕まくりをして室内で掃除をしていたそうですが、窓ガラスのそばにいたので、腕にケロイドが出来てしまったんです。でも顔は偶然影になっていて、大丈夫でした。その後、放射能を帯びた黒い雨が降ったのは西の方だったので、母の家からは、離れていたんです。
笹木
ケロイド以外、被曝のダメージは何もなかったんですか?
中島
放射能の害ですよね?何もなかったですね。
ただ、C型肝炎のキャリアでした。
祖父が医者だったので元気になるからと、たまたま手に入った血液製剤の注射をしたのが発端でした。
三石先生にそのことをお話ししたら、肝硬変にならないようにするには、プロテインをしっかり飲むことが大事だと仰ったそうです。
その頃、健康の本や食品が出始めた時期だったんですね。色々飲んでは自分の身体で実験していました。3ヶ月試しては血液検査をする、というようなことをしていたので、当時メグビーをどのくらい飲んでいたのかはわかりません。
広島から私のところに遊びに来るときには、ビタミンAとかEをフイルムケースに入れて持ってきたことを覚えています。
笹木
娘のところに来たので寄ってみたと、江古田の事務所に来てくださいましたが、中島さんの所だったんですね?
中島
そうです。
江古田の事務所には私も母と一緒に行きましたよ。線路脇の事務所も日大前の事務所も二人で行きました。でも、その頃私はまだ、メグビーは飲んでいませんでした。(笑)
祖父も母も背が高く体格が良かったですね。
毋は身体の大きな祖父にマッサージをしていましたから、上手だったみたいです。
それで、興味があったんだと思いますが、駒場エミナースでの*町田久先生主催のリンパマッサージの講習会にも参加していました。
何にでものめり込む人でしたね。 白内障になった時も、自分で調べて眼内レンズを入れたいからと、手術のできる病院を探してました。まだ一般的ではなかったので、相談に行った眼科の先生たちには反対されたそうです。でも、どうしてもやりたいと言って、PLの病院で手術をしました。
洋裁や本が好きでしたから目が見えることが重要だったと思います。
笹木
ご自分で納得するまで調べる方だったんですね。
中島
それも特化して健康のことだけでしたね。*光研灯も2台ありましたが、三石先生からご紹介いただいたと思います。きっと、眼内レンズについても先生のご意見を伺ったと思いますよ。
笹木
お客様からお問い合わせが何件かあるけど、どんなものかわからないのでやってみることにした、と父はそれほど悪くないのに眼内レンズを入れましたが、父より前になさっていたのかもしれませんね。
父は昭和大学病院でしたが、当時、東京ではそこしかできなかったようです。両目だったので10日くらい入院していたと思います。
術後、白がとても綺麗に見えると言っていましたが、視力は思うようには行きませんでした。結局、焦点距離の計算を間違ったと担当医から謝罪がありましたが、レンズを入れ直すことはできないと言われたそうです。
手術前よりも具合が悪く眼鏡で矯正することが難しくなりましたが、やらなければよかったというようなマイナスのことは一度も言いませんでした。
でも今は、一般的な手術になりましたね。
中島
母は数年後に、もう片方の目をやりましたが、技術が良くなったのか、前よりも具合が良いと言っていました。
笹木
どんどん進歩しているんでしょうね。
梅津さんは背がすらっとしていて、知的なとてもお綺麗な方で、忘れられないんです。
中島
品のあって本当によく勉強する人で、頭も良かったですね。
決局、C型肝炎から肝硬変になり、最後は肝臓ガンで亡くなりました。
メグビーは母が亡くなった後、父がしっかり飲むようになりました。
製品は毎月広島に送っていただいていましたが、時々ご相談を兼ねて持っていく製品を買いにきていたんです。ある日、栄養士さんが私の顔を見るなり「中島さんの身体の方が心配です。お父様よりあなたが飲むほうがいいですよ。」って言われたんです。
それがきっかけで私も毎日飲むようになったのが、2008年だったと思います。
検査を受けたら、もともとは低血圧だったのに、血圧がかなり高くなっていました。
自覚は何もなかったです。
あの時、その助言がなかったら広島に通えなくなっていたかもしれませんね。(笑)
自分では大丈夫なつもりでも、無理な生活だったと思います。
広島に5日間、東京に9日間という繰り返しの生活でしたがメグビーを飲むことで、10年間も広島との往復ができたと思っています。
笹木
