長年愛用いただいているお客様と弊社代表笹木多恵子との対談。

第26回高橋 咲子 様 (76歳)

三石先生のご本とは劇的な出会いでしたね。

笹木  お久しぶりです。今日は寒い中おいで下さってどうもありがとうございます。
創立10周年のパーティー以来ですね。お会いできてうれしいです。
早速ですが、父との出会いは本を読んでお問い合わせ頂いたのですか?

高橋  そうです。40年位前のことで、まだメグビーが出来る前ですね。
母が自己免疫病で無菌室に入院していて、プレドニンを飲んでムーンフェイスになったり毛が抜けたりしていたんです。死と隣り合わせだった母の容体が少し落ち着いて、退院のめどがついたので気持ちの余裕ができて、売店に行きましたら「ビタミンE健康法」が慶応病院の売店に置いてあったんです。

笹木  慶応病院の売店に?

高橋  そうなんです。何度も何度も読んで、三石先生にお電話したら「すぐにいらっしゃい。」と言って下さって、江古田のご自宅に伺ったのは初夏でした。
大きな木がお庭にあったのを覚えています。だって本を読んで直接お電話して伺うなんて初めての経験ですから、良く覚えています。
スキーやエレクトーンやヴァイオリンのことなども話してくださいました。私は踊るよりも指導のほうが忙しい時期でした。
応接間で、先生とお話ししていたら奥様が(ヒトフードを)作って下さって、少しづつ製品を分けて頂いて帰ってきたんです。それが最初のご縁で、忘れられません。

笹木  まだC社の顧問をしていた時ですね。

高橋  そうですね。それからメグビーが出来たんです。
母は5月の連休に伊豆に旅行に行った時、車で気分が悪くなったんです。
貧血だと診断されても、お食事では追いつかなくて。その先生がアメリカで一緒に勉強した血液専門の若い先生が帰国して、慶応病院にいるからと連れて行って下さったんです。「どうしてこんなになるまで放っておいたんですか。」ってビックリされました。黄疸が酷くて、診察室の黄色いカーテンと同じような顔色だったんです。
すぐに溶血性貧血(自己免疫病)と診断されて、そのまま無菌室に入院しました。でも、輸血はしないで済みました。でも、お医者様が管理しながら薬を減らさなくてはならず、2か月近く入院してたと思います。
退院してすぐに両親も私たちもメグビーを飲みだしましたね。検査に行くと「良かった!ありえないけど、抗体が無くなりましたよ。」って。これは三石先生のお蔭だと思って、先生のものでやろうと決心したんです。我が家にとって素晴らしいご縁でした。
ことあるごとに先生にお電話するんですが、すぐに出てきてくださって、アドバイスして下さいました。
お忙しい時には返信用の封筒を入れてお手紙を書くと、すぐお返事を下さるんです。
先生にすがって生きていました。(笑)
入院中に母の踵に床ずれができた時にもお電話したら、「メグビーリキッドを掌にとって、踵に叩くようにつけてあげてごらんなさい。」と言って下さって、毎日やったらすぐに綺麗になって、すごい!と思いました。
60歳位で発病して85歳で亡くなりましたが、入院した時にはこれは死ぬ寸前だと言われたのに退院してからは「もう大丈夫、海外旅行もできますよ。」と言われるくらい元気になって、我が家では三石先生の存在が大きいです。

笹木  講演会や父の家でもお会いしたと思うんですけれど。

高橋  講演会ではいつも一番後ろに座っていましたし、先生のお宅には何度も伺いました。
講演会の途中で周りの方がメグビーミックスをお飲みになるのを見て、こんな飲み方もあるのかと参考になりましたよ。
父は元気で89歳まで現役でした。心臓が悪くなっても「大丈夫よ。メグビーをずっと飲んでいるから。」と言ってたのに、検査で胆のうに影があると言われたんです。でも、薬局で待っている時に「三石先生にお電話してくれる?」って父の方から言ったんですよ!
それまではいやいや飲んでいるのかもしれないと思っていたので、嬉しくてすぐにお電話したんです。メグビーAやEを増やすように言って下さって、それを飲んで事なきを得ました。

笹木  そうでしたか。手術はなさったんですか?

高橋  いいえ、しませんでした。「胆のうは苦しいですよ。」ってお医者様は言いましたけれど痛みもなく、病気を忘れるほど元気でした。亡くなった日の朝は「今日は会社に行かないけど、お昼はいらないよ。」って言って、ヒトフードも粒のものも全部飲んでありました。心臓の血管が破裂して一瞬の出来事でした。お世話になりっぱなしで、三石先生“様”“様”ですよ。

笹木  長く飲んでいて下さっているとは思っていましたけれど、本当に長かったんですね!

高橋  そうなんです。主人は胆石になった時にご相談して手術もせず、今でもそのままもっています。満杯だそうですけれど(笑)今度痛くなったら切ると言われていますが、そのままです(笑)
主人は“細気管支炎”と診断され、三石先生にご相談してメグビーをいろいろ飲んでいつの間にか治りました。慶応病院でも珍しい症例で学生を集めて「何の病気だと思う?」と、学生に聞いたそうです。
私は更年期の時に血圧のお薬はどれも心臓がドキドキするので、ご相談したら「これだけメグビーを飲んでいれば血管は丈夫だから。」って言われて薬は全部やめました。先生に言われたものは全部きちんと飲んでいたお蔭です。
私はクラシックバレエをやっていたので稽古の前にメグビーSを2本飲むように言われて、今でも稽古の前には欠かさず飲んでいます。
一度膀胱炎になった時にはビタミンCを増やして、お魚を毎日1切れ食べるようにと言って頂きました。
娘がアキレス腱を痛めてご相談したら、公演の前の晩にメグビーSを10本飲むようにと言われても7本しか飲めませんでしたが、痛まずに踊れたんです。

笹木  今はお嬢さんが教えていらっしゃるんですか?

高橋  そうなんです。娘も何かにつけて三石先生、メグビーって言っています。(笑)

笹木  その時に1本しか飲まなければ痛くなって「メグビーはダメだわ。」で、終わっていたと思いますが7本飲んで、痛まなかったから続けて飲んで下さるんですよね。

高橋  娘は喉が痛くなると1時間おきにメグビーSを1本ずつ頓服的に飲んでいますよ。
前にいた栄養士さんには犬の事まで相談していました。10歳位から15歳11か月で亡くなるまで飲みましたが、甲斐犬で寿命はとっくに過ぎていると言われました。その時、1年は持たないと診断されたのに退院して、元気になったので先生が「ベルちゃんのことは僕には解らない。診たて違いなのかなぁ。」って言われました。あの子もメグビーで長生きできました。

笹木  今でもバレエは続けていらっしゃるんですか?

高橋  好きですし、何もしないと筋肉が衰えますから週に2日40分位で、寒い日は休みます。メグビーを飲んでいるから続けられるんです。

孫は5年生の男の子で、毎日メグビーを飲んでいます。どうしてか、自分からよく飲みます。ボーンを飲み始めたら性格が穏やかになりました。
メグビーボーン、B、メグビーAは1粒、ミックスやSはカプセルに入れておくといつの間にか飲んでいます。傷の治りが早いのがわかっているようです。
私は三石先生がびっくりなさいましたけれど、メグビープロとレシチンを白湯で飲むんです。溶けやすいし少し甘みがあっておいしいですよ。(笑)メグビーミックスやPはそのまま飲みます。

笹木  私も今まで色々な方にお聞きしたけれど白湯で飲む方は初めてです。この対談を読んで試してみる方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)40年も、しかもお孫さんまで飲まれているのは、理解して実感して下さっているということですから、ありがたいです。

高橋  孫が学校から帰ってきて「喉が痛い。」と言えば「すぐにメグビーを飲んで!」という感じです。若い頃はずいぶん勉強しましたけれど、今は不勉強で・・・
インフォメーションと先生のご本を何回も何回もよく読みました。
前にいらした栄養士さんにも「私はメグビーで(身体が)持っているのよ。」って言って笑われましたけれど、本当にそんな感じです。

笹木  慶応病院の売店に父の本があったとは感激です。

高橋  あのご本とは劇的な出会いでしたね。しかもご自宅にまで伺って・・・。
母はとても元気で病気なんかしたことがなかったのに、膝を痛めて注射をしたんですよ。1週間に1度しかできない注射をしたり、風邪薬の副作用で匂いがしなくなって耳鼻科でニンニク注射をした時には、本来なら入院してする治療だと言われたんです。その後調子が悪くなって入院したので、誰にも言えませんが薬害みたいなものかと思うんですよ。それからは口に入れるものは注意するようになりましたね。

笹木  その時から今までずっと飲んで下さってありがとうございます。

高橋  稽古に行くときにはメグビーを全部飲んで、万全を期して行きます。飲んでいくのと行かないのとでは、全然違いますから。稽古に行くと疲れるので、メグビーSとFは必ず持って出かけます。稽古をしながら何か変だな、と思うとプロテインを飲んでないんですよ。筋肉を使いますから違いはすぐに解りますね。
メグビーは一日も欠かしませんよ。今日も飲んでまいりました(笑)
筋肉が衰えたてきたせいか、肉離れが何か所もあるんですよ。お医者様には筋肉の質は良いけれど弱いと言われました。背中の肉離れの時は痛みで寝られなくて、メグビーSは特にたくさん飲みました。
もう10年位前かしら、稽古の途中で失神したんです。CTとかいろいろ検査しましたけれど、骨には異常がないので肉離れの痛みで失神したんでしょう、と言われました。気持ちが悪いくらい足全体が腐ったような紫色になりました。その時も病院に行かず、ヒトフードとメグビーSとFとAを増やして治りました。

笹木  聞いているだけで痛くなりそう!
メグビーを飲んで治って、またバレエができるようになるなんて凄いですねぇ!!

高橋  飲めば元気になりますから、メグビーは生涯切り離せないです!!

笹木  それはどうもありがとうございます。お近くなのでまたお遊びにいらしてください。

高橋 咲子 様:1939年生まれ 76歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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第25回栄養士 鈴木やすこ様 (56歳)  栄養士 久保谷恵美様 (59歳)

なぜ学校ではこういうことを教えてくれなかったのかと思いました。鈴木様
先生に出会って健康に対する意識が変わりました。久保谷様

鈴木さんは研究生として三石理論を学び、しばらく家庭に入られた後、メグビーリキッドを使ったリンパドレナージュの施術やセルフケア教室の講師として三石理論の普及に努められています。
久保谷さんは鈴木さんと同期の研究生として三石理論を学びながら、ご相談担当としてメグビーに勤務していました。一緒に仕事をした仲間として懐かしくお話しさせて頂きました。

笹木  今日は寒い中をどうもありがとうございました。
“とらばーゆ”(求人誌)で募集した研究生なので、当時のお話を伺うのが楽しみです。

鈴木  「健康アドバイザーをしませんか?」という求人でしたね。

久保谷  最初に三石先生の講義を受けたんです。

鈴木  講義を受けたのは(1983年)30人位で、飲みたいものが手に入らないので、会社を作ったと話されました。メグビーはできたばかりでしたね。(メグビー設立:1982年2月)
メグビーの研究生として勉強したい人か健康アドバイザーの仕事を希望する人だけが残って感想を言ったんです。私は「もっと早くこのような学問に出合いたかった。」と言ったんです。その時に「ジュースを売らずに一緒に勉強しませんか。」と言われました。

久保谷  三石先生にお会いして先生もメグビーも信頼しましたね。

鈴木  先生が82歳だと聞いてエッ!と思いましたけれど、お元気で年齢を感じませんでしたよ。100歳までご講演をしてくださると思っていました。

笹木  突然だったので、兄が告別式で「本人が一番びっくりしていると思います。」と、言いましたものね。

久保谷  そうでしたね。私は何度か売り場に立った後で、先生の勉強会に出席しました。研究生は6人で、私はメグビーのご相談担当になったんです。
子供が欲しくて先生にご相談して、ヒトフードとメグビーE、メグビーA、メグビーボーンを飲んだお陰で子供に恵まれ、3人の息子たちは妊娠中にメグビー製品を朝晩飲んでいたので、病気もせず虫歯にもならないです。(笑)
お兄様、お元気ですか?よくご飯に連れて行って頂きました。お肉がお好きでね。

笹木  当時の父と今の兄は同じ年齢ですけれど、見た目はずっと若いです。だって父は禿げていたけれど、兄は禿げてないです。
父はレシチンを飲むようになって、産毛が生えて喜んでいましたから。(笑)

鈴木  髪の毛があるとないとでは印象は違いますよね。
母には母の日からヒトフードとメグビーE、メグビーA、メグビーD(現:メグビーミネラル)を飲ませました。
母は網膜色素変性症だったので、メグビーDとメグビーEがとても良かったですね。そのうえ白内障ですぐ手術だって言われていたのに、10年のばせましたよ。でも、視力が回復するには半年くらいかかったかなぁ?
眼の為に飲ませたのに2,3か月で坐骨神経痛や肋間神経痛も治り、耳鼻咽喉科にもかからなくなって、立ち仕事も出来るようになったんですよ。

久保谷  私は製品を飲みだして、風邪はひかないし、健康レベルがすごく高くなったと実感しましたね。
「妊娠しました。」って言われた次の日に出血して入院したんです。つわりが酷くて何も食べられずメグビー製品だけが頼りでしたね。そのせいか長男は骨太で背も178cm(笑)
三男は私が飲んでいるのを見ているので高校の受験の時にもセンター試験の時にもメグビー製品を持って行きましたよ。産まれてすぐに敗血症になって高熱が出て「覚悟してください。」と言われたんです。母乳から細菌が入ったんですね。
一ケ月は20cc位しか飲めなかったけれど、何とか退院できて、「赤ちゃんに体力があったんですね。」と言われたのは、私がメグビーを飲んでいたお蔭だと思いましたね。
三男は今でも“メグビー命”です。一人住まいなので、飲んでいれば私も安心ですものね。
私は仕事が忙しいので、風邪をひいて寝てみたいと思うこともありますけれど(笑)

笹木  休日のないお仕事だから休めなくて大変ですね。

鈴木  定期的な勉強会のほかに、横浜で宿泊研修もしましたよね。その時に先生にペンダントを買って頂いてね。私は薄いグリーンだったんです。

久保谷  私は白でした。今でも持ってるわ。

鈴木  私も!グリーンが好きなのを、どうして先生は解ったのかなと、すごくうれしかったですね。その時カキフライ食べたのを覚えてる?

久保谷  覚えてるわ!「亜鉛を摂った方がいいから、この時期はカキですよ!」って(笑)
食後は先生のお部屋で勉強会でしたね。

鈴木  翌日は三溪園に行ったけど先生は歩くのが速くてね。私達おしゃべりしながら歩いているとおいて行かれちゃうんですよね。

久保谷  そうそう!ものすごく速くてね。(笑)

笹木  若い時のあだ名は飛行機ですから。(笑)

鈴木  先生の教えて下さることが楽しくてしかたなかったです。なぜ学校ではこういうことを教えてくれなかったのかと思いました。

久保谷  それから学士会の読書会にも行きましたよね。私たちは書記でした。

鈴木  先生のお宅の勉強会に参加する頃の研究生は私とMさんだけで、結婚や出産で、段々に減っていきましたね。

笹木  講義の練習もしていましたよね?