良くなさいましたよね。毎月往復しているとお聞きして、親孝行も離れていると大変だなぁ、偉いなぁ、と思っていました。
中島
交通費は両親が出してくれたので続けられました。そうでなかったら通いきれなかったと思います。
弟がいるんですが、生きている間は私がみるから、亡くなった後のことは頼むわね。と、話しました。
決めなければならない事がたくさんあるので、相談ばかりしているよりその方がいいと思ったんです。
両親は二人ともガンだったんです。母も肝臓ガンから腹水が溜まって辛そうだったので、町田先生にご相談して、ゼラニウム入りのリキッドを購入し、父に毎日マッサージをしてくれる様に頼みました。
マッサージすることで触れ合うこと、コミュニケーションをとることができるので、私がいる間も父にやってもらいました。
毎日欠かさずマッサージするようにしてからは、腹水が溜まることは無かったですね。
母が亡くなったのが2007年なので、父はその後8年間一人暮らしでした。
笹木
中島さんとはリンパドレナージュに来られるようになって初めてお目にかかったと思っていました。
中島
そうです。そうです。母が亡くなってからですから、2009年くらいかしら。
笹木
中島さんは毎月リンパドレナージュを受けていらっしゃいますよね。
中島
母がマッサージをしていたこともあって、私も受けてみたいと思って、通うようになったんです。
こうやると、リンパの流れが良くなるとか説明しながらしてくださるので、納得しながらやっていただけるし、実感できるので、これは欠かせないと思って続けています。去年の秋に捻挫をして、右足の靭帯を損傷したんですね。動かないようにと言われても、骨折ではないし、動けるので製品を取りに来たんです。 ちょうど、鈴木先生がいらしていて、施術を教えたい人がいるので実験台になって欲しいということで、腫れて内出血している脚を診ていただいたんです。
この内出血はリンパに乗って上に上がっていかない限り、外に出ることはないということや、膝のリンパを流してから、足先をマッサージする。ということを教えていただきました。
整形外科では骨折だと皆さん動かないけれど、捻挫は歩いてしまうので、治すのが大変だと言われたので、病院はしばらくタクシーで行くようにして、朝晩リンパマッサージをしたらみるみる内出血が消えました。
やり方を知っているのと知らないのとでは全然違いますね。その時はリキッドを1本全部使い切りました。 もっといい事は、アトピーで冬は粉を吹いてしまうのに、朝晩リキッドを使うので、ピカピカで綺麗な肌になったんです。(笑)
当然のことですが、メグビーSはいつもよりたくさん飲みましたね。
私はその時の状態をお話しして予算もありますので、何をどのくらい飲んだら良いかをご相談してから買うようにいるんです。
これを減らして、これを増やしたらどうですか?と、言っていただけるのでありがたいです。どれも飲みなさいでは無くて、その時にあったものを教えていただけるのがメグビーのいいところですよね。
色々飲めばベストでしょうけれど、その時の悩みや経済状態がありますからご相談にのって頂くことで、無理なく続けることができるんです。
笹木
製品を売ることでは無くて、お客様のお悩みに寄り添っていくことが私たちの使命だと思っていますので、そう言っていただけると、嬉しいです。
中島
怪我をする1年前に、映画の学校に通い始めたんです。若者たちと一緒に勉強して私は映画作りはしませんでしたが、手伝いをしていると、食事時間は毎日バラバラで本当に大変な1年間だったんです。それをこなすにはメグビーS がなければどうにもなりませんでした。Sは本当にたくさん飲みましたねぇ。 人に迷惑をかけてはいけないと思って、その時から降圧剤を飲んでますが、いずれやめようと思っているんです。(笑)
笹木
やめられるといいですね。
中島
今はプロテイン、ミックス、S、E、A、ボーン、DECを朝飲んでいますが、今日は元気な声じゃないと嫌だなと思って、昨夜はSを3本飲みました。(笑)
笹木
自主管理をなさっているということですよね。
中島
きちんと飲んでいると、寝覚めが全然違うんです。
Sをたくさん飲むようになったのは笹木さんのお宅のバラの花を撮影に行った時に疲れているみたいだからと3本飲むようにとすすめられて飲んだのが最初です。こんなに飲んでいいのかな?と、思いましたが、その時に本当に違うと実感したんです。
笹木
リンパドレナージュの施術のDVD の製作の時ですよね?