鈴木  15分で話す訓練です。勉強会は参加するだけではなく学習をして、受け売りや継ぎはぎではなく自分の言葉で話せるようにならなければ、本当の勉強ではないと教えて頂きました。
他には先生のご本をテーマに、毎月原稿用紙30枚に自分の言葉で書く勉強や先生の講演会のテープ起こしよね。1本に8時間はかかりました。そんなにかからなかったでしょ?

久保谷  いやいや、時間かかりましたよ。夜中も必死でやりましたけど、出席していない昔の講演は何回聞いても聞き取れなくて大変でした。

鈴木  それから先生の本の校正よね。面白くて夢中で読むから、校正にならないんです。例えばアミノ酸の酸が抜けていても、“アミノ酸”だと思い込んで読んでしまうんですよ。

笹木  当時ご相談はたくさんありましたか?

久保谷  電話のご相談は半田先生。私は手紙が多かったですね。

笹木  講演会では「みなさんDNAという言葉を聞いたことがありますか?」と最初に言うくらいまだ一般的ではありませんでしたね。
半田先生の公開講座では前座もしましたよね?

鈴木  それは私とMさんでした。
その頃の研究生の勉強会も公開講座も社長のご自宅でしたね。

笹木  そうでした。あの古い家でやりましたね。(笑)

鈴木  分子栄養学が理解されるには30年はかかるって先生は言われたけれど、活性酸素のことはもっと早く市民権を得ましたね。
今でもタンパク質は足りていると思っている人の方が多いですよね。

笹木  プロテインはジムやスポーツコーナーで売っているので、筋肉をつけるものという理解ですよね。何に入れて飲んでいますか?

久保谷  最初は牛乳に入れてたわね。それからバナナジュース、今はオレンジジュースだけど、それが一番飲みやすいですね。

笹木  私はオレンジジュース100cc、水100ccの中にプロテイン、ミックス、レシチン、Pを入れたジュースで粒のビタミンを飲むわね。

鈴木  私はココアにプロテインだけを入れてるわ。メグビードリンクの袋の中にSもレシチンもCも入れて口の中に入れちゃいます(笑)美味しいですよ(笑)
粒はプロテイン入りココアで飲むんです。

久保谷  息子が小さなころ、「なぜ飲まなくちゃいけないの?」って聞かれて、「タンパク質は細胞を作っていてビタミンCがその細胞と細胞をくっつける役目をしてくれるから、ばい菌とかウイルスを跳ね返すんだよ。」って話して聞かせましたね。

笹木  子供が自主的に飲んでくれるようになればいいですけれど、難しいですよね。

鈴木  自主的に飲んでくれることで、次世代に繋がるわけですからね。こんなに合理的なものはないですから子や孫達に、先生の理論を伝えなければもったいないですよ!!

久保谷  私はメグビーSが手元にないとちょっと不安ね。

鈴木  そうね。孫が喘息気味なのでメグビーSは毎日食べて欲しいわね。娘は体調の悪い時だけヒトフードを飲んで良くなればやめちゃう(笑)

久保谷  今はプロテインを扱う会社が多くなったけど、内容がメグビーと同じだって思われるのが困るのよね。

笹木  当時は5社もなかったと思いますよ。

鈴木  ヒトフードとメグビーS、メグビーAは最低限必要ですからね。
母は骨粗鬆症どころか半月板もないのよ。60歳の時に一度だけ膝の水を抜いたけれど、今は痛くないんですって。骨がギザギザしていて、腫れや痛みがあるのが当然だと言われても、痛みも腫れもないんです。長い間ヒトフードとメグビーA、ボーンを飲んでいるので骨液が出て骨膜が保護されているとしか考えられないですよね。
それと、網膜色素変性症の人はビタミンEの利用効率が低い遺伝子を持っている為に、眼以外にも運動機能が悪いのでEは不可欠ですね。
生理痛で前からビタミンEは摂っていたので、メグビーEは吸収率が違うのがすぐに実感できましたよ。母は毎日飲まないと口唇ヘルペスや口内炎が出たのに、一緒に暮らしてからは飲まない日がないので、出なくなりましたね。

久保谷  先生に出会って健康に対する意識が変わりました。理論を教えて頂いてなかったら、こんなに長い間飲んでなかったと思います。
先生に「貴重な時間に勉強してもらっているから手当は出しますよ。」と言われて、勉強させて頂いているのに良いのだろうかと考えてしまいました。

鈴木  母は20歳の時に遺伝的に視野狭窄になっていく病気だと診断されたんです。だんだん見えにくくなって、私が16の時にストレスで急に見えなくなりましたね。父がいなかったので高校は奨学金を受けて、栄養士になりたかったので企業の奨学生になりました。
寮に住み込み4時半に起きて朝食の支度、学校から帰って夕食を作るんです。毎年10人が奨学生として勉強させてもらえるんです。その後国立オリンピック記念青少年センターに派遣されました。その頃は虚弱体質で、肉や魚、卵は嫌いで食べませんから、完全な栄養失調ですよね。(笑)

久保谷  先生と出会えてよかったわね!!

鈴木  先生と出会わなかったらどうなっていたんでしょうね(笑)健康な子が産まれるか怖かったですね。だから、プロテインは鼻をつまんで一生懸命飲みましたよ。子育てが終わって、飲む量を減らしたらアレルギーが出てね。(笑)
点滴で呼吸困難になり、医者に「アレルギーの人は薬でもアレルギーを起こすからね。」と言われて、怖くなったんです。同じ病院でも医師によって違う点滴をされるわけですからね。
私はアレルギーが出る時ってムズムズしてくるんです。すぐにメグビーSを3本飲んで、少し落ち着いてきたらヒトフードを飲んで横になっても治まらないと、もう一度2本か3本飲むんです。30分位で治まることや、ケチるとダメなことも解って(笑)
それから病院には行きませんね。花粉症もメグビーSで対応しています。
孫も離乳食の時、湿疹が出たので慌ててメグビーSをお茶でといて1本飲ませたら30分くらいで引いてきましたね。持ち歩いていると、炎症対策になるので安心ですよね。

笹木  それが父の言う健康自主管理ですよね。

鈴木  先生は亡くなる前にとんでもない実験をしましたよね。ビタミンAの過剰症のことが言われていたので、試しに10日ほど辞めていた時に、風邪を引いたと書いてありました。3日目には喉が変でビタミンAの不足だと思ったが、そのまま様子を見たんです。しかもその状態でスキーに行ったのがいけなかったんですよ。あんな実験して欲しくなかったです。

久保谷  そんなことがあったの?飲まない実験なんてしちゃダメよね。

笹木  誤嚥性肺炎だから絶飲食で、朦朧としながら「プロテインを飲まないと、死んじゃうよ。」と。それが聞き取れた最後の言葉でしたね。
病室に担当医が来られて「僕もメグビーを飲んでいますよ。先生、頑張ってくださいね。」と言って下さったら、聞こえたのか頷いていましたね。
今日は長い時間ありがとうございました。
研究生が一番活躍した時代のお二人にお話を伺えてとても良かったです。

鈴木 やす子 様:1958年生まれ 56歳(インタビュー時)
久保谷 恵美 様:1955年生まれ 59歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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第24回松浦 正人 様 (58歳)

三石先生にお会いできたことが嬉しいです。感謝しています。

笹木  お久しぶりです。半田先生(三石理論研究所所長)から、松浦さんがとてもよく勉強しているとお聞きしていましたので、お話を伺いたいと思ってました。

松浦  2014年2月ごろに半田先生をお訪ねした時、三石先生に教えて頂いた考え方がとても役に立っていると言ったからかなぁ(笑)
三石先生に教えていただいたことの確認をとるとしたら、今は半田先生しかいらっしゃらないですからね。
今在宅医療に携わっているんですよ。開業して30年で今はスタッフも12人います。
日本鍼灸師会と東京都鍼灸師会の理事をしていて、僕の専門は介護予防ですが、指導のための講演をしていろいろなところに行く仕事もしています。
在宅ということは訪問するわけで、半田先生の隣のマンションにも患者さんがいるのでよく行きますよ。
対象者は寝たきりや動くのが困難だという方たちですね。
ドクターとかケアマネージャの方と協力してやっているので医療保険がききますからニーズも多いのでしょうね。

笹木  今は病院よりも在宅でという方が多いので需要は多いですよね。

松浦  国の政策として在宅を薦めていますからね。施設に入れるのは希望者の半分しかいないです、箱物が少ないわけですから。これから新しいものは作らないで、在宅に戻そうというのが政策で、僕たちがしているような訪問医療で手助けするというのがシステムとして出来上がっているんですね。
団塊の世代の方たちのために、どんどん作ってもお年寄りが亡くなってしまった時に、建物はどうするのかということですよね。

笹木  そういうことなんですか。

松浦  地域包括ケアシステムっていうんです。鍼灸師会の理事をしているので厚生労働省にも行くので、国の方針が聞けるんです。

笹木  半田先生に話を聞くきっかけになった在宅医学会ではどんな話をなさったんですか?

松浦  寝たきりや自分で運動のできない人は無理な姿勢でいるわけで、自分の望む姿勢ではいられないわけですからね。筋肉が拘縮して関節の動きが悪くなって“コリ”になり、痛みが起こりやすいんです。

2013年10月のインフォメーション(メグビーの情報誌)に痛みについて難しいことが解りやすく書かれていたんですよ。社会的疼痛症候群のことも書いてあって、これは福島県立医科大学の菊池先生の話も聞いていたので、とてもよくわかったんです。
発表する内容だったので、細かい確認をしたかったんです。
脳卒中などで身体が不自由になった場合、社会的にも精神的にも経済的にもストレスが大きいので拘縮が起きるわけですが、それをどう緩めてあげられるかということなんです。
血行が良くなれば痛みの改善はできるわけです。
血行が良くなれば楽になることは解っていても、寝たきりで痛みがある場合にはどう解決するかということの発表ですね。
半田先生にもお話ししたんですが、三石先生に一番感謝しているのは、思考回路がきちんとできたということなんです。
考える道筋を正しく教えていただいているから説明がきちんとできるんです。
各地で講演をする時に三石先生に教えて頂いたことを話すと、みなさんとても関心を持ってくれます。
それは話の筋が通っているから、なぜ必要なのかが理解できるからだと思うんです。

もう一つは板橋区にある東京都老人総合研究所(以下都老研)に出入りしているんですが、高齢者に対して研究する機関で、そこの研究結果が国に行って介護保険とか医療保険の道筋が決まっていくんです。
そこの主催の介護予防運動指導員という講座が各地であって、私はその講義をしています。5日間の講義で最後に試験をするというものなんです。

笹木  では治療よりもそちらの方に重点を置かれているんですか?

松浦  いいえ。それは土日だけですから。休みはないです。(笑)
都老研の先生方は科学者だから、三石先生と同じで筋の通った話しかしないです。
そこには研究所のほかには病院、老人ホームもありますよ。
以上が個人的な仕事と鍼灸師会の仕事です。

笹木  本当にお忙しいですね。

松浦  忙しいうちが華ですから(笑)ニーズがあって声がかかるうちはやりたいですね。
個人の仕事としてはALS(筋萎縮性側索硬化症)や脳卒中で歩けない方々に対して生活上の不具合を少しでも改善することが自分たちの目標ですからね。治すことはできませんから・・・

笹木  そういう場合は栄養のことが大きくかかわってきますよね。それに介護する方が倒れてしまったらどうしようもないわけですし。

松浦  身体には何が必要か、話せる内容はいっぱいあるんですけれど、ガンの末期とかALSなど難病の方には三石先生に教えて頂いたことを、そのままというのは出来ないんです。口から物が入らなくなっているわけですから・・・・栄養が必要なことが解っていても摂れない状態ですよね。
ご本人が摂れなくてもご家族は介護していてストレスが物凄いわけですから、その方たちにアドバイスをすることはできますね。「バランスの良い食事をしてください。」というようなことは誰でも言いますが、私たちはそんな通り一遍のことではなくて、もう少し突っ込んだ話ができますよね。
例えばコレステロールや血圧の話ですよね。先生がコレステロールは高くても良いと言ってらした時には、そんなことは誰も言わなかったのに今では変わってきましたよね。僕は30年前からそのことを話していますが、解ってもらえませんでした。

笹木  父が言っていた頃(1970年後半)は、お医者様は全く違う考え方でしたからね。

松浦  そうなんですよ。でも変わってきたからいいでしょ?じゃなくて、僕らはなぜ高くていいのかが説明できるってことなんです。
それは患者さん本人だけでなくご家族にも、非常に役に立つ話になるわけですから。講演と言っても介護予防についての話で病気の話をするわけではないんです。介護される側にならない為にはどうしたらよいかアドバイスします。
5日間の講義ですが都老研のテキストがあって、そこで栄養の問題、口腔機能の問題など教える立場なんです。

笹木  誰でも寝たきりにはなりたくないですからね。

松浦  寝たきりにならないということは介護の必要がないことですからね。介護が必要になる原因は二つあってALSとか脳卒中とか病気ですよね。もう一つは老年性症候群です。病名はなくドクターに「年のせいだね。」と言われるような状態、日常生活に支障がない状態、致命的ではない状態、と定義されているんです。
例えば失禁、認知症になる手前なんかもそうです。介護予防とは健康寿命を長くすることなんです。栄養と運動についてはアドバイスができますよね。栄養は三石先生に、運動は都老研で教えて頂いているので、筋の通った話ができるので自信を持って仕事ができます。
三石先生に教えて頂いたことで、そういう思考回路ができたのだと思います。
病気になったら治りたいと思うわけですけれど、なぜ病気になったのかを冷静に考えると。治るか治らないかは別の問題で、少しでも症状が良くなればいいという考え方ができてくると、違ったアプローチが出てくると思うんです。
こういう病気なら、何を飲んだらいいの?ではあまりにも短絡的ですし、良くならなければどうしてなんだろうということになるわけで、そんなに単純ではないはずなんです。

笹木  薬ではないので治るわけではないわけですよね。今の状態よりよくなるにはどうしたら良いかというように考えて頂きたいんです。

松浦  問題は歳をとってくるということなんです。若い人の回復力は凄いけれど、加齢とともに回復力は落ちてますからね。偉そうな話になってしまいますけれど、患者さんによく話すのは「人生の目的はなんでしょうね。」ということなんです。
「具合はよくなりたいけれど、今の状態でも何かできることがあるかもしれませんよね。」とか「少しでも良くなるように方法を考えましょうね。タンパク質やビタミンを摂ったほうがいいと思いますよ。」と話すと「なぜ?」と必ず言ってきますよね。それで先生に教えて頂いたことをきちんと話すんです。
主治医から「どうしてそんな話をしたのかと連絡があったので、説明をしたら先生の方でビタミンCは出すようにしましょう。」と言われてこともあります。でも、三石先生の仰った量や質はカバーできませんよね。ただ、患者さんは主治医が同じことを言ったことで信頼してくれます。その辺でジレンマはありますけれど、完璧に元に戻ることはないわけですから、少しでもQOLが上がって、いい人生だと思えればいいですよね。

笹木  そういう話し方は患者さんが信頼できますよね。

松浦  こういう話し方、考え方ができるようになったのは三石先生に出会ったからだと思うんです。それがなければいまだに科学的な考え方は出来なかったと思いますよ。
スタッフに説明してもなかなか解ってはもらえませんが、医師や看護師には信頼してもらえて患者数は多いですね。僕らは医者ではないという立場をわきまえていないとダメなんです。
患者さんには毎月例えば活性酸素のこと、痛みのことというように情報を送っています。
それは医師や看護師、ケアマネたちにも送っています。今年はインフォメーションの生物心理社会的疼痛症候群の痛みについて毎月書いているんですけれど、患者さんにも喜ばれています。
都老研では自律神経に作用させて血液の循環をよくして、認知症の症状を改善する研究をしていて、それには皮膚への刺激が一番いいんです。肌に触れることがいいんですね。手足を15分触っていることで脳の働きが良くなるというデータが出ているんです。
私は鍼灸師なので、針での刺激はどうですか?と聞いたんです。それは出来るはずだということで調べていた時に、インフォメーションに疼痛のことが出たんですよ。

笹木  タイミングが良かったんですね。

松浦  そうなんですよ!それで半田先生に連絡したんです。
「皮膚への刺激によって血管の内皮細胞から一酸化窒素が出て血管を広げるので循環が良くなるんでしょう。」と言われました。針を入れて血管が広がれば循環が良くなるので針治療が気持ちがいいわけですよ。
それで私が期待しているのは、針って気持ちが良いけれど、なぜ良いのかがわからないという疑問が解決するかもしれないんです。
それを都老研でやってもらおうとしているんですが、そのことのヒントになるようなことがインフォメーションに書いてあったんです。物凄い情報が詰まっていますよね。
なんども読み直さなければなりませんが、メグビーは物を売るだけではないという姿勢がそこにありますよね。
先生のお宅の勉強会に通い始めたころは何を言っているのか解りませんでしたね。
感想を聞かれても何を言えばいいか解らず「参った!」という感じです。
まだ20代でしたが解らない言葉は調べながら読みましたよ。
それがあったから今の僕があると思うし、良かったと思います。

笹木  充実していて楽しくお仕事をされていることがとてもよく解ります。

松浦  医療があって代替医療がありますよね。代替医療をする人でも患者さんの病気を治せると思っているかもしれないです。ドクターでも治せないのに、僕らは治せないですよ。
その人たちは屁理屈を付けているわけですよ。でも、三石先生は理にかなったことをやれ、合理的なことをやれと仰いましたよね。それを考えるとドクターが治す立場なら、違う立場でやらなくてはいけないわけで、日常生活の中の不具合を改善していくためのお手伝いをするには栄養も運動も必要なんです。
通りいっぺんの話は誰でも解っているので患者さんも聞きたくないんですよ。本当に三石先生にお会いできたことが嬉しいですね。

笹木  そういう形で父の話が生かされていることはとても嬉しいです。

松浦  「一つ一つの情報が与えられた時に、自分で学習して分解して組み立てなさい。それは難しいし、急にメリットができるわけではないけれど、それを繰り返しているとある時に脳の回路がつながりますよ。」と、言われたんです。5年位して、全部がつながって解ったような気がしたんです。それまでは言葉の羅列で何なんだろうって感じの時もありましたよ。でも、全部がつながった時、これが三石先生の言ってたことなんだ!と思ったんです。僕のように4年も5年もかからずに解って欲しくて健康通信を書き始めたんです。初めはコレステロールや活性酸素についてです。1980年代に活性酸素について書いた時に、「僕は初めて活性酸素というものを知ったのに、君はなぜ知っているの?」とドクターに聞かれましたよ。
患者さんで元東大の野球部の監督だった方に年齢を聞いたら三石先生と同年代だったんです。三石先生にいろいろ教えて頂いてそれを書いて皆さんにお配りしている。と話したら「がんちゃん?一緒に野球の本を書いたんだよ。」と。嬉しかったですねぇ。

笹木  それは奇遇ですね。

松浦  都老研では日本のトップのドクターに教えて頂き三石先生に教えて頂いたことをミックスすると患者さんに適切なアドバイスをすることができるんです。下地がなければできないことなので、あの時の勉強が本当に役に立っていますよ。でも何回もくじけましたよ(笑)読んでいてわからないのは辛いですから。
誰でもいつかは死ぬものなので、なるべくなら介護がなく自立した生活をしたいと思うわけですよ。自立した生活とは病気の予防や老化の速度を遅くすることなんです。
白沢卓司先生(順天堂大学院加齢制御医学講座教授)が老化の抑制を突き詰めて考えれば、介護予防になる。つまり、自立した生活が長くできると言ってますよ。
それを僕らの仕事と考えれば病気を治すとか治さないの問題ではない。というのが僕の考えです。それで自分のやるべきことが見えてくるんです。
それを含めて、日本在宅医学会で話したんです。日本鍼灸師会として、初めて講演したんです。半田先生に勇気づけられたのは自分の考えを発表する場だから、何を話してもいいと言われて気が楽になりましたよ(笑)どのくらい理解されてかは気になりますけれどね。

笹木  活躍されているんですね。ずいぶん前に在宅医療の仕事をしているとお聞きしましたからずいぶん長いですよね。

松浦  介護保険が始まる前ですから10年ちょっとです。

都老研で教わった介護予防のための筋力アップ運動の指導もします。昨日は20名ほど参加しましたが、ここが痛いとか調子が悪いのは何故だろうと言われても解りませんよ(笑)
お医者さんが解らないと言っているんですから。
そこで、「貧血は?」「コレステロールは?」とか聞くんです。「病院では高いと言われても、都老研では高いほうがいいというデータが出てますよ」とか「貧血があると長生きできないと言われてるけど、改善するにはタンパク質ですよ」と、栄養の話をするんです。

笹木  お話を伺っていて、松浦さんのような話し方だと信頼できると思いますよ。

松浦  そう言って頂けると嬉しいですが、信頼してもらおうとして話すのではなく、三石先生に教えて頂いた思考回路が信頼につながっているのかもしれませんね。

笹木  話の持って行き方で受け取り方は違ってきますからね。マッサージと鍼灸をする対象は違ってきますか?

松浦  みなさんが思い浮かべるような、温泉地で受けるマッサージとは違います。ストレッチ、筋力運動、三石先生のビタミンE(メグビーリキッド)を使ってのリンパマッサージですが、それは意味があるからやるわけです。患者さんに合った方法ですね。
鍼灸とかマッサージとかは社会的に認知度は高くないので皆さんに理解してもらうことも僕の役目だと思っているんです。
気持ちいい、というのではなくてなぜ気持ちが良いのかということです。提供している側が今の状況で満足しているならそれでよいのですが、少し違う人もいると思うんです。医療保険が使えるということは治すという意味にとられてしまうかもしれませんが、在宅医療は多職種で協力して地域で行うことなんですね。その中に鍼灸師も入れる可能性があるわけです。なぜかというと血行をよくし循環をよくすることができるわけです。
先ほど言った、一酸化窒素のことにつながるわけです。
最後に言いたいのは三石先生に接したことで知識が広がったということですね。基本的には「合理的な思考回路を持ちなさい。」と言われたことだと思います。

笹木  とても参考になるお話を、どうもありがとうございました。

松浦 正人 様:1955年生まれ 58歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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第23回今泉 サト子 様 (81歳)

歩けなかったのに、こんなに元気でいられるんですから

笹木  今日はお出でいただき、ありがとうございました。
今泉さんはとても熱心に講演会や勉強会に参加して下さっていましたよね?
多分事務所が飯田橋に移る前は毎回参加して下さっていたと思うんですけれど・・・

今泉  そうですね。1990年6月の講演会が三石先生の講義を聞いた最初です。

笹木  メグビーはSさんのご紹介でしたよね?

今泉  そうです。娘が二人ともSさんの子どもさんと小学校が同学年だったんです。
親同士は気が合って若いときはハイキングやカラオケ、少し前まで卓球を一緒にしてました。その頃からのお仲間が5人いてピンポンズなんて名前を付けて、今でも月に2回は会うんですよ。

笹木  ずっと前に『歩くメグビーの広告塔』という題で“にゅーすあらかると”に原稿をお寄せいただいたことがありましたね。お嬢さんのネーミングだとか・・・
父が喜んでいたので、とても記憶に残っているんですよ。

今泉  そんなことがありましたねぇ。何を書いたのかも忘れてしまいました(笑)
1988年に膝が痛くなって、歩くことはもちろん這うこともできなくなったんですよ。
病院から出た薬はとても良く効いてすぐに楽になるんですが、暫くすると突然痛みが出るんですよ。
右ひざが治ると暫くして今度は左ひざが痛くなるという繰り返しでした。
病院で松葉杖を貸してくれるんですけれど、急に痛くなったときに手元にないと動けないので、平成元年には松葉杖を買ったんです。
でも買った年にメグビーと出合って、使わないままになってますよ。(笑)
きっかけは、Sさんが「私の飲んでいるものを試してみる?」と、三石先生のお宅に連れて行って下さったんです。

笹木  では、父の家でプロテインを飲んだのが最初なんですね?

今泉  2~3回は自分で作って飲んでみましたけれど、先生のお宅のは牛乳とバナナが入っていてとても美味しかったですよ。
カルピスも入っていたかしら。美味しい!っていうのが第一印象でしたね。
私の状態をお話したら、先生は結果が出るまでには時間がかかるけれど、メグビープロ、ミックス、A、E、Sの5種類を飲むように言われました。
半田先生の公開講座や三石先生の講演会も欠かさず聞きに行きまし、宿泊研修も伊豆大が最初で森林大学、三三大学も毎回参加し、講義を聞くと他の製品も必要だと思って、勝手に増やしていきました。
先生は基本のものをすすめてくださったのだと思うんです。
今では13種類飲んでいます。量は少ないと思いますが、満遍なく取るようになって25年間休まず飲んでいます。
ただ80歳になって少し量を少なくしています。それから、メグビーBはミックスと一緒に飲んだら勿体無いので、朝ではなくて昼か夜に飲みますね。水溶性だから一度に飲むよりいいのかと思って・・・

笹木  プロテインは最初に飲んだように牛乳とバナナですか?

今泉  私はミキサーではなくてマドラーで混ぜるので、バナナは入れませんけれど冷たい牛乳でしか飲んだことはないですね。
とても美味しいと思って毎日飲んでいます。
冷たい牛乳300ccの中に全部入れて飲むんですよ。SもFも入れてしまうんですよ。

笹木  エッ!全部ですか?溶けませんよね?

今泉  大丈夫。(笑)ザラザラ残っても飲めますよ。(笑)

笹木  確かにプロテインドリンクでSやFを飲み込むんだから、口に入れば同じことなのかしら(笑)

今泉  私は市販の薬を置いておくことはしないので、ちょっと熱っぽいかな?とか、風邪かな?と思ったらすぐにメグビーSを飲むんですよ。
そんないい加減な飲み方ですけれど、ずっと元気ですよ。
歩けなかったのに、こんなに元気でいられるんですから・・・

笹木  歩けなくなったのはお幾つのときですか?

今泉  50代半ばです。病院に行くにも一人では行かれないので、娘や主人が付いて来てくれたんですけど、誰も都合がつかなくて一人でタクシーで行ったことがあるんですよ。
「一人なんですか?誰も付いてこないんですか?」って、びっくりされる位ヨロヨロとやっと歩いていたんです。

笹木  そんなにひどい状態だったなんて、今の今泉さんからは想像できませんね。

今泉  苦しんでいる時にSさんに三石先生を紹介していただいて、ありがたかったですよ。
助けて頂いた三石先生に足を向けて寝られないと思うんですけれど、方向的にどうしてもだめなんですよ(笑)

笹木  本当によかったですねぇ。

今泉  今だって正座はしませんけれどね。

笹木  でも、ご主人様が亡くなられて伺った時にはお玄関で正座してらしたじゃありませんか?

今泉  そうでしたよね。あの時には前社長とお二人で来てくださって・・・
そう。あの頃は出来たんですよ。でも、長い時間だったので見えないように小さな正座いすを使っていたと思います。あの頃の葬儀は自宅でしたからねぇ。
三石先生が1月で、主人がその年の5月に亡くなったんです。
先生が亡くなられた時には入院してまして、「三石先生の告別式に行ってくるからね。」って言って出かけたんです。
私が車椅子になっていたら長女に迷惑をかけていたわけですけど、元気で何処にでも出かけて行きますからね。大阪だって一人で行きますよ。娘のお友達にも「お母さん元気だわねぇ。」って、言われるんです

笹木  お元気だし、お顔の艶がいいですもの。

今泉  それはメグビーのお陰かな(笑)
でも娘にも言ったんですけれど、長生きしすぎるのが心配なんです。(笑)
「大丈夫。メグビーをやめたら死ねますよ。」って、娘が言うんですよ。(笑)
こんなに元気で、何処にでも一人で行かれるって本当に幸せです。
先生の全業績も全部持っていますが、お勉強会なんかに関係のないものは読んでいないんですよ。いつか時間が出来たら読まなくちゃね(笑)
今はね、インフォメーションを読むのがやっとです。たったあれだけのページなのに、理解するまでに時間がかかって、何度も何度も読むんです。
私にはインフォメーションは難しいけれど、読むことが大切だと思ってるんです。

笹木  難しいことに挑戦することがボケないことの秘訣ですものね。

今泉  講演会や専科の講義では雑記帳に書いてきて、家に帰って復習しながら清書していたんですよ。二度勉強できますものね。
けれど、そのノートが2007年に終っていて、9冊になっています。
三石先生には「ノートに取らないで、覚えて帰りなさい。」と言われたけれど、書かなければ忘れてしまうんですもの。(笑)

笹木  それは誰でもそうですよ。内容的に書かなくてはとても覚えられませんよね(笑)
 飯田橋に移転したのが2007年の5月ですから、それまではずっと参加してくださっていたことになりますね。遠くなってしまって申し訳ありません。

今泉  でも先生は凄いですよね。何もご覧にならないで講義をなさるわけですから。
ネットワークとか、命題とか、無駄に年をとるなとか、新しい言葉や生き方を話されましたね。
私は三三大学に一番参加しましたね。森林大学の開催中に奥様が亡くなられて先生は途中で病院に行かれましたよね。

笹木  そうでしたね。でも講義の途中だからと母の顔を見て、すぐに森林公園に戻りました。

今泉  こうやって普通の生活が出来て普通に食べることが出来るのはメグビーのお陰だと思うんです。
 だから、死にたいって言ってもメグビーをやめる決心はなかなか難しいですよ(笑)

笹木  自分で何でも出来てボケなければいいんじゃないですか?

今泉  ボケたくないので漢字ナンクロと数独を毎日しているんですよ。
中級は出来るんですけれど、上級は難しくて出来ないんです。
漢字ナンクロは50問あって、答えを書いて応募するんですよ。2ヶ月に1度出る本なんですけれど、できれば1ヶ月でやろうと思ってます。娘にもお母さんはボケないって言われてます。(笑)
ボールペンやシャーペン位しかあたりませんけれど、ボケ防止になっているからいいかなと思って続けているんですよ。
でも、楽しいし、完成した時は嬉しいですよ。(笑)

笹木  達成感がいいんですね?(笑)
今はお一人だからお買い物もご自分でなさるんでしょ?