中島
2011年です。
50歳の時、椿山荘で結婚式撮影のアシスタント募集があったので、応募したんです。そこで色々勉強しました。
編集が好きなので、娘のライブのビデオを撮って練習の場にしていました。 結婚前は中国放送(ラジオ)で、音の編集もしていたので、鈴木先生がDVDを作りたいと、話されたのでお手伝いしたんですよ。
笹木
ナレーターは中島さんのお嬢様ですものね。
中島
そういう仕事をして居るものですから。
その頃夫は年に1度九州の母のところに、お見舞いに行っていたのですが、男性は顔を見てあまり話もせずに帰って来てしまうようなので、ビデオを作ったことだし、これを見て脚だけでもマッサージしてあげたらって言ったんです。
行く時にビデオとリキッドを持って行ったので、やってあげたと思うんですよ。男の人でもそのくらいのことならできるんだなぁって思いました。
笹木
お父様もなさいましたものね。
中島
父は完璧な介護人で、父をお手本に介護ロボットを作って、困っている方に使って欲しいくらいでした。(笑)
男の方も毎日でなくても、そばにいる間だけでも、親御さんにマッサージしてあげて欲しいですね。お互いに嬉しい時間だと思いますよ。
夫はメグビーを飲んでいませんが、会社を辞める直前の脳ドックで脳動脈瘤が見つかって、経過観察だったんです。一昨年、精密検査をしたら手術をすすめられ、そのあとセカンドオピニオンを予約したんです。そして、術前の体調を整えるために何を飲んだら良いかをメグビーの栄養士さんにご相談したんです。
その時は自分の身体のことなので真面目に飲んでいましたが、最終的にセカンドオピニオンで経過観察で良いと言われた途端に、飲まなくなりました。(笑)
笹木
そういう方の方が多いです。(笑)
中島
長女は結婚して子供が欲しいからと飲みだして、出産後はSだけヨーグルトに入れて飲んでいます。次女は喉を使う仕事ですから、きちんと飲んでますが、時々他社のCやミネラルを買って来るんです。でも、内容を比べてメグビーの方がたくさん入ってると言って、またメグビーに戻りますね。(笑) 「やっぱりメグビーだよね。」って言ってます。(笑)
笹木
ありがとうございます。
例えばCが安いと思っても、同じ量を飲もうと思うとかえって高くなってしまうこともありますからね。
ご自分のライブだから、代わりがいないので体調管理はしっかりしなくてはダメですものね。
中島
メグビーSだけは欠かしませんね。
以前小竹向原(板橋区)の団地に住んでいました。メグビーの箱や空き瓶がよく捨ててあったんです。
世の中狭いなぁ、誰が飲んで居るのかなぁ?と、思っていたら清水さん(第11回 2014・8に対談掲載)という方でした。
団地の集会場で三石先生の講演があって聞きに行ったこともありますよ。
笹木
それは偶然ですね!あの団地にはYさんというお客様もいらして、その方はさっき話されていた町田先生のご紹介です。何棟もあるのに、すごい偶然ですよね。
メグビーのお客様が3人も同じ棟に住んでいらしたとは、本当に世の中狭いですね!
中島
お友達の息子さんが親指を大怪我して、もう爪が生えてこないかもしれないと心配されていたので、メグビーをご紹介したんです。
しっかり飲んで、ちゃんと生えてきましたよ。
それから忘れもしない震災の時です。私が働いているところは食品を扱っていて、朝から晩まで休む間もなかったです。特にチーフの女性は若かったけれど、可哀想なくらい忙しくて、みるにみかねてSを一箱プレゼントしました。
疲れが違うのがすぐにわかりますからね。
あの震災の日は広島から東京に帰る日で、静岡駅で停車した新幹線の中にいました。
6時間遅れで東京駅に着き、翌日からは大変な日々でした。
笹木
仕事をしながら、本当に長い間よく通われましたよね。
中島
母が長引いたら、父が先に亡くなっていたかもしれません。母が亡くなった後は心身共に棺桶に足を入れているという感じで、目が離せませんでしたね。
笹木
若い時に一人になるのも淋しいけれど、高齢になって先立たれたら立ち直るのがとても大変だと思います。
中島
私も今までは必要な時に飲んで、元気になると辞めていましたが、今はずっと続けています。次女は疲れると必ず飲んでいます。
父は前立腺ガンになって、最後は母が入っていたホスピスに入りましたが、メグビーを摂っていたので、「栄養状態はとてもいいから、ガンと共存できているんですね。」と言われました。 90歳になっていたので、手術はしませんでした。
母は肝臓ガンなので、腹水で肺が圧迫されて窒息死するか静脈が破れて失血死するかだと言われましたが、ガンが自爆して内出血してあっという間に亡くなりました。
父は血圧が下がってきて静かに亡くなりました。 二人ともいい死に方だったと思っています。
笹木
本当に良くお世話なさいましたよね。
中島
やれる事を無理しないでやったので、悔いは無いと思っていましたが、思ったより傷ついていたんだなぁと、亡くなってしばらくして自覚しました。
笹木
どんなにやっても、これで良かったという事はないと思いますよ。
中島
父は自分が身体を壊してまで看病したのに、後悔ばかりしていましたね。
笹木
いいご夫婦だったんですね。
中島
ステイタスのある人と結婚したわけではなかったけれど、母にとっては最終的には一番いい夫を選んだのかもしれませんね。
笹木
娘としてそう思えるって素敵ですね!今日は懐かしいお話が聞けて楽しかったです。
ありがとうございました。
*光研灯
「ガンは予防できる」などで、ご紹介している光線治療器。2本のカーボンを接触させて得られる光線を患部に照射する。
*町田久先生
メグビーリキッドを使ったリキッドマッサージを考案。

中島 由美子 様:1952年生まれ 66歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

インタビュー一覧に戻る