今泉  80歳までは自転車でしたけれど、娘に危ないからやめてって言われて、今は歩いて行きますね。歩いて5分くらいかしら。
自転車は45歳の時に練習して乗れるようになったんですよ。80過ぎのおばあさんが自転車で転んで怪我したなんてみっともないですものねぇ。恥ずかしいし・・・(笑)
私が歩けなかったのに元気になったので、兄弟親戚やお友達も随分飲んでいましたけれど、調子がよくなってくると皆さんやめてしまうんですよね。

笹木  毎日のことだし美味しいわけではないし、頭で理解していないとなかなか続かないと思いますよね。

今泉  自分でも、よく365日25年間も飲み続けてきたと思いますよ。

笹木  本当に!そうですね。今日はどうもありがとうございました。

今泉 サト子 様:1932年生まれ 81歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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第22回大澤 久江 様 (90歳)

メグビー製品を飲まないと不安なんです。

笹木  お忙しいのに、おいで頂いて申し訳ありません。どの位時間がかかりましたか?

大澤  いいえ。大丈夫、バスで1本ですから(笑)
笹木大澤さんは古くからのお客様です。1986年に父とビタミンの摂りすぎについての質疑応答で、メグビーの通信物に載ったことがありましたね?大澤
昔のことで、何を話したのか記憶がないんですよ(笑)

笹木  「摂りすぎ注意ビタミンE・C」という新聞記事を受けて、大澤さんと鈴木さん(三石理論研究所副所長)、長谷川さん(第1回に対談)が質問し、父がそれに答えるという企画でした。

大澤  三石先生の本を読んで、60歳のお誕生日から飲もうと決めていて、1983年6月からずっと続けています。お誕生日まで待って飲み始めたんです(笑)
メグビー設立は1982年でしたよね?

笹木  そうです。本当に古くからお飲み頂きありがとうございます。
最初に読まれた本はなんですか?

大澤  『高タンパク健康法』が最初です。製品が欲しくて、先生のお宅にお電話したんですよ。
年中風邪を引いていたのに、メグビーを摂るようになってどんどん元気になって、風邪もひかず体調もいいですね。
皆さんが異口同音に言われるのは「変わらないですね。若いですね。」って(笑)

笹木  本当にお若いですもの!膝の痛みも今はよくなられたんですか?

大澤  杖はついていますよ。ちょっと高かった血圧も、よくなりましたしね。
インフルエンザの予防注射もこの30年したことがないです。

笹木  最近マンションに移られましたよね?
子供さんとではなくて、90歳で一人暮らしを選ばれたわけですからすごいですね。

大澤  植木の世話が大変になってきたら、ちょうど自宅前のマンションが空いたんですよ。
マンションの方が楽だし、地震の揺れも日本家屋より少ないそうですからね。

笹木  お食事の支度もお掃除も全部ご自分でなさるわけですよね?

大澤  そうですね。ろくなものは食べてませんよ(笑)
メグビー(製品)ばかりいただいています。

笹木  ありがとうございます(笑)本当に、お元気ですよね。

大澤  今では(メグビー製品を)飲まないと不安なんです(笑)
メグビーを飲むことに迷いがないんですね。本を読んでよく解っているものですから。

笹木  そういうお客様に支えられて、32年を迎えることが出来て感謝しています。
30年以上も飲んで頂いていますけれど、大病をなさったことはないんですか?

大澤  メグビー(製品)を飲む前は耳が悪かったり、鼻が悪かったりしましたけれど、今ではそういうことは全くないですね。夜もよく眠れますし・・・
一人暮らしでも、メグビー製品があるので助かります。

笹木  どの位召し上がっていらっしゃいますか?

大澤  プロテインは先生が歳をとってからは、増やしたほうがいいと言ってらしたので夜も飲むようにしたんですよ。
朝20g、夜10gです。
朝はヒトフード(メグビープロとミックス)とEとかAとか粒のものですね。その他に卵、ヨーグルトにご飯かパンを食べます。夜はヒトフードとメグビーレシチン、F、S、E、Q、B、DECですね。朝よりも少なめに飲んでます。
夜に修復ホルモンが出るから、反対の方がいいのかなぁと考えたりしています。
家に居る時にはお昼もヒトフードは、なるべく飲むようにしているんですよ。
お腹がいっぱいになるので、お食事の前に飲むようにしています。

笹木  凄いですね。だからお顔の艶がいいんですね!私も見習わなければいけないですね(笑)

大澤  大丈夫ですよ。私も10何年かは朝だけでしたから。 私は真面目だから、先生が仰った通りに、本にお書きになった通りに飲んでいますよ(笑)

笹木  プロテインを飲んでお腹がいっぱいになったら、お食事を控えればいいですからね。

大澤  そうなんですよ。一人で気楽ですから。
でも夜はメグビープロを牛乳で飲むとお腹がいっぱいになるので、プロタブレットのことが多いですね。お茶で飲むとそんなにお腹が張らないですから。

笹木  講演会は何時も来て下さっていましたよね。

大澤  そうですね。先生の講演会は全部出席していました。
本当は、勉強会にも参加したかったんですけれど、「発表しなければダメなのよ。」って、誰かに言われたので、参加したことがないんです。何か聞かれたら嫌ですから(笑)

笹木  読んだことが頭に入っていて、三石理論を理解して実行なさっているんですもの。凄いですねぇ!

大澤  先生の本は高度な内容でも、解りやすく書いてあったから理解できて良かったと思っています。

笹木  どんなきっかけで父の本を読まれたんですか?

大澤  偶然、本屋さんで見つけて1冊読んだら「わぁ。凄い!」と思って、先生のご本を捜しては読んだんです。

笹木  今はリンパドレナージュにいらしてますけれど、どうですか?
(注:メグビー・リキッドで施術するリンパマッサージ)

大澤  身体が軽くなりますよ。それに、膝が痛いのが治りました。

笹木  ご自分でもマッサージはなさいます?

大澤  いいえ。しません(笑)
近所のマッサージにも時々行きますけれど、やっぱりビタミンEのリキッドでするからいいんだと思いますね。
一本あると、重宝しますね。火傷にはてきめんですよ!打ち身にも良いし、ドアに手をはさんだ時にも、とても良かったです。
舐めてもいいから口の周りが痛い時にも使えますしね。

笹木  きり傷や虫さされ、それに筋肉痛にも良いので便利ですね。

大澤  火傷も水で冷やしている時には痛くないけれど、やめれば痛いでしょ?
でもリキッドを塗れば痛くなくなりますからね。本当に何にでも使えますね。
残念なのはメグビーボーンに牛骨粉が入らなくなったことですね。
先生は何とか特異性があるから、牛骨粉じゃなければダメだと言ってらしたのにねぇ。

笹木  組織特異性ですね?そう言ってましたね。同じ組織に行く性質があるから骨に届く、それがメグビーボーンの特徴だと・・・
よく覚えていて下さいましたね。残念ながら、狂牛病の問題が出てからは手に入らなくなったんですよ。

大澤  手に入らないのでは仕方がないですね。
そのせいばかりではないでしょうけれど、若い時より11cmも背が低くなってしまったんですよ(笑)背が高くて、大女って言われてたんですけれどねぇ(笑)
製品がなくなると聞いて1ケース買いましたよ。このくらいの箱に入ってました。

笹木  24個入りのダンボールですね!

大澤  新製品のメグビーミネラル。あれは良いですね。私は髪が抜けなくなりました。
メグビーって何でもすぐに効果が出るでしょ?
メグビーミネラルを飲むようになったら、ブラシに抜けた髪の毛がたくさん付いてたのに、付かなくなったんですよ。

笹木  膝が痛くなった時に増やしたものはありますか?

大澤  メグビーSを増やしました。とても良いけれど、先生に空きっ腹に飲まないように言われていたので、やたらに飲めないような気がして・・・

笹木  空腹時には牛乳で飲めば、胃に膜ができるから大丈夫だと、言ってましたよ。

大澤  先生の仰ったことは何でも真面目に守ろうとするから、なにか食べなくては、と思うと昼間はなかなか飲めなかったけど、良いことお聞きしました。これからは牛乳で飲むことにします。
先生の声がお若くてねぇ。初めてお電話した時に「先生、お若い声ですね!」って、思わず言ってしまったんです(笑)

笹木  じゃ大澤さんだったんだわ。「僕、声が若いって言われたよ。」って、凄く喜んでいたことがあったんです。「息子さんかと思いました。」って、その時仰いました?

大澤  ええ。言いました(笑)

笹木  喜んで話してましたけれど、大澤さんだったんですね!

大澤  お若い声だったのが、とても印象に残っています。あれはメグビーAじゃないでしょうかねぇ(笑)

笹木  父は20粒位飲んでましたから。 話す機会が多いのと、魚の目ができやすかったので、ビタミンAは多めに飲んでいましたが、結果的に喉にも良かったということになりますね。

大澤  座りダコなんかもメグビーAを飲むようになったら、取れましたよ。

笹木  プロテインはどんな飲み方をなさっていますか?

大澤  牛乳の中にプロテインだけ入れて、ミックスは別に飲みます。
先生は何もかも入れていらっしゃいましたよね。

笹木  父はいろいろ入れすぎですよね(笑)
温泉卵やバナナやメグビーSまでミキサーに入れてましたからね。
「まずい!」って言うと、「沈殿する前に飲めば大丈夫!」なんて言われました(笑)
大澤さんのように勉強した方はまずくても、工夫して飲んで下さるけれど、頭で理解していなければ、飲まなくなる方もいらっしゃいます。

大澤  そうでしょうね。理解していなければ続かないと思いますよ。
この歳になって飲まなくなったら、たちどころに具合が悪くなると思いますよ。
私はコロッと死ねたらいいなと思っているんですよ。末期ガンだなんて言われたら、治療は一切しないと思っているんですよ。
苦しいのは嫌ですからね。身体に悪くても痛み止めを使って、苦しまないで楽に死にたいですね。
メグビーを飲んでいるとこんなに元気だから、死ねなくなると困りますね(笑)

笹木  苦しまないで死ねたらと私も思っています(笑)
大澤さんは本当にお元気で、とても90歳とは思えないです。それに、肌がつやつやしていて羨ましいです。一緒に写真を撮るのが恥ずかしいくらいですもの。
まさに高タンパク、高ビタミンの証ですね。
これからも健康で、また楽しいお話を聞かせていただけたらうれしいです。
今日はどうもありがとうございました。

大澤 久江 様:1923年生まれ 90歳(インタビュー時)

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第21回大武 英夫 様 (86歳)

歳をとった感じは自分ではしていないんですけどね。

笹木  お忙しいのに、おいで頂いて申し訳ありません。どの位時間がかかりましたか?

大武  車で2時間ちょっとですかね。毎日こんなもんです。
9時から5時までは新宿の事務所に毎日来ていますから、どうってことはないです。(笑)

笹木  幾つも会社を経営していらっしゃるからお忙しいでしょうね。
父を知ったきっかけは本ですか?

大武  いや、新聞ですね。

笹木  “どうぞ、お先に”(1994・1・7~12・23 産経新聞で49回連載)ですね?

大武  最後に連絡先が出たので早速お電話して会いに行ったんですよ。その日からメグビーを飲まない日はないですね。その後も3回ほどご自宅に行ったと思いますね。

笹木  父に興味をもたれたのは、体調が悪いとか何か問題があったからですか?

大武  両親ともガンで60代で亡くなったので、当然私もガンになるだろうと思って、何か自分でできることがあるかなぁ。と思ったわけです。
お宅に伺って高タンパク、メガビタミンの話を聞きましたよ。
先生と話しながら両親は低タンパクだったんだと思いましたね。タンパク質とかビタミンとかは積極的に取らないとダメですよね。健康でいるためには欠かせませんね。
私は毎日お手伝いさんがミキサーでプロテインを作って、粒も数えて用意してくれるので、キチンと飲んでますよ。(笑)

笹木  牛乳ですか?

大武  牛乳ですね。バナナも入れているんじゃないかな??

笹木  まかせっきりなんですね?(笑)

大武  そうです。毎朝強制されるんですよ。(笑)飲まないと、ちゃんと飲めって叱られるんですよ。(笑)それと野菜サラダだけで昼は抜きです。

笹木  お昼を召し上がらないのは、たくさん飲むから腹持ちがいいということですか?

大武  そうじゃなくて、食べればエネルギーを使うから活性酸素を出す可能性があるということですね。慣れたらお腹はすきませんよ。私は労働者ではありませんからね。
昼を食べるのは時間の無駄ですしね。その代わり夜に肉や魚をたべますから。
腹八分目といいますけど、私は六分目くらいで、パンやご飯はほとんど食べませんが、甘いものは食べますよ。好きなんです。

笹木  見た目もぜんぜん変わられていないですよね。とても86歳にはみえませんよ。
以前、ご自宅をジムのようにしてあるとお聞きしてましたけれど、今でもやっていらっしゃるんですか?

大武  事務所の3階に要支援の方たちのトレーニングの場所を作ったんですよ。
スウェーデンの機械を何種類か置いて、理学療法士たちが週3回指導しているもので、私もそこでやるようにしているんです。皆さん座っていると元気そうでも立つとヨロヨロしたりしてね。
お年寄りでも筋肉を傷めないで運動出来るという機械なんですね。
つまり、介護にならないために筋肉を鍛える運動ですね。歩けなくならないように筋肉を鍛えるのが目的ですね。理学療法士とか接骨とか資格のある社員がいるんですよ。
送り迎えもするんですが、独居老人が多いですね。家族がいる場合でも、家にいると運動をしないから定期的に運動させたいという方ですね。
かみさんもその日は運動してますよ。私の仕事が終るまで何人かで編み物をして、被災地に靴下を送ってますよ。

笹木  これからは私たちのような団塊の世代の人たちが利用するようになるから、非常に必要とされている仕事ですよね。
主人と招待していただいたイタリアレストランもまだやっていらっしゃるんですか?

大武  青山のね?やってますよ。話が来れば何にでも手をだすから仕事が増えるんですよ(笑)
大損もしましたし、詐欺にあった事もありますしね。
マリーナは貧乏マリーナですけれどね。自分の船を管理させる為にやったわけですけれどね。うちに係留している方は千葉とか埼玉とかが多いですよ。
一番新しい方は下井草って言ってましたね。近くの人はいないですねぇ。
車で来て船に乗って釣りをして帰っていきますよ。
今年あたりから少し景気はよくなってきたようですね。

笹木  確かに都会に住んでいるから海が恋しいわけですものね。
大武さんは、海は見えるし朝陽は見えるし、素敵なところにお住まいですね。

大武  そうですね(笑)是非、遊びに来てくださいよ。近くに海鮮のレストランもありますしね。

笹木  父の告別式のときに「主人は先生の仰った通りに飲んでいるんですよ。」って奥さまが言って下さったけれど、長い間飲んでいてほかの方よりも体調がいいと思われますか?

大武  そうですね。昔の人は低タンパクですよ。タンパク質が必要だなんて誰も思っていませんでしたからね。86にもなると病気で亡くなって、友達はほとんどいませんよ。
あんまり歳をとった感じは自分ではしてないんですけどね。(笑)

笹木  戦争の時には中学生くらいですか?

大武  いやもっと大きかったですよ。いつ死ぬかわからないので、髪の毛と爪を親に送りましたよ。あの頃は感覚的に死ぬと言うことが怖くなかったですよ。
怖くなったのは戦争が終ってからです。(笑)
満州はもともと日本が作ったわけですから、高官の息子たちが留学してきたんですね。私の高校にも10人位来ていましたね。柔道をやったりいろんなことをして遊びましたね。ところが負けたので引き上げた人たちはみんな殺されました。
日本に残っていればよかったのに、可哀想ですけど、そういう時代でしたよ。

笹木  一番感受性の強い年齢の時に大変な経験をなさったんですね。
耳も遠くないし、どこも悪いところがないんですね?

大武  いやぁ、ありますよ。(笑)実は去年、心臓の手術したんですよ。
大動脈弁という心臓の弁の具合が悪くて血流が戻ってきちゃうんですね。つまり、血が3分の1位逆流しちゃうんです。
なんでこんなにくたびれるのかなぁ??と思っても判らなくて、見つけるまでに時間がかかりましたね。最後に榊原記念病院で大動脈弁閉鎖不全症と診断されたんです。
それで、牛の弁と取り替える手術をしたんですよ。

笹木  そんなことが出来るんですか?拒否反応もないんですか?

大武  若い人は機械弁にすることもあるそうですが、私のは生体弁といって牛ですね。
機械弁は一生ワーファリンを飲むそうですが、生体弁の場合は1年くらいでやめられるんです。馴染んでくるのか、違和感は全然ないですよ。自覚はないんですが心臓の出口に4㎝くらいの静脈瘤も見つかったので、それは人工血管に取り替えたんですよ。
今は90歳でも100歳でも手術をするそうですよ。

笹木  同時に生体弁の手術と人工血管の手術をしたんですか?

大武  そうです。これは医者の腕ですね。有名な手術の上手い先生がやってくれましてね。
もとに戻ったかなぁと思えるのは最近になってですよ。やっぱり1年かかりましたね。

笹木  奥様も手術なさったし、大変でしたねぇ。

大武  別に大変じゃないですよ。私が手術するわけではありませんからね(笑)

笹木  疲れやすいだけで、ほかに苦しくはなかったんですか?

大武  いやぁ。手の指が硬直して動かなくなったんですよ。原因がわからないものだから、マッサージをしたりいろんなことをしましたよ。
シンガポールにいい医者がいるって聞いて行ったけど、判らないわけですよ。
でも心臓の手術をしたら治りましたね。結局、血流が悪かったんですね。

笹木  言われなければぜんぜん判らないですよね。お元気ですもの。

大武  でも娘が二人だけの旅行はダメだって言うので、もうどこにも行かれませんねぇ。(笑)
かみさんも良く三石先生にご相談してましたね。あの頃は真面目に飲んでいましたけれど最近はさぼり気味かな(笑)

笹木  大武さんご自身はずっと牛乳とバナナで飲んでいらっしゃるんですね?ほかの飲み方をしようと思ったことはないんですか?

大武  ないですね。一気に飲むだけですからね。味わって飲むものではないでしょ(笑)
粒のものは水で飲むんですよ。

笹木  昔のヘルスケアー(月に一度の勉強会)にはずっと参加してくださってましたよね?

大武  そうでしたね。でも女性ばかりで、きまり悪くて辞めてしまいましたね。
女の人の方が熱心ですよね?

笹木  いや、今の半田先生の専科は男性が多いですよ。皆さん熱心で9回で1コースなんですけれど、今回皆勤賞をお渡しした方が、13人もいらしたんですよ。
静岡とか遠い方は神戸からも毎月熱心にいらしてます。
ところで今本業は何をなさっているんですか?

大武  本業ねぇ。(笑)毎日新宿に来て雑用ですよ。

笹木  じゃ今は幾つくらい会社があるんですか?

大武  そう、7つくらいですかね。
いろんな仕事をしましたよ。最初はサラリーマンですよ。印刷屋ですね。それで何とか独立しようと思ってね。でも、チャンスってあるんですよね。
日大の地下に工場がありましてね。戦後事業に成功して大金持ちになった
業種がいくつかあったんですけれど、その中に印刷業もあったんですね。
主に東電の集金表、国税局の税金徴収票なんかですね。その頃大日本印刷も凸版印刷も焼けてしまって、中小企業に仕事が回ってきたんですね。
何の仕事をしてきたかって言われても忘れるくらいいろいろやってきましたよ。
事業って言うのは10やって2つか3つ成功すれば、成功ですよ。

笹木  いろいろな事業に手を出すと言うことは勇気がいりますよね。

大武  そんなことないですね。もともと何もないわけですから、戦後は裸ですからね。
私の父は教育者でしたけれど、お金なんかほとんどなかったですよ。だからアルバイトして大学も出たんですよ。
私は東北大学でしたが、アルバイトは保険の外交をしたんですよ。学生だったせいか、ほとんどの人が入ってくれましたね。3ヶ月もやったら3年分の学費が稼げましたよ。

笹木  そんなにみんな契約してくれるんですか?その頃は保険っていう物が今みたいになかったんですね。

大武  そういうわけで戦争が終ってから大学に入りなおしたわけで、その前は特攻訓練ばかりでしたからね。北杜夫って作家がいますけれど、彼は同期ですよ。

笹木  奥様の事故の時には一緒に乗ってなかったんですか?

大武  乗ってたのは娘なんです。追突されてブレーキを強く踏んだんですよ。それで、右の大腿部を突っ込んじゃったんですね。 切断するか手術かっていう大怪我で、骨が骨盤の中に食い込んでしまったんですね。 それで、骨の部分をパイプに取り替えたんですけれど、長い間に段々骨盤の方にパイプが食い込んでくるわけですよ。それで、再手術をしたところなんです。 最初から20年か25年で再手術だって言われてましたからね。

笹木  でも医学って凄いですね。そんな状態でも手術が出来るんですから。

大武  人工の骨がアメリカでは売買されているんですよ。粉みたいになっているんですね。網みたいなものでそれを固めるんですけれど、骨って言うのは拒否反応はないですね。 接続部分は人工の骨だと思いますね。日本ではまだ人工の骨の売買はしていないので、アメリカから取り寄せて昭和医大で手術をしたんです。 これも医者の腕ですよね。いい医者を見つけないとダメですよ。

笹木  何年か前に奥様がお電話で、人工骨が古くなってきて痛いから手術をしなければならないと言ってらしたけれど、痛みがなくなってよかったですね。

大武  もう20年以上も経っているので、前に入れたパイプが骨盤の方まで食い込んでしまってたんですね。
だから骨盤まで削って人工骨にしたんですよ。私の心臓の手術は4時間か5時間でしたけれど、かみさんの手術は10時間位かかりましたね。
それでも出血はしなかったんですよ。「メグビーのお陰だ。メグビーのお陰だ。」って言ってますよ。

笹木  それは、ありがとうございます。

大武  本当にそう思っていますよ。手術のときに出血もないし、私もですけれど回復も早かったですよ。
でも動いてはいけないので石膏で固めたような状態で3ヶ月動けなかったので、筋肉は衰えますよね。それで今は苦しんでいますよ。
でもねぇ。若くして亡くなる方のことを考えれば幸せですよ。
これからは100歳くらいは余裕で生きられるんじゃないですか。正しい知識を持って健康に注意すればですけれどね。(笑)
三石先生も100歳までお元気だと思っていましたけれどね。風邪はいけませんね。
来年からはスキーはやめて水泳だけにするって言ってたのに、最後のスキーで風邪を引いてしまったんですから、残念でしたよね。

笹木  皆さんがご自分の健康を意識して自主管理をして、元気に長生きして欲しいですよね。
寝たきりで管に繋がれて生きていることは嫌ですけれど、自分のことが自分で出来て考えることが出来るならば長生きすることも意味がありますよね。

大武  そうですよ。寝たきりは嫌ですからね。
手がしびれていても、まさか心臓だとは思いませんでしたからね。しかも、ドックにも行っていたのに判らなかったんですから・・・

笹木  自覚症状もなく、ドックでもわからないということなんですね?

大武  そう。ドックじゃ判らないですね。心臓は心臓専門に行かなきゃダメですね。
三石先生の言うように、医者の言うことをまともに聞くことはないですよ。心臓を除いては昔から同じ医者にみてもらってますけれどね。数値が高いとか低いとか言ってますよ。(笑)言われても気にもしませんよ。(笑)

笹木  お忙しいのに来て頂いてありがとうございました。

大武  いやぁ。私は忙しくはないんですけれどね。運転手がお年寄りを迎えに行く時間なんですよ。取り留めのない話で申し訳なかったけれど、先生の言われたとおりに今でも飲んでいますということで、適当にまとめてください。(笑)

大武 英夫 様:1927年生まれ 86歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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第20回阿部 秀一 様 (60歳)

かなり前に書かれた推論が主流になってきましたよね。

笹木  お忙しいところを事務所にまで押しかけてきて申し訳ありません。今日はよろしくお願いいたします。
お父様のご病気がきっかけで来られるようになった、と父に聞いていましたが、いつごろからですか?

阿部  30年以上前になります。三石先生も70代でした。
父が56歳の時に胃ガンが見つかって全摘手術をして、術は成功したのですが、すぐに喉頭ガンを併発しているのが見つかり放射線治療をしてこれも軽快しました。
しかし、ガンでしたから、私なりに転移と再発を防ぐには何かないかと、たくさんの本を読みました。
その時に先生の講談社新書の「高タンパク健康法」「ビタミンC健康法」「ビタミンE健康法」を読みました。
ビタミンCやEやAがよいということがわかっても、製品をどこで入手したらよいのかわかりませんし、“メガビタミン”と書いてあるので相当の量を飲むことはわかりますが、どのくらい摂取したらよいのかわかりません。
それで、たまたま奥付を見たら電話番号があったので、電話をしたのが最初です。

笹木  父の本には住所も電話番号も書いてありましたけれど、そんな本はないですよね?

阿部  はい。あまり見たことはありませんでした。電話をしましたら、先生が直接電話に出られました。
父のことを話して、「先生の本を読みましたが、細かいことがわからないのでお電話しました」と言ったら「こちらに来られませんか?」とおっしゃったんです。
「エッ。伺ってもいいんですか?」と言うと、先生は「どうぞ来てください」と。(笑)

笹木  それが30年以上前のことなんですね?

阿部  そうです。2時間程お話いただいて「あなた、よく勉強されていますね」と言われたので、「先生の本をかなり読みました」と答えました。(笑)
メグビーができる前のことなので、市販しているいろいろなメーカーのビタミンも教えていただきました。
ビタミンEはエーザイ、ビタミンCはロッシュだったと思います。その後、月に一度くらいのペースで先生のご自宅に伺っていました。

笹木  お父様の近況報告にいらしていたということですか?

阿部  そうですね。父の経過報告をお話するうちに、ビタミンにどうしてそういう効果があるのかというお話になりました。
ですから、栄養学について先生の個人授業を受けていたようなものです。毎回2時間くらいでしたが、先生の話を聞くのはとても楽しかったです。
その時、先生のご自宅の応接間で、笹木さんとまだ小さかった息子さん達にもお目にかかりました。

笹木  本当に長いお付き合いということですね。私は阿部さんがとっても印象に残っているんです。
紺のBMWが停まっているときは阿部さんがいらしているんですよ。
私は免許を取ったばかりで、紺のBMWに乗りたいって思っていたものですから(笑)
お父様はメグビーを摂られて調子はよくなられたんですか?

阿部  はい。健康レベルは上がったと思います。
父はガン治療の影響で栄養の吸収がうまくいかなかったので、入院中は主治医が栄養について考えてくれました。
ビタミンBやCは静注したほうが早いからと点滴で補給していましたし、プロテインのアルミパックも処方してくれました。
栄養学に理解を示してくれた革新的な先生で、よいと思うことは何でもやってみましょうという姿勢でした。
劇的に効果があったのは放射線治療の後のメグビーSですね。
放射線治療の直後に大量のメグビーSを飲んだところ、ほとんど放射線の副作用が出なかったんです。
これは京都の友人が食道ガンの手術後、肺ガンを併発して放射線治療をしたときも同じでした。
メグビーSが放射線治療の阻害要因にならないかと心配して、三石先生に伺ったところ「放射線治療の効果は短時間でメグビーSが効くまでは時間がかかるから大丈夫」とおっしゃいました。

笹木  京都のご友人の方は憶えています。
芸術家の方で、ご一緒に父のところにいらっしゃいましたよね。

阿部  はい。彼はとてもよく勉強をしていて、三石先生にもいろいろ質問していました。
それまでにない新しい免疫療法を京都府大で試していましたよ。
その時、私が三石先生に教わった免疫のメカニズムを図解して友人に渡したことがありました。
彼はその後、テレビに出演した時、その図を使って自分の免疫療法の説明をしていました。

笹木  そんなこともあったのですね。
お父様は胃を全摘していたということは、お食事はどうなさっていましたか?
一度にたくさん摂ることは難しいですよね。

阿部  はい。食事の量は少しでしたから、メグビーのお陰で助かりました。
父はメグビーを真面目に飲んでくれて、ガンと20年近く闘いながら75歳まで生きました。
長生きしたほうだと思います。ガンの手術や治療による消耗は大きかったと思いますが、亡くなったのはガンではありませんでした。
私も父が始めたことからですから、30年以上メグビーを飲みつづけています。
三石先生に「今から飲んでいればずっと元気だよ」と言われて、現在に至っているわけです。(笑)
内臓の病気はしたことがないですし、先生と一緒で今でもスキーをしますし、サッカーもやっています。

笹木  サッカーはハードなスポーツですもの。凄いですね!

阿部  試合の後にはいつもメグビーSを2本飲みます。疲労の回復がぜんぜん違います。
それから、筋肉系のけがをした時は、もっと大量に飲みます。
炎症には驚異的に効果がありますね。
数年前、歯の手術をした時も、術後は「かなり腫れる」とお医者さんに言われましたが、メグビーSを大量に摂ったお陰でほとんど腫れませんでした。

笹木  阿部さんは今どのくらいメグビーを飲んでいらっしゃいますか?

阿部  毎朝、メグビープロ30g、ミックス2本、S2本、E4粒、A3粒、カロチン3粒、Q3粒、ボーン6粒、B10粒、ミネラル3粒、F2本そんなところでしょうか。
少し体調の悪い時には、ミックスとSを寝る前に摂るようにしています。
出張の時はメグビープロミニパックを2袋、粒のものは1日ずつ小分けして、必ず飲むようにしています。

笹木  ヒトフードはどんな飲み方をしていらっしゃいますか?

阿部  アップルジュースを水で割って、プロテインとミックスを入れて飲んでいます。
30年以上、私の朝食はメグビーです。

笹木  阿部さんは父のところに来られて栄養のこと以外にも話しをされましたか?

阿部  はい。いろいろな話をしました。
先生はこちらがよく学習しているとよくお話をしてくださいましたので、伺う前には学習をして、それを確認するという形でした。先生はとても丁寧にお話してくださいました。

笹木  どんな話が印象に残っていますか?

阿部  「健康になるためには知識が必要だ」と言われたことは印象的でした。
先生は、いつもなぜなのかということを突きつめて、理論を確立し、実践して検証するということをやられていました。
栄養学でも先生がかなり前に書かれた推論が段々に実証され、時代が先生に追いついてきたという感じです。
活性酸素もコエンザイムもそうでした。
それは、先生の構築した理論構成がしっかりとしていて極めて本質的であったからだと思います。
先生の研究対象は分子生物学であり、栄養学でしたが、すべての根底には本質を見極めようとする姿勢と推論して実践するという先生の手法がいつもあったと思います。
そのことが一番勉強になりました。
それからいつだったか、先生の著書を読んでいるうちに漢字を使わずにひらがなを使っていることが多いので、先生に質問したことがありました。
先生は「わざとそうしています。そのほうがまちがって理解しませんから」とおっしゃいました。このことは編集に関わる仕事をしている者として、今でもこころがけています。
メグビーはいままで何人もの方にご紹介しましたが、試してはみても続けられている方は多くはありません。
やはり、基礎になる理論をしっかりと理解しないと継続するのは難しいのかもしれません。
「プロテインが主酵素でビタミンは助酵素と考えましょう。だからプロテインが欠かせないのです。」と説明してもなかなかわかっていただけません。
先生がおっしゃられていたのはこのことなのかと思いました。
「漫然と歳を取るべからず。学習者として歳を取るべし」という先生の教えは、今でも大切にしています。

笹木  何十年も個人的に密に接してこられた方は阿部さんお一人かもしれませんね。

阿部  そうだとしたら、ずいぶん贅沢な授業を受けてきたということですね。(笑)

笹木  半田さんと同じ時期か、もしかしたら少し早いのかもしれませんね。

阿部  先生に「教え子たちとの勉強会に来ませんか」と誘われたことがありました。

笹木  金曜日に学士会館でやっていた勉強会ですね。 阿部さんは父が顧問をしていたC社、V社、そしてメグビーと、ずっと父と一緒だったのですね。
読者でそんなに古くから父と一緒に行動していた方にお目にかかったのは、初めてかもしれません。

阿部  先生がメグビーを設立する前に、C社が先生の処方どおりに製造しないでコストを下げることをやっていたことがあって、先生は「安全で価値の高いものを安く作るには自分でやるしかない」とおっしゃっていたことを憶えています。
そういうことで、私は三石先生しか知らないんです。
半田先生には先生のお宅で紹介された記憶がありますが、他の方にはどなたとも会っていないんですよ。

笹木  よくお目にかかりましたけれど、いつごろまで父のところにいらしてましたか?

阿部  先生が亡くなる前の年の暮れ(1月17日没)にも伺っています。
その頃は3ヶ月に1度くらいのペースでした。その時に先生がとてもお元気そうなので「先生、ここ数年で一番体調がよろしいんじゃないですか?」と申し上げたら、先生が「そうなんです」とお答えになったことを今でも憶えています。

笹木  父は亡くなる少し前に「絶版になった本を出す時は阿部さんに頼もうかと思っているんだよ。
よく聞いてみたら凄い技術のある印刷会社みたいだよ。」と言っていましたけれど、本を出しましょうか、みたいなお話はなかったんですか?

阿部  先生に教えて頂く時間が無くなるのが勿体無くて、仕事の話はあまりしませんでしたが、絶版の本を元に、再印刷して出版するのは技術的には問題ないと先生にお話したことがあります。
それで先生がそうおっしゃったんだと思います。
当社の印刷編集部門はメーカーの取扱説明書が主力で、技術と品質には自信がありましたが、出版部門は当時、美術出版だけでした。
健康関連の書籍を出版するという話しにはなりませんでした。

笹木  そういう会社だったんですね。 絶版になっていた「健康自主管理システム」の再版を引き受けていただき、助かりました。

阿部  どういたしまして。こちらこそありがとうございます。
先生の業績と関わることができて、とても光栄です。
みなさんの分子栄養学に対する理解が『健康自主管理システム』の再販で深まれば、少しですが先生への恩返しになるかもしれません。

笹木  今日は長い時間どうもありがとうございました。

阿部 秀一 様:1953年生まれ 60歳(インタビュー時)

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第19回横山 洋子 様 (77歳)

体力があるのはメグビーのお陰ですよ。

横山さんとは二十年位前に、兄嫁のコンサートでお目にかかったことがあり、兄嫁の親友のお友達とお聞きし世間はなんと狭いことかとびっくりしました。
加齢による難聴と診断され、これ以上進まないようにとメグビーで挑戦中とのことを、お話くださいました。

笹木  今日は寒い中、会社まで来ていただきどうもありがとうございました。
メグビーを知られたのは、どなたかのご紹介ですか?

横山  いいえ。1992年に主人の弟が会社の検診で喉頭ガンが見つかり、放射線治療が始まったんです。
弟がガンということは主人にも可能性があると思って、何とか予防しようと書店でみつけた「ガンは予防できる」と「成人病は予防できる」は著者が同じで、読みやすそうだったので買って帰ったんです。これは本物だと思いましたね。
シリーズが6冊だったので、揃えて読んでみると、“これこれについては、全業績に”って書いてあるでしょ?でも書店にないので、太平出版に問い合わせたらメグビーの連絡先を教えてくれたんです。
1993年に三石巌全業績(28巻)を取り寄せて、2ヵ月位かけて読みました。
その間に弟は亡くなりました。細胞診でわかる程度だったのに1年で亡くなりました。

笹木  弟さんがきっかけで、父の本を読んだことがメグビーとの出合いなのですね?

横山  そうですね。全集を読み終わって、先生に直接お手紙を書いたんです。すぐにお返事を頂いて、製品を飲むようになりました。
1995年には主人の従兄弟が62歳で大腸がんの末期と診断され、手術でも3割は取りきれませんでした。抗がん剤はやりたくないと言ったら、丸山ワクチンを勧められ半年後には、微熱が出て仕事が出来ない状態になってしまったんです。
それで、遺書のような、ガンの始末書みたいなものを送ってきましたよ。
ガンの治療は良いところまでもダメにすると気づいている人だから、メグビーの話をしてみようかと思って、三石先生にお電話で相談したんですよ。
メグビー製品を3ヶ月飲んだら、土色の顔がピンクに変わってきたんですって。
人工肛門になっていましたが、3ヵ月後の検診ではマーカーが11から9に下がったので、「メグビーは本物だ。」と言ってずっと飲んでいましたよ。
翌年の検診では“完治”ではないけれど、“治癒”の診断だったんです。先生に「同じ状態だった同室の3人はとっくに亡くなっているのに、どうして治ったんですか?」と、聞かれたんですって!
製品の話をして、空き箱を見せたら「参考にしたいので、貰ってもいいですか?」って(笑)

笹木  打ち消さなかったということは、栄養に関心のある先生だったんですね。

横山  元気になってきたら、段々に量が減ってきて最後は飲まなくなりました。この間亡くなりましたが、肺がんではなくて肺気腫だそうです。ガンから19年でした。

笹木  同じ位の症状の方たちは亡くなったのに、19年もお元気でいられて良かったですね。
どんな製品を飲まれたんですか?

横山  先生のご指示通りメグビープロ30g、メグビードリンク2袋、メグビーD2本(旧製品)、メグビーE3粒、メグビーA12粒、メグビーS4本ですね。

笹木  横山さんご自身はメグビー製品を摂るようになって体調の変化はありましたか?

横山  肩こりは治ったし、足が重くだるかった静脈瘤がよくなったし、便秘も治りましたよ。
でも、72歳で大腸ガンと診断され、メグビーに相談して1ヶ月後の手術まで大量に飲みましたよ。製品持参で入院し、担当医に「ビタミンを飲んでもいいですか?」と聞いたら、「何ですか?」と。「主にビタミンCです。」と言ったら、OKが出たんです。(笑)
腹腔鏡の予定でしたけれど知り合いのお医者様に「腹腔鏡は技術がいるので、今はまだ開腹のほうが良いよ。」と言われて開腹手術にしてもらいました。
術後の回復が早くて驚かれましたね。5日目に退院できましたから。

笹木  それは凄い回復力ですね!

横山  しかも、普通術後5年は検診に行くけれど、3年でもう来なくて良いと言われたんです。素人判断ですが、組織がちゃんとしていたんではないかと思うんですよ。
でも、血液検査のできる眼科に通っているので半年に1度は検査していましたよ。
6年後の血液検査で、「ガンは卒業したね。」と。メグビーのお陰だと思っています。
入院中身体を拭いてくれる看護師さんが、「60歳くらいの肌ですね。」と言ってくれましたよ。同級生にも綺麗な肌ね!って言われるけれど、何万円もする美白のものよりプロテインを飲んだ方がよっぽど良いですよね?お肌の材料ですもの。

笹木  今でも綺麗な肌をしていらっしゃいますけれど、どのくらい飲まれてますか?

横山  ハリがあるって言われますよ。でもあと2年で80歳ですから、皺は仕方ないですけれどね。(笑)ものすごく飲んでますよ。
メグビープロ30g・ミックス2本・D1本(旧製品)・A8粒・DEC3粒・B20・ボーン10粒・Q4粒・カロチン4粒・SとFは最低2本ずつ、そのくらいかなぁ?
ハードな日はSを増やすとか耳鳴りが酷い日はFを増やします。今日みたいな日とか(笑)
飲む前と違うと思うのは積極的に何でもやろうと思えることです。体力があるのはメグビーのお陰ですよ。
セルフケア教室は先生の「賢脳食」ですよね?あのテーマはとてもいいと思うんですよ。脳の栄養が充分だと機能が発揮できて、初めてやる気が出るわけでしょ?
先生が仰った生涯学習者であることですよね。
一昨日から全業績を読み直していますが、20年以上前に始めて読んだ時と同じように感動するんですよ!「100年経っても腐らない真理」って、本当だと思いましたね。
「科学こそ真理を説明する手段である」そして「自分の身体は自分で管理し、守るべし」と書いてありましたよ。

笹木  横山さんのように納得しなければ、製品を飲み続けることは難しいですよね。

横山  読書が好きだから、先生の本に出合うことが出来たと思うんですよ。私は漱石や梅原猛(哲学者)
の文章が好きなんですが、先生の文章は漱石や梅原猛に似ているんですよ。

笹木  半田先生も漱石が好きで、文章が似ているって仰ってましたね。

横山  科学者なのに何故だろう?と思うんですけれど、科学者も哲学者ですよね。
なんていうか雰囲気というか文章が似ているんです。だから、のめりこんで読めるんですよね。難しいことが書かれているのに、ちゃんと頭に入ってくる文章なんですよ。
本当に凄い方に出会ったと思っています。
お友達でも「目が悪いから本は読まない」とか「科学は無理」とか言うんですよ。自分の身体のことなのにね。悪いけれど、先生が仰ったように「どうぞ、お先に!」ですよね。(笑)
心の中で、そう言うんです。(笑)
でも、メグビーのクリームは保湿が良くて安いと言ってくれるお友達が二人いますよ。今まで使っていた高いクリームよりも良いと言ってくれます。メグビー製品は高いという人もいるけれど、私は高いと思わないですよ。

笹木  口に入れるものだから、信用できないと飲んでいただけないですからね。
安くて質の良くないものもあると思いますが、人それぞれの考え方ですから・・・

横山  飲んで大丈夫かしら?という不安が全くないわけです。迷ったり不安を持ったりしないでいいわけですから、私は安いと思いますよ。

笹木  信用が第一ですから、そう言っていただけて大変嬉しいです。ありがとうございます。

横山  私が話すと「売りたいんでしょ?」と言われることがありますけれど、「私を見て!」って言うんですよ。それしかないでしょ?(笑)
一人は不整脈で、ペースメーカーを入れると言われたけど、いい方法はないかって相談してきたんですよ。ヒトフードを食べ始めて半年後の検査で、まだ少し不整脈はあるけれど、もうペースメーカーは必要ないって言われたんですって。
もうすっかり健康になったので、今は朝1回だけにしているみたいです。
もう一人は血圧が高かったのに正常になったんですね。お医者様には薬のほかに何かやったんじゃないかって聞かれたそうです。で、プロテインとビタミンCを飲んでいると言ったら「ビタミンCは解るけれどプロテインはどうかなぁ?でも、下がったんだから降圧剤はもう飲まなくていいでしょう。」と言われたそうです。
結局二人とも健康のレベルアップということに役立っていると思うんですよ。
笹木いろいろ経験談がおありですね。

横山  ええ。たくさんありますよ。
主人は42歳頃に潰瘍が十二指腸と(胃の)幽門にもあって、十二指腸と胃の3分の1を取って、胃と小腸を吻合したんです。十二指腸がないと食べた物はそのまま出てしまうんです。
「あと、どの位生きられますか?」ってお聞きしたら「ケアーが良ければ60歳位まで生きている人を知ってますよ。」って言われたんです。
消化の良い栄養のあるものを食べていたんですけれど、60歳位で顔色は土色になるし、近所の方にも「死にそうな顔してるね。」って言われましてね。それが、メグビー製品を飲むようになたら、もう83歳ですが顔色はピンクで元気です。これがなかったら生きてないですよ。でもね、主人はメグビーのお陰って言わないんですよ。(笑)

笹木  お元気になられて良かったですねぇ。

横山  本当に感謝。感謝ですよ!
“出会い”って言うのは・・・出会おうと思って出会えるものじゃないですからね。
“偶然と必然”ですよ!
「(小3の孫が)二十歳になるまで生きていたいね。」って言うから、「メグビーを飲んでいれば大丈夫!」って言ったんですよ。(笑)
二人とも90歳過ぎてしまいますけれど(笑)、メグビー製品を飲んでいる方には高齢でも、お元気な方がたくさんいらっしゃいますものね。
生きる意欲があれば手段はいろいろあると思うんですけれど、私の場合はメグビー製品だということです。
先天的にこういうものを必要としない人もいるかもしれませんけれど、短命の家系だからって、諦めることはないわけですよ。身体の材料だから、絶対に必要なものだと思うんですけれど、きちんとした材料が手に入るかどうかですよね。
話は変わりますが“アカデメイア”(会社主催の定期的な勉強会)って言うのはもうないんですよね?

笹木  ないですね。父が元気な時の池袋の勉強会ですから・・・

横山  プラトンが最初に学校の形にしたものを“アカデメイア”って言ったんですよね?
先生は分子栄養学の世界で始めての学校と位置づけていらしたんじゃないですか?

笹木  定期的な分子栄養学の勉強会は、あれが最初だったかもしれませんね。

横山  プラトンと一緒ですよ!だから私、先生は哲学者だなぁ、と思ったんです。

笹木  宿泊研修では必ず「私の哲学」という話をしていましたね。哲学堂(東京都中野区)というのがあるんですけれど、それを作った井上円了は祖父のお友達だったんです。それで、私も小さい時によく祖母に連れられて遊びに行きました。

横山  私は60歳の時に分子生物学を勉強したくて東洋大学の通信教育を受講したんです。最初に井上円了先生の本を読まなくてはいけなくて、そこで西洋哲学を学びました。

笹木  本当に意欲的で凄いですねぇ!祖父は東洋大学に勤めていたんです。
不思議なご縁ですね。

横山  “アカデメイヤ”は、ちょうど西洋哲学史でプラトンを学んでいた時に始まったんです。
生物のテーマは細胞分裂で、メグビーでの勉強が役に立ちました。
分子生物学は放送大学でもやっていて、TVの映像はわかりやすかったですね。
分子栄養学を教えて頂き、その手段としての製品も手に入るので、何か探す事もなくなりましたね。(笑)

笹木  ビックリしました。横山さんみたいに熱心な方は他にはいないかもしれないですね。
「この本はわかりやすいわよ。」と、勉強会で紹介していらっしゃいますよね?

横山  特に「ニュートン」は大人の絵本ですよ。脳の話はとても面白かったですね。
iPSも最初に取上げて、カラーでとても解りやすかったですよ。
私は三石先生の文章を読むと頭がすっきりしますね。居眠りしていてパッと目が覚めたような、そんなスッキリ感があるんです。小説を読んでいても感じませんからね。
それが科学と文学の違いだろうと私は思うんです。

笹木  いろいろなことに興味がおありなんですね。

横山  最初は前から好きだった音楽です。舅、姑、小姑といろいろあっても逃げるわけには行かないので、いろいろなことにのめりこんでいきましたね。次は美術、古代史、20年位前、脳に関心を持ったのが科学への興味のきっかけで、最後に素晴らしい三石理論に行き着いたんです。家族は「またお母さんはのめり込んでいる。」って笑ってますよ。(笑)
でも、私は納得できるまで、知りたいんです。
孫には「どうしてかな?なぜかな?」と思ったら、諦めないで解るまで追求して欲しいですね。(理科好きの)
理科子ちゃんになって欲しいと思っているんですけれどね。(笑)
先生の言葉にも「科学こそ真理を説明できる手段である。」というのがあるでしょ?
科学的な頭の働きが大切だと思うんですよ。

笹木  お孫さんは女の子なんですね?そうなって欲しいですね。

横山  それから、いつか「耳が悪かったけれど治ったわよ!」って言いたいんです。(笑)
半田先生にはメグビーQを9個に増やすようにご指導いただきました。
肩こりも治って、他のところが良くなって来ましたよ。結局は身体の材料ですからね。
最近、部分入れ歯にしたんですけれど、抜歯すると私の年齢だと1週間から10日は腫れているそうですが、2~3日で腫れが引いて歯茎が若いって言われましたよ。
これはメグビーのお陰ですよね。(笑)

笹木  そういう時には飲むと飲まないとでは差が出ますよね。

横山  57歳から67歳の時に五街道(東海道・中仙道・甲州街道・日光街道・奥州街道)を歩いたんです。1日15~16キロ歩くと疲れて、翌日は家で休むんです。でも、メグビーを飲みながらだと1日26キロ歩いて、翌日もまた歩けましたね。東海道から歩き始めて、(東海道を)半分位歩いたところでメグビーに出合ったんです。
プロテインは1日に20gを3回飲んで、粒のものは朝と晩に飲みました。主人は十二指腸がないのに元気に歩いたんですよ。

笹木  相当な距離を歩かれたんですね?しかもご主人は62歳から72歳ですものね。

横山  家にいたら何もしないので、足が弱ったりボケたりしたら困るので、連れ出そうと思ってね。主人は調べるのが好きなので、バスの路線や時刻も全部調べてくれました。
食べるところもないようなところを歩く日もありますから、メグビーがなければ疲れて大変ですよ。でも、歴史や風景を楽しみながら歩きましたよ。

笹木  その距離(1462.1km)を歩こうと計画したことは凄いことだと思います。
皆さんが横山さんを信頼して相談するのは、若々しいということもありますね。

横山  元気に演出しなければね。(笑) 気持ちの持ち方にもよるんじゃないですか?
私は明るく、元気でいたいと思っているんです。
明るくするというのは、気分によると思うんです。気分というのは脳でしょ?
だからこれから脳の勉強がしたいんです!!
78歳ですから、(メグビーを長い間)飲んでいた結果が出てくる年齢だと思うんですよ。

笹木  そうですね。飲んでいない方とは見えない部分でもかなりの差があると思いますよ。
若々しくてお元気で見習わなくてはいけないと思いました。今日は楽しいお話をどうもありがとうございました。

横山 洋子 様:1936年生まれ 77歳(インタビュー時)

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第18回小山 美津浦 様 (72歳)

一日でも飲まないと身体が感じるのよね。

笹木  お久しぶりです。江古田に事務所があるときには、よく来てくださっていましたが、飯田橋に越してからは遠くなってしまって、中々お目にかかる機会が無くなってしまいましたね。
今日は飯田橋まで来ていただき、ありがとうございました。

小山  いいえ。飯田橋まで歯医者に通っているものですから・・・ついでみたいで、ごめんなさいね。(笑)

笹木  歯医者さんの帰りだったら、まだお昼召し上がってないですよね?

小山  朝しっかり食べてきているから大丈夫(笑)、帰ってからメグビーを摂ればいいんですから。今朝は豆乳とプロテインを沢山頂いてきているの。
私は牛乳がダメなので、豆乳で飲むんですよ。

笹木  (メグビー)ミックスは入れないんですか?

小山  (メグビー)ミックス、レシチン、F、Sとか、粒のものは水で頂くの。
だって、ミックスを入れるとまずくなるんですもの(笑)
その方があっさりしていて、プロテインが美味しく飲めますよ!ぜひ試してみて!!
タンパクが足りないといろいろ故障が出てくるでしょ?
年をとってくると特にいろいろとね。(笑)
本当にメグビーに出会えてよかったと思っているの。

笹木  私は豆乳を飲んだことが無いけれど、前にも薦められたことがあるんです。こんど試してみますね。
父は何もかも入れてミキサーで混ぜて飲んでいましたけれど、自分の飲みやすい方法で飲まないと長続きしないですよ。

小山  見せていただいたことがあるけれど、先生はSもバナナも温泉卵も何もかも一緒に混ぜて飲んでましたよね。(笑)
軽く何か食べて、ヒトフード(メグビープロとメグビーミックス)で補助しなければいけないと先生に伺っていたので、朝は温泉卵を必ず食べるようにしています。
豆乳100ccに(メグビープロ)20g位入れて、シェークしていただくのよ。豆乳を多めにするとさっぱり飲めるわね。

笹木  父と同じように、何でも入れて飲んでいる方もいらっしゃいますけれどね。
そういう方は「味ではないんです!中身ですからね。」と、仰います。(笑)
小山さんは随分前から飲んでくださっていると思うんですけれど、いつ頃からですか?

小山  そうねぇ。1996年頃かしら。
5月か6月だったと思うの。先生のお宅に伺ったときに睡蓮が咲いていたのがとても印象に残っているから。

笹木  父はあの池を睡蓮池と呼んでいましたけれど、私の産まれるよりずっと前に、自分で作ったと言ってました。花が終ると翌年もたくさん咲くようにと、母がニシンを根元に差していましたね。

小山  一面に睡蓮が咲いていて、綺麗でしたよね。
先生にお目にかかる前に、お友達に誘われて“細胞矯正医学”を勉強してたんです。
丹羽生化学研究所って言うんだけれど、SODの丹羽先生ではなくて、丹羽駿典先生の勉強会。
そこでは栄養と食事が大切だということや、46種類の栄養素と身体とのかかわりを教えて頂きました。栄養がいかに大事だということを教わりましたね。
主人が病気になる前だったので、導かれてというか、知らなかったら大変だったと思うんですよ。
私っていろいろなことに関心があって、「人間てなんだろう」とか、「なぜ健康な人と病気の人がいるんだろう」とか、「なぜ幸せな人と不幸な人がいるんだろう」とか、「貧乏人と金持ちがいるのは何故だろう」とか考えるのね。(笑)
だから、本を読んだり勉強会に出たりしてたんです。

笹木  本当にいろいろなことに、興味がおありなんですね。

小山  健康のことだけじゃなくて、すべてのことに関心があったの(笑)
だから三石先生は素晴らしいなぁ、と思ってね。だって、いろいろなことに関心を持たれているでしょ?
“歴史に参加せよ”という先生の言葉もありますよね。
ボンクラしていてはいけないな、と思うんですよ。

笹木  小山さんはとても熱心にいろいろな勉強会に参加してくださっていましたものね。
最近はお忙しくなられたんですね。ここのところお申し込みが無いので気になっていたんですよ。

小山  そうね、この一年いろいろあったんです。
主人がほとんど家に居るのでね。仕事の方は、ほとんど息子に任せるようになって1週間か10日に一度行くくらいなんですよ。

笹木  そうだったんですか。じゃ、お昼の用意もあるし出づらくなりましたね。

小山  まだ74歳なんですけれどね。去年大病をしたんですよ。

笹木  いろいろ相談されていたみたいだったけれど、ご主人のことだったんですね?

小山  三石先生に出会ったときも潰瘍性大腸炎だったんですけれど、それがまた悪化したんですよ。

笹木  前にお元気になられたのは、寛解の状態だったということですね?

小山  そうなんですよ。あの病気は治ることはないそうです。
2012年3月に悪化して、4月には入院したんですよ。

笹木  その前には専科(メグビー主催の勉強会)にもいらしてましたよね?

小山  そうですね。入院するまではね。手術はしないって言ったので、点滴や薬だけの治療だったんですけれどね。退院して、少し回復してきたら11月に肺が破れちゃって。
2階から降りてこないので行ってみたら、もう虫の息なのよ。
呼吸困難だったのですぐ救急車を呼んで、病院に運ばれたんですけれど、左の肺がつぶれていて、紙風船がクシュクシュってなったみたいだったんですよ。
ストレスとかタバコが原因ですって。

笹木  それはビックリなさったでしょ?

小山  そうなの。私が居ない時や独りの時だったら危なかったですよね。
心臓が押しつぶされてダメになる場合もあるんですって。
気胸の処置が出来ない病院だったので、また救急車で移動して処置していただいたの。
穴を開けて空気を入れて、肺を元の位置に戻す処置なのね。
でも、よくならなくて、その穴から内視鏡で手術をしようとしたけれど、それもダメで結局、切開したんですよ。
明けてみたら肺がボロボロでね、昔、ぼろズボンに当て布をしたでしょ。あんな感じで肺にシールを張って補強したんですよ。

笹木  それは大変な手術でしたねぇ。

小山  若いときに肺気腫や結核をしたのが原因らしいです。それも、ちゃんと治していないんですもの。後遺症というか今でも痰は出るんですよ。
心配が一番いけないみたいだけれど、私は心配しないわけにはいかなかったんですもの。

笹木  それはそうですよ!体調を崩すのも無理ないですよね。
ご心配だったと思いますよ。

小山  そうねぇ。よくここまで生きていてくれたなぁって、思いますよね。

笹木  ご主人がお元気になられた時「どのくらい飲んだんですか?」ってお聞きしたら、ものすごい量でしたよね?

小山  そうでしたね。メグビーSが15本、プロタブレットが50粒、メグビーチャンプが10粒、メグビーAが10粒、そのほかにはメグビーEやボーンやいろいろ飲みましたよ。そのほかにも飲んだけれど、前のことなので忘れちゃったわ。(笑)
医者に内緒でね。(笑)タブレットだから入院中でも飲めたんですよ。

笹木  それで、メグビープロタブレットとメグビーチャンプなんですね?
どちらもタブレット状だから、隠れて飲むのには簡単でいいですよね。

小山  大腸を全部取って、直腸と小腸を繋げる手術と言われたんです。でも不思議なインスピレーションが来て手術はさせないって。それで、手術はしなくていいんだと・・・・それから、三石先生のところに伺ったんですよ。

先生は「そうですか。手術しろって言われましたか・・・」と、おっしゃつたのね。
その言い方で、この先生に任せていたら手術はしなくていいのかな???と、勝手に良いほうに受け止めたんです(笑)
手術をしたらもっと大変だったと思ってましたからね。
退院するまで点滴をいろいろしましたよ。手術はしたくないと担当医に伝えたら、栄養はきちんと入れてくれました。
入院中も退院してからもメグビー製品は沢山とりましたね。

笹木  局、本を読んで父を知ったということになるんでしょうか?

小山  そうですね。以前「致知」という月刊誌を読んでいたので三石先生のお名前は知っていましたけれど、気になりながらそのままになっていたんです。
主人が潰瘍性大腸炎になって、これは栄養と食事しかないと思い、前に読んだ三石先生の記事を思い出し「到知」出版社に電話をしたら住所を教えてもらえたんです。で、電話番号を調べてお電話しました。

笹木  そうだったんですか。「到知」という雑誌は見たことが無いので、書庫で探してみます。
小山さんの心を動かしたその本を私も読んでみたいけれど、もう無いかもしれませんね。
父の書いた内容を覚えていて、すぐに相談しようと思われたわけですね?

小山  そう、頭に残っていたんですよね。
何しろ、下痢がひどくて、一日のうちに目に見えて痩せていくんですもの。
どうしても先生に会いたいと思っていたら、西武線で偶然メグビーの事務所が見えたんですよ!

笹木  前の事務所は西武池袋線の線路際でしたからね。

小山  主人は良くなってきてメグビーを摂る量も減ってきたけれど、私は昨年体調を崩してしまったので、また、沢山摂っているんです(笑)
私も主人の入院の前の日にひどい下痢をしちゃってね。で、主人の腸のほうの先生に話して検査しましたけれど、胃も腸も何でもないんですよ。完全にストレスですよね。
長年そういう人と一緒に居るわけですからね。そんなこと言ったら主人に叱られちゃうわよね(笑)
私も呼吸器の先生からは身体はタンパク質から出来ているんだから、タンパク質をきちんと摂るようにと本当に毎回言われるんですよ(笑)
だから、メグビー製品は欠かせません(笑)

笹木  タンパク質を摂りなさい、というお医者様は珍しいですね。

小山  補助食品で摂れとは言わないけれど、行くたびにタンパク質を摂るようにと言われますよ。でも、食べ物だけでは摂れませんから、やっぱりメグビー(製品)で補っていかないとダメですよね。

笹木  メグビー製品を飲んだことで一度は寛解の状態になったわけですから、ムダではなかったわけですよね?

小山  もちろんですよ。元気になって太ってきたし、飲まなければ寛解の状態にはなれなかったでしょうね。本当にありがたいです。
最近は元気になってきて、ゴルフにも行く気になったみたいでね。
去年、ゴルフはもう嫌だと言ってたのに、昨日はゴルフ道具を買いに行ったので、「良かったわね。」って、言ったんです。

笹木  好きなゴルフをやめるということは、かなり具合が悪かったということですものね。
良かったですね!ホッとなさったのではないですか?

小山  でも、気力が出てきたのは、本当に最近ですよね。
ストレスに負けないような栄養素を取り入れていれば違うかな?と私は思うけれど、主人は少し良くなってくると量が減ってくるでしょ。それがいけないんですよ。
私たちの歳になったら、一日でも飲まないと身体が感じるのよね。
私は病気になるのも意味がある、という受け止め方をしているので、落ち込まないで何か良い方法があるはずだ、とあの時に思ったんですよ。
いろいろなことがあるけれども人との出会い、どんな人に出会えるかということで人生は変わるでしょ?。私は本当に幸運だったと思っているんですよ!

笹木  確かに生きていく指針みたいなものは、人との出会い、書籍との出会いによって変わっていきますものね。
でも、小山さんにそう言っていただいて、父も喜んでいると思います。
今日はどうもありがとうございました。

小山 美津浦 様:1941年生まれ 72歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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第17回半田 節子 様 三石理論研究所 (86歳)

私は人生を振り返ってみて幸せだったと思うわ。

笹木  今日は強風で電車が止まってしまうかと心配しましたけれど、来て頂けてよかったです。

半田  対談ということなんだけれど、何から話してもいいの?

やっぱり津田塾での出会いからお願いします。

半田  私は記憶の悪い人間でよく覚えていないの。

笹木  そんな事言ったら、記憶力のいい人は居ないことになってしまうわ。(笑)

半田  何を話したらいいかと、ここに来る電車の中で考えてみたのよ。
最近、夏目漱石を何冊か読みなおしているんだけれど、「心」の中で主人公“私”が先生と尊敬する人が出てくるでしょ?
誰でも自分にとって先生と呼ぶべき人に出会うと思うけれど、三石先生が永田先生を尊敬してらしたように、私は紛れも無く三石先生なのよ。
知識を伝えてくださる先生という意味ではなくて、生き方そのものにかかわってくださった先生なんだな、と思いますね。

笹木  そう思える人に出会えたことは幸せなことですよね。

半田  そうよね。津田時代は不勉強で先生には近寄らない人間だったんですよ。(笑)
でも、他の先生とは違って、三石先生には生活に即した物理を教えて頂いたことが印象に残っていますね。
例えばアイロンをかけていると、アイロンが熱くなるのは分子の熱運動だ。と先生が話されたことを思い出すの。そんな風に生活の中の科学を教えて頂いたから、ずっと心に残っていたと思うんです。
ひとことで言うなら、何かを考える時に「先生はこうおっしゃったな。」とか、「先生ならどのようにお考えかな。」ということを物差しにして考えている。
私にとって、三石先生はそういう意味での先生だと思うんです。

笹木  就職したのは出版関係でしたよね?

半田  先生は就職に関してとても面倒見が良かったんですよ。私は成績も悪かったし、それまでは先生に近づきもしなかったのに、みんなに付いて行って「就職お願いします。」なんてお願いしたんですよ。
ずっと後になって「何しに来たんだろうと思った。」と言われちゃって(笑)
それでも中教出版(旧:中等教科書出版)に入れて頂いたのよ。先生は中教出版で教科書を書いていらしたのよね。

笹木  あの頃のことはよく覚えています。忙しくて朝は迎えの車が来て、もっと忙しくなるとホテルに缶詰になって何日も帰れませんでした。
理科の教科書を書く人は父しかいなかったそうで、ものすごく忙しくて、急に白髪になったみたいです。

半田  先生に中教出版に入れて頂いたお陰で、半田と出会えたのよね。

笹木  そうそう、職場結婚ですものね。

半田  そうなの。本当に人生の道筋を付けて頂いたことになるわね。
そこでは著名な方たちをまじかに見ることが出来たし、川端康成のところに原稿を取りに行ったこともあるのよ!簡単に貰うだけで帰って来たなんて・・・って、今になって思うわよね。(笑)

笹木  凄い!確かに今思えば残念でしたね。

半田  もともと本は好きだったけれど、そこで本作りの人たちと知り合って、それが今の“インフォメーション”を書くことに繋がっていると思いますね。
面白く仕事をしてたのに仕事に対する自覚が無くて、結婚するのですぐにやめてしまったのね。それでも2年位はいたかしら。
自覚さえあれば、いろいろなことを吸収できる立場にたたせて頂いていたのにね。
結婚してからは二人の男の子を育て、両方の親の介護をしてきました。
その間に子供のPTAの役員を幼稚園から中学までやることになって、それが終ったら、世田谷の青少年委員を、という具合でした。
青少年委員は勤労青年のお世話でしたが、区の社会教育の人たちとかかわることになって、時折“社会教育”という雑誌に原稿を書いたりしていました。
そこで最初に対談(2013年2月)なさった長谷川さんと知り合ったのよ。
先生にお見せした“社会教育”の原稿や、中教出版での仕事からC社で広報担当を探しているからどうかと、先生が声を掛けてくださったと思いますね。
それが、夫が亡くなった一年後でした。

笹木  亡くなったばかりだったんですね。

半田  その前にクラス会があって、私の顔を見てタンパク質が足りないと思ったって。(笑)
その後、広報の仕事をしてみないかって言われたので「私には出来ません。」て、答えたの。そうしたら「出来ると思うから言ったんですよ。」と、そういう言い方をなさったの。
そのひとことが、今の私に方向付けてくださったことになりますね。
知識も経験も無くて飛び込んだのがサプリメント業界のひとつ、C社ですけれど、そこでは違った意味での社会勉強をしました。
ちょうどその頃、講談社から「高タンパク健康法」「ビタミンE健康法」「ビタミンC健康法」なんかが出た頃だったので、業界の人たちが先生に目を付けたんですね。
計算高い人達とかいろいろな人たちが先生の周辺に集まってきましたよね。

笹木  業界は魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界だと表現していましたが、翻弄させられた時期でしたね。見ていられなくて、何とか父の力になりたいと思いました。

半田  私の周辺でも業界の思惑とかいろいろありましたね。
先生はいろいろな会社とかかわりを持つ時には、アメリカから入ってくる健康情報をただ受け入れるだけではなくて、どういう裏づけがあるのか、きちんと把握して皆さんに知らせることが大切だとお考えでしたから、経営者とはいろいろあったと思いますよ。
そんな状況でも勉強会も仕事のうちと、先生のお宅の勉強会にも行かせて頂きました。広報といっても何も知らないわけですからねぇ。

笹木  「先生の処方で作ります。」と言われて実際に製品化されたものは、内容が違う、というようなことの繰り返しでしたから。
どの経営者にも「先生の希望通りのものを作っていては、利益が出なくて会社は成り立たない。」と言われ、頭を抱えていました。

半田  そんな中できちんとした製品は自分たちで作るしかない、という皆さんの気運が高まって、メグビーができたと思うんですよ。

笹木  その準備ということで、研究所を作ったんですものね。

半田  C社に入社してすぐ情報誌を書くことになって、原稿は必ず電話で先生に聞いていただいて、という状態でしたが、内容よりもまず書き方からでしたね。
例えばその文章は長いから二つに分けた方がいいとか、主語をはっきりさせた方がいいとか文章を書くことへのアドバイスをして頂きました。
それが、先生のご本を読んでいると、文章はそういう風になっているんだということが段々判ってきて、とても楽しくて仕事というよりは勉強させて頂いたと思っていますね。その頃に教わったことが今になって、こういう事だったのかと、気づくことも多いのよ。
先生はまだ“複雑系の物理科学”とか“複雑さの科学”という概念がない時代に、そのことをお考えで本を書かれていたと思うのよ。

笹木  複雑系って、ようやく最近になって物理学だけでなく生命科学でも使われるようになった言葉ですものね。

半田  先生が亡くなられた後、研究所は先生からお預かりしたもので、私に後を継ぐなんて出来るだろうか?出来ないのではないか?という思いがあったけれど、何とか乗り越えられたのは複雑系科学で言う『自己組織化』という言葉に気がついて、先生の著作のなかにも、かかれているこの言葉が鍵になりました。

笹木  『自己組織化』?

半田  『自己組織化』って言うのは、多くの要素が相互作用することによって秩序が自然発生的に生まれてくる自然界の現象なんですって。
人工的に誰かが作るのではなくて、人が集まってお互いが相互作用することによって『自己組織化』という現象が生まれる、ということならメグビーもそういう形で出来た会社ではないかと解釈したんですよ。
それならば、先生が亡くなっても、先生を敬愛して集まった人たちがお互いに作用し合っていけばこれからも『自己組織化』して行く、と私の中では解釈できたんですよ。
『自己組織化』というのは複雑系の中の大切なキーワードなんです。
一人がやるのではなくて集まった人たちが相互作用するということは、仲間作りが大切だなと思うのよ。
先生は4人でも5人でも集まれば、(健康の)お話をなさいましたよね。
先頭に立って引っ張って行くのではなくて相互作用できるような仲間づくりをしたいと先生は常々思っていて、“ゲマインシャフト(友情で結びついた共同体)”という言葉を使われたのかなぁと思うんですよ。でも先生の思うような仲間作りをするのが、大変難しい世の中になってきましたね。

笹木  私たちが始めたころはまだ仲間作りのしやすい状況でしたからね。

半田  インターネットの普及で周りの人とは無関係で、自分は自分と思う人たちの中での仲間作りというのは大変難しくなってきましたね。
そういう状況の中で今まで通り“インフォメーション”や勉強会で繋いで行けるのだろうかということが、私の中では大きな課題というか心配事なんです。心配事というより問題と言った方がいいかしら?(笑)
三石先生ご存命の頃から先生を敬愛している人たちは、離れていきませんよね。私たちの中に先生がいらっしゃるから・・・
その方たちが私たちを刺激してくださるから、それに対して相互作用ができれば、形は違ってもやっていけるのかなと思っているんですよ。
それが次の世代に受け継いでもらえるのかが、大変大きな課題ですよね。
先生のご本を座右の書として読んでくださる方たちがいなくなるというか、本を読まなくなってきていますからね。

笹木  確かに本を読む人は減ってきていますから、父の本を読んで問い合わせをしてくるということは段々に少なくなってくると思います。

半田  話が前後しますが、全集(三石巌全業績 全28巻)を作ったことが私にとっては喜びでしたね。
きっかけは、先生が新聞や雑誌にお書きになった物の切抜きがものすごい量なので、「これを本にできませんか?」って、言ったんですよ。
出版して採算が合うだろうか、ということを(出版社は)当然思うでしょ?だから自費出版になりましたよね。その経済的な支援はメグビーにして頂きました。
全集に入れたかったのは『文明の解体』『大学の原点』だったんですけれど、その中に読まれやすい健康関係の本を入れたんですね。
『先生と私』の中で、いろいろの方が書いてくださったでしょ?
私の知らない方たちが先生を語ってくださったことは読んでいてとても楽しかったわ。

笹木  28巻が揃った時は、達成感があったでしょうね。
出版記念のパーティーの日の父はとても嬉しそうでしたね。

半田  本当に、ついこの間のことのようだわね。(笑)
先生に教えていただいたことを ひとことで言えば「自由に物を考えなさい」ということね。それは今の仕事にも関わることで、“医者の間での定説”“栄養学での定説”にこだわっていたら、気づかないことが多いんですよ。
「どうしてだろう?」「おかしいのでは?」と疑問を持つことで新しい情報にも出会うし、納得の出来る情報とも出会えるのね。
その情報を皆さんにお知らせしたくて、“インフォメーション”に書いているわけです。

笹木  そういう取り組み方で、“インフォメーション”は新しい情報が載っているんですね!

半田  講演会にお供すると、移動中やお食事の時とかいろんなことをお話しましたね。
その日にあった質問のことなどが話題になると「どう考えますか?」と、必ずお聞きになるのよね。私としては先生のお考えを聞きたいのに・・・(笑)
私が答えると「そこはこういうように考えた方がいいですね。」とか「もう一度考えてごらんなさい。」と、おっしゃいましたよ。
自分で考えることをしてきたから、今こうやって仕事が出来ていると思うんです。
いろいろなことを覚えて、そこから答えを出すなんて、80歳過ぎてそんなこと出来ませんよ(笑)
幾つになっても考えることは出来るのね。それが正しいかどうかは別として、“考えてみる”ということに力づけられてきたと思うんです。
“インフォメーション”を続けてきたことで、先生にご恩返しが出来たかな、と思っているんですよ。

笹木  インフォメーションは2013年12月で372号ですから、ものすごい情報量ですよね。特にお医者様は「無料でいいんですか?」と喜んでくださいます。

半田  私は夏目漱石が好きなんだけれど、漱石は野上弥生子に「文学者として年をとるべし」と手紙の中に書いたんですって。死ぬ時に恥ずかしくないような文学者として生きるようにと。それを先生に話したら「それは面白いですね。」と仰ってすぐに色紙に「学習者として年をとるべし」とお書きになったのよ。

笹木  野上弥生子さんもメグビーのお客様でしたよ。
創立当初のメグビーのお客様の中では一番の有名人だったので、覚えています。(笑)

半田  専科でも『三石理論を学ぶということは知識を学ぶのではなくて、人生を学ぶことだ。』と、お話ししても解ってくださるかどうか、わからないけれど、言わないわけにはいかないと思っているの。
「歳をとるとどうなるのか。」「どう老いるのか。」「どう生きてきたか。」「これからの人生をどう生きるのか。」ということと密着していますよね。
50歳から分子栄養学にかかわってきて35年経って思うことは、もし勉強していなければ、全く違う人生を歩いたということなの。
もし、100歳まで生きるとしたら、前半の50年と後半の50年とは延長線上にあるのではなくて、私は全く新しい人生を歩いたと思うのよ。それに、中身の充実度は多彩でいろどりがあったなと思えるんです。
“学校を出て、仕事をして、子育てをして、親の面倒を看る”という女の人生も50歳で完結したわけよね。主人は早くに亡くなりましたから。
それからは分子栄養学を学ぶということで社会とのかかわりを持つ、もう一人の全く違う新しい人生を生きるという両方の人生を経験させていただけたのよね。
それはやっぱり先生との出会いなんですよ。

笹木  確かにごく普通の女性としての人生ではなくて、50歳からは本を書いたり講演をしたりと全く別の舞台で活躍したことになりましたからね。
それを見て父は、《この勉強は子育てが終って50歳からでいい》とよく言ってました。
津田塾を選んだのはどういうことからですか?

半田  父は家から近い御茶ノ水大学に行くように勧めたけれど、当時のお茶の水はお下げ髪にしなければならなかったのが嫌だったの。(笑)三つ編みよね。
女学校の先輩と見に行った津田は外国のような、乙女心を満たしてくれるようなところがありましたね。武蔵野のキャンパスは広々としていて、とても素敵でしたね。
御茶ノ水にはどうしても行きたくなかったので、入試の日、何も書かずに答案を出したのよ(笑)

笹木  エッ!凄い!本当に?

半田  父は落ちたんじゃ、仕方ないなって、津田も受けさせてくれたのよ。(笑)

笹木  その頃、女の人が理系に進むことは、あまりなかったことですよね?

半田  そうね。父は建築家だったから津田に行くなら数学科にしろと。それが、入学してから物理化学科に転科しちゃったのね。(笑)だから、三石先生に出会えたんですよ。

笹木  自分の意思を貫いたわけですもの、凄いですね。

半田  女学校の3年の終わりはもう(学徒)動員だったんですよ。
津田に入った年に終戦で、急にアメリカの文化が入ってきましたよ。
映画は英語がわからなくても面白かったんですよ。

笹木  字幕は出ないんですか?

半田  出ないわよ。アメリカのまま来るんですもの。それに津田は英語の学校だからそれでいいと思ったんでしょうね。
優秀な学生がたくさんにいたし、共産党の闘士になった人もいましたよ。
「人生岐路あり」と先生が仰ったけれど、どちらを選ぶかで全く違ってくるわけでしょ?

笹木  確かに、どっちを選ぶかでその人の一生は違ったものになりますからね。

半田  夫を亡くしたのが早かったので、再婚話もあったけれど、もし再婚なんかしたらまた同じ人生を送るわけでしょ?
でも、学ぶということが楽しくて全くそんなことは考えられませんでしたね。
先生は沢山の方とお話されたわけだけれど、この人はこれまで、どんな風に生きてきたのかな?と話しながら思う、と、おっしゃったことがあるのよ。
先生は型にはまった成績のよい生き方には、興味を持たなかったように思いますね。
自分が老いるということを考えた時、先生のように“老化に挑戦する”という気持ちはないの。
この1、2年、自己運動的に身体の不調が起こってきた時に、面白くなってきたの。
「こんなはずではなかった」と思ったのは70代ね。
80歳を越したら、「こんなはずじゃなかった。」なんて思わないわけですよ。
でも、80歳までそんなことを考えないですんだのは、メグビーによる食生活の管理だと思うわね。
私は人生を振り返ってみて幸せだったと思うわ。
老化を楽しみながら、いつか体力がなくなって「THE END」が来ればいいなと思う、というのが今の心境です。(笑)

笹木  今日はありがとうございました。
女性が自分の意思を通すことは、難しい時代だったと思うけれど、貫き通して、そして、振り返ってみて「自分の人生は幸せだった。」と断言できることは素晴らしいことだと思います。羨ましいです!

半田 節子 様:1927年生まれ 86歳(インタビュー時)

※個人の感想であり、製品の効能を確約するものではありません

